私が婚約者を愛することは多分ない!

アゼリア本舗

第1話 令嬢だってやさぐれたい



「おはよう、ローズ」

「おはようございます、お父様」

「ん、今日は……体調は良さそうだな?」

「…………」


 私はお父様の問いかけをあえて無視した。

 泉に落とされて風邪をひいたのに、そんなに早く回復するわけないじゃない。


「サラ、部屋から出ても大丈夫なの?」


 お母様の猫なで声が聞こえてきた。

 顔を上げると、妹のサラが扉の前に立っている。


「……今日は、とても気分がいいの」


 ふわっとはかなく微笑むサラの淡い金髪と若草色の瞳が輝いて、まるで天使が降りてきたようだ。

 私の妹は身体が弱いので、いつもは部屋で食事をとっている。それなのに今朝は食堂へ来た。ということは……。


「そうそう、今日はアンドリューが来る日だったわね」


 お母様は私のことなど気にかける様子もなく、その名を口にする。


 アンドリューはかつて私の婚約者だった。



 #########



 一年前。

 私が十七歳になったばかりの頃、お父様からヘイグ伯爵家の次男との婚約を告げられた。

 顔も知らない人との婚約は、貴族にとってよくあることだ。

 それでもやっぱり不安で、もし相手がとんでもない乱暴者だったら……と私は気を揉んでいた。


 目の前に現れた婚約者のアンドリューは端正な顔立ちをしていて、所作も会話もスマートな好青年だった。

 会えばいつも優しくエスコートしてくれる彼に、私は少しずつ惹かれていった。


 あの頃の私は浮かれていたのだ。



 そして今から約一か月前。

 第一王子レナード殿下の婚約者に私が選ばれた、と知らせが来た。


 このリデール家は王族から婚約の話が来るような家柄ではない。親戚の中でも序列は低いほうだったと思う。

 後腐れなく断ることができるから、という理由で選ばれたとしか思えなかった。


 そういえば少し前にお父様に言われて仕方なく、王宮でのガーデンパーティに出席したような気がする。

 あの日はやけに女性が多かった。しかも急に王妃様まで出席されることになったので、令嬢たちが挨拶をしようと激しく先を争っていた。

 私は人混みの中に入りたくなかったから、少し離れたところにある東屋あずまやからお庭をボーっと眺めて時間を潰していたのだけれど。

 あれで悪目立ちしたのかもしれない……。


 でも、その知らせを受けたお父様は上機嫌になって私を褒めた。


「ローズのその変な……いや、珍しい髪の色が目立ったのではないか? これは名誉なことだぞ」


 ――いや、今思うとあまり褒められてはいなかったわ。


 私の髪の色は深い赤色で、お父様にもお母様にも似ていない。

 お婆様によると、お婆様のお婆様(私にとっては高祖母こうそぼ様)がこんな色の髪をしていたそうだ。さらに私の黄玉トパーズの瞳は自分とそっくりだからと、お婆様は私をとても可愛がってくださった。

 そのお婆様が昨年亡くなってから、お母様の私に対する当たりがきつくなったのは気のせいではないと思う。


 私はお父様のように、『第一王子の婚約者候補』になったことを喜ぶことはできなかった。


「アンドリュー様とすでに婚約していますが……」


 そもそもお父様の持ってきたお話だったのでは? と私が目で訴えると、上機嫌だったお父様は急に渋い顔になった。


「ヘイグ伯爵家とのつながりも必要だが、王族からの指名を反故にすることはできん。先方に連絡して婚約は解消してもらう」

「そんな、候補なのだから辞退しても」


 そう言った途端、顔を真っ赤にしてお父様は怒り出してしまった。


「辞退など、許されると思っているのか! お前は私に恥をかかせるつもりか!」


 これ以上の反論はできそうになくて、私は唇を噛んで我慢するしかなかった。

 こうして私たちは婚約を解消することになったのだ。




 最後の挨拶に我が家を訪れたアンドリューを一目見て、私は少なからず胸の痛みを覚えていた。

 もし許されるのなら、もう一度その腕で私を抱きしめてほしい。


 そんなバカなことを思っていた。


「おお、美しいお嬢さん! 春の光を束ねた金髪に、朝露をまとう若草色の瞳――まるで地上に降りた天使のようだ! どうか僕と結婚してください!」


 私の目の前でサラにひざまずいて求婚するアンドリューの姿は、さっきまでの胸の痛みをきれいに消し去ってくれた。


 なんという節操の無さ。

 家の事情があるからこんな風にふるまっているのか。それとも元々チャラい人間だったのか。

 ……彼にとっての私は、いったい何だったのだろう。


「アンドリューくん、我が家としても願ってもないことだよ! それではさっそく手続きを……」


 はちきれんばかりの笑顔で、お父様とお母様はアンドリューとサラの手を引いて応接間へと入っていく。

 それを見送る私の胸には――黒いものがおりのように溜まっていた。



 #########



 思い出すとまたイライラしてしまった。

 少し乱暴にフォークを置いた私に向かって、お父様の目が吊り上がる。


「そんな無作法をレナード殿下の前でやらないように。全くお前は誰に似たんだか……」

「そうよ、サラのおかげで何の憂いもなく王子様とお付き合いできているのに」


 お母様も一緒になって文句を言う。サラに対する優しいまなざしとは大違いだ。

 私は溜めていた怒りを一気に込めてお母様を睨んだ。


「お母様、今なんて?」

「な、なによ……」


 お母様の緑の瞳が揺れながら下を向く。

 いつもそう、お母様は私の目を見るのが怖いのだ。お婆様に似ているから。


「王子様と? どうしたらそう思えるのよ」

「ローズ! 口を慎みなさい!」


 お父様が唇をわなわなと震わせるのを、私は冷めた目で見ていた。


 来る日も来る日も広い執務室の隅で、よその貴族の歴史の資料を読まされるだけ。

 監視しているみたいにレナード殿下の視線がチラチラとこちらへ向くものだから、おちおち居眠りもできない。たまに偉そうなオジサンが来て二つか三つ質問して帰っていくのも地味にイライラさせられる。


 しかも一昨日おとといにはそのレナード殿下に泉に突き落とされて、私は危うく殺されるところだったのだ。

 こんな扱いをありがたく思うのなら、替わってあげたいくらいだわ。


 食堂はピリピリとした空気に覆われ、一触即発の状況になった。

 ――その時、控えめなノックの音が聞こえてきた。


「ローズ様、レナード殿下よりお迎えが来ています」


 返事の代わりに、私はわざと聞こえるように舌打ちをする。


 また、苦行の時間が始まるのか……。

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