オタクのお姉さん

@hoihoi33

第1話 姉の偉大さを知らしめようとする話

 有給休暇とは何かと問われると、小宅愛寧はこう答える。

「有給とは! 絶望の社畜に! もたらされる希望のことだッ!」

 大人気漫画、ジェイの奇抜な就活の名台詞である。

 ジェイの奇抜な就活とは、美麗で屈強な男たちが奇抜な手段でブラック企業と闘い、ホワイト企業を追い求める婦女子垂涎の大人気漫画である。

 平日の今日、その劇場版アニメーションの公開日であり、事前に有給休暇を取得していた愛寧は朝一の公開を視聴して鼻歌交じりに帰宅したところだった。

 帰宅時間は正午前だったので、軽く昼食を取ってもまだまだ時間は十分あった。愛寧は27歳という年齢にして実家暮らしだったので、平日の誰もいない家というのは新鮮だった。

 食べ終えた食器を洗い終え、自室に戻りながら何をしようかと考えているところで屈強な男を想わせる凛々しい声がした。

「臭うぜ!」

「どうしたの? ジェイ太郎?」

 ジェイ太郎とは、ジェイの奇抜な就活の主人公である。愛寧の心には今現在、彼女が熱狂している作品のキャラクターが住み着いており、深層心理の引っ掛かりを発言するのであって、けっして怪しい薬をやっている訳ではない。

「怪しい臭いがしやがる!」

 それは作中、ジェイ太郎がブラック企業を嗅ぎ分ける際に使われる有名な台詞だった。その台詞が指し示す場所は、愛寧の弟である達彦の部屋だった。

 達彦とは高校1年生の弟であり、愛寧とは歳の離れた弟だ。

 昔は後ろを付いて回って可愛かったが、最近は時折憐れむような視線を投げかけてくることがある。

「あいつ最近マジで私のことナメてるからな! ここらで一度、姉の偉大さを思い知らせてやらないといけないわ!」

 平日の昼間なのだから部屋の主は当然学校に行っていていない。最近は部屋に入ろうとするとあからさまに嫌そうな顔をするのでやましいこと、いや、ちがう。やらしい物があるに違いない! と愛寧は思った。

 何の変哲もない木製の扉には、たつひこのへやと書かれたクマとウサギのイラストが入った可愛らしいプレートが掛けられているが、愛寧の目にはゴゴゴと漫画の擬音のような文字が周囲に浮かび上がっているように見え、禍々しいオーラがその内側から溢れているように見えた。

「大丈夫よ! きっと軽く引くけどかわいい弟の性癖だもの。笑って受け止めて小馬鹿にしてあげる!」

 意気込んでドアノブを回して室内に侵入すると、そこには年相応の、何の変哲も面白みもない、いたって普通の景色があった。

 室内はフローリングの六畳間で大きめの本棚があり、色々な漫画や小説に、言い訳程度の参考書が詰められていた。あとは勉強机にノートパソコン、収納付きのシングルベッド、備え付けのクローゼットがあるだけだった。

 あまりにも殺風景な室内に愛寧は唖然とした。

「ねえ、ジェイ太郎? 男子高校生の部屋というのは、そこかしこにエッチな本と裸の女の子のイラストカバーの抱き枕があって、丸められたティッシュが散乱している地獄のような光景で、まるで魚のような生臭い臭いがするんじゃないの?」

 まるで劇画の様相の愛寧が聞いた。

「ああ、その通りだぜ!」

 ジェイ太郎が即座に答えるが、達彦の部屋からは芳香剤の香りだろうか、ほのかに気持ちの落ち着く良い香りが漂っている。

「見せかけに騙されるんじゃないぜ!」

 毒気を抜かれそうになった心をジェイ太郎が叱咤する。そもそもこのジェイ太郎は愛寧の歪んだ精神が生み出した虚構の存在なので、都合のいいことしか言わないイエスマンであることを愛寧は知らないのだが、すっかりやる気を取り戻して室内の物色を開始するのだった。

 エッチな本の隠し場所といえば、やはりベッドの下が定番だろう。

「大丈夫、お姉ちゃんはすべてを受け止めるわぁ」

 ニチャアという擬音が相応しい邪悪な笑みを浮かべてベッドの収納が開けられる。そこにはあふれんばかりの妙技王カードが詰め込まれていた

「なんでだよ⁉」

 確かにそこには年相応の秘密が詰め込まれていた。

「妙技王、確かに面白いけども!」

 妙技王とは漫画連載からトレーディングカード化され、今や全世界で遊ばれているカードゲームである。愛寧もプレイしているカードゲームだったので、何とも言えない気持ちになったが、そこは気持ちを切り替えて次を探す。

 収納には戦隊ヒーローのロボット玩具やギャンプラ、申し訳程度に衣類が詰め込まれており、本棚には週刊誌の長期連載漫画のタイトル、勉強机の引き出しにはニンニク男の消しゴムニン消し、モーターで走るデカ四駆、カスタムして遊ぶプラ製のベイゴマ、バイブレードなどが詰められていた。

「男の子かよ!?」

 男の子である。

 引き出しの中を隅々まで調べていると、一冊のアルバムが愛寧の目に留まった。薄水色のアルバムの表紙には黒のマジックでメモリーと書かれていた。

 なんとはなしにアルバムをめくると、中には何枚もの達彦の写真が貼られていた。写真は小学生のころから始まり、中学、高校と続いている。運動会や修学旅行、文化祭のものがあり、どれも友達と写っていて、楽しそうな顔をしている。中には女の子と写っているものもあった。達彦も少女も顔を真っ赤にしており、見ているこちらが恥ずかしくなるほどだった。

「青春コンプレックスぅぅぅ!」

 弟の写真に触発されたのか、愛寧の脳内には学生時代の思い出がフラッシュバックした。

 薄暗い美術室で友達とボーイズラブの本を読んだ遠いあの日、長期休暇に集まって書いた同人誌、勇気を出して告白した幼馴染にオネエだとカミングアウトされ、振られた卒業式当日。どれも懐かしくも思い出したくはない記憶だった。

「ちくしょう!くたばってたまるかよ!」

 記憶に蓋をするかのようにアルバムを力いっぱい閉じてエロ本捜索に戻った愛寧の瞳から一滴の雫が零れ落ちた。それは過ぎ去りし日に忘れてきてしまった青春の汗だった。

 捜索の結果、出てきたのはどれも男の子が熱中しそうな玩具ばかりであり、調べていないのはいよいよノートパソコンだけになった。

 これだけ調べて何も出てこないのだ、もはや隠し場所がパソコンなのは明白だったがロックが掛かっていて調べられなかった。

「電書なの!? 時代はもはや電書だというの!? このままじゃ、達彦にぎゃふんと言わせる計画が!」

 といったところで背後から少年を感じさせる声がした。

「誰が誰にぎゃふんと言わせるって?」

 びくっと一瞬身震いして愛寧が振り向くと、そこには鬼の形相をした弟、達彦が仁王立ちしていた。

 まだまだ帰宅には早い時間なのに何故達彦が帰ってきたのかと考え、彼がテスト期間であり帰宅時間が早かったことを失念していたことに思い至った。

「ち、違うの! ジェイ太郎……そう! ジェイ太郎がやれって言ったの!」

 とっさに出た言葉は推しキャラにすべてを擦り付ける最低のものだったが、達彦にはジェイ太郎が解らず怪訝な顔をされる始末だった。

 達彦は大きくため息を一つ吐いて姉に聞いた。

「何か言いたいことはあるか姉さん?」

「やれやれだぜ」

 ゲームオーバーを悟ったジェイ太郎は呆れ果てて愛寧の心の中へと消えていった。

 すこしの沈黙が続いて愛寧は一言だけ答えた。

「ぎゃふん!」

 昼下がりの平穏な午後、姉の威厳が砕け散る音が室内に木霊した。



 



 


 

 


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