番外話 ♪時魔女・歌恋さんの好敵手?−釵子報恩譚番外話−
横浜市保土ケ谷区の喫茶店「ワンダーランド」。
「ここだわね、確かに店名の通り眺めいい場所にあるわ」
観葉植物が綺麗に並ぶ店先をしなやかに歩く
今回は熱田の元御師である
「やっぱ、横浜の方が土地勘があるからすぐ分かる。横浜と川崎はご近所さんが沢山いて、マイホームタウンって感じだわ」
ドアノブを回し、
「こんにちは!」と元気よく挨拶をする富久。
「だからそこは左だよ。読み間違いだって言っただろう」とアップのうなじが綺麗な女性がエプロン姿で横柄に指図している。黒のシャツ、スカート、ストッキング、革靴と黒づくめの衣装に、レースの黒いリボンがアップに舞う。二十歳そこそこの富久には、そのカフェ店員姿が「大人可愛い」と映る。
「あほだな。それお前の間違いだって!」
こっちの問答の相手の顔に見覚えのある富久。桜ヶ丘御師、そこそこおじさんの
「それじゃ、アタイが間違っているっていうんだな」
「おうよ!」
女性はにらみ返すと、懐から食事用のナイフとフォークをサッと取り出した。
「覚悟は出来ているんだろうな」
偏光グラスをキリっと外すと、ニヤリと笑う夏見。
「オレが合っていたときのことも考えろよ」
するとポッと頬を染めたフリをして、胸に手を当てると、
「アタイのキスが欲しいってことか?」と笑う。
夏見は気色の悪そうな顔に加え、嫌悪感に満ちた表情をして、
「気持ちの悪いことを言っていないで、早く確かめろ!」とぞんざいな口調で茶化した。
よく見てみると二人の間のテーブルには鯛焼きが十個ほど並んでいた。その中のひとつに、彼女はナイフを入れた。さくさく系の食感が売りの今流行の鯛焼きだ。
それの腹から背にかけて入れた切り込みをフォークでそっとほぐす。するとそこには粒の小倉あんがたっぷりと出てきた。
「そら見ろ、右側が餡子だろう! 言わんこっちゃない」
勝ち誇ったような顔の夏見は切り分けられた頭の方を素手で掴み、ぱくりと口に放り込む。
「うん。悪くないな。パリパリの食感に甘さを抑えながらコクを出した餡子」
「あー、先に食べやがったな! 買ってきたのはアタイだぞ」
そう言って、しっぽだけの鯛焼きを口にくわえたところで、ようやく横の人影に気づく女性。
「いらっひゃいまへ……」
凍り付いたまま、気恥ずかしさで赤面する女性。その様子を端で見た夏見は、
「みずほ、お前でも恥ってものを持ち合わせているんだ」と笑う。そして向きを変えると、
「やあ、いらっしゃい富久ちゃん」と夏見はいつもの優しいおじさんに戻る。
「こんにちは、夏見さん。その節は大変お世話になりまして……」と深々とお辞儀をする。だがその後の言葉を、言いかけた富久を遮り、
「さあさあ、挨拶は後で、鯛焼きが冷めちゃうよ。一緒に食べよう。それでついでに、こいつが三井みずほ、後数年で三十歳になりそうなのに、まだまだ跳ねっかえりの暦人御師として関東じゃ有名なの」と紹介も兼ねた。
「みずほおねえさん、こんにちは。私、今日は山村愛珠さんの使いで来ました。伊勢の土の御厨御師見習いの朱藤です」
「おねえさん……」と小さく復唱するみずほは、そう呼ばれて悪くない気分に浸る。わりかし単純な作りをしている。考えてみれば、夏夫以外は全て自分の周りは年上の仲間内だ。
そしてその名前に覚えがあるようでみずほは、
「熱田御師だった山村のばあちゃん。随分と懐かしい名前だ。まあ、どうぞ」と鯛焼きのしっぽを口に押し込むと富久に席を勧めた。
富久は行儀良く夏見の席の隣に陣取ると、差し出された丸ごとの鯛焼きに思わず生唾を飲む。
遠慮しているのが端から見てもわかる。それを察してか、
「大丈夫。アタイの店はそんな上品な店じゃないから、手づかみでガブッと行っちゃいなよ。今、お茶入れてやるから」とケラケラ笑う。
そこで「そうそう、店主見れば上品じゃないことは一目瞭然だ」と夏見は同意する。
そこにすかさず、
「夏見、お前、どうしてもアタイのキスが欲しいのか」と奥からキッとにらむみずほ。
思わずたじろぐ夏見は、
「普段は上品なんだけど、君に気兼ねさせないためにそう言った、あのお姉さんの優しさかな?」とあきらめ顔で笑う。
「よろしい」と言って、みずほは持ってきたお茶を富久の前に差し出した。
暫くの談笑の後、みずほの店の外で「どーん」という大きな音がした。そして揺れも感じる。
「なんだ?」と夏見。
驚いたみずほも、すぐさま玄関口に向かい扉を開ける。するとそこには大きな移動販売のワゴン車が止まっていた。しかも車高のあるワゴン車の隅が、みずほの店のせり出したテント製の庇を引っかけた感じで止まっている。
「おいおい」と腕組みをしながらあきれ顔で困っているみずほ。
その横で車の運転席のドアが開く。
「あらあ、ちょっとズレちゃったみたいねえ」
のんびりと微笑みながら、ピンクのエプロンでおりてきたのは、みずほと年の頃同じくらいの女性である。そのエプロンには『ケセラセラ que sera sera』とプリントされている。こだわりのなさそうな性格はエプロンからも分かる。彼女の、そのおっとり具合ときたらみずほとは真逆だ。
みずほはその顔に見覚えがあるようで、
「相変わらずズレてんのは、お前だ!」とため息交じりで応える。
「ごめんなさいね。みずほちゃん。……わざとじゃないのよ。……ちょっと路肩側に寄せ過ぎちゃっただけなの」
のんびり口調で、悪びれた素振りもなく、彼女は謝意を伝える。
その横でおでこを押さえながらみずほは、
「お前の行動は想像つく。もういい。で、今日は何の用だ」と訊く。
入口のドア影から覗くように顔を出す夏見と富久。
「誰ですか?」
富久の質問に、「いや見たことの無い顔だ」と不思議そうな顔の夏見。
二人に気づいたみずほは、「出てきて良いぞ」と手招きする。
「あらあ、兄さんと妹さんもいらっしゃったのね」とパチンと手を叩くのんびりお姉さん。
「アタイは一人っ子だ。お前わざとだろう?」
「あら、そうだったかしら?」
人差し指をくわえながら、きょとんとした顔の女性。
「
夏見は心当たりがあるらしく、「勘解由小路って、暦の
その言葉を聞いて、再び両手をパチンと叩くと、「まあ、博学です。正解です。ご褒美にクレープ差し上げましょう」と車内をごそごそとやって、白い紙にくるまったクレープを二人に差し出した。チョコバナナクレープだ。
「こりゃ、どうも」と夏見。富久も無言でお辞儀でお礼をする。
「私……。クレープの移動販売をしながら、アミュレットに必要な鉱物資源や秘薬の材料になる生物を確保しています。
「だからキッチンカーなのか。表向きはクレープ屋で、業務後はアミュレット作りって訳ね」と夏見。
「はい。以後よろしく」
穏やかに笑うと、
「じゃあ、立ち話も何ですから、店内でお話ししましょう」と勝手にすたすたと店に入っていく歌恋。
「マイペースな人ですね」と呟く富久に、
「アタイとは違うタイプのマイペースでな、あいつが一番、時間を無駄遣いする暦人なんじゃないかなと常々思っている」と呟くみずほ。
「なるほど」と納得するとともに、ため息もつく一同。
「で、何の用だ、歌恋」
渋い顔のみずほは、彼女の厄介事が想像つくようである。
そんなことはお構いなしに、机上の鯛焼きを頬張る歌恋。
「あらあ、最近の流行りはクリスピー鯛焼きなのね。ガレットもこうやって作ろうかしら?」
そんな歌恋の言葉には耳も貸さないみずほ。
「あのなあ、アタイに何の用かと訊いている」
鯛焼きを飲み込むと、
「もうせっかちさんね」と口を尖らせる。
「お前がスローすぎるんだ!」
一息ついて、歌恋は背筋を伸ばすとみずほに話し始める。
「それがねえ、みずほちゃんに借りてた本、昔の古文書なんだけど……」
気むずかしい顔で、「古文書はみんな昔の本だ。新しい古文書なんてない」とみずほ。
「あらあ、また気むずかしいこと言うのね」
「それで?」
「どこかに置き忘れちゃって、それがどこだったか覚えていなくて困ったの、わたしったらお馬鹿さん♫」
コンと自分の頭を軽く小突く歌恋。
その言葉にみずほが激怒していることは間違いない。無言でいらいらしているのが分かる。
夏見は富久の肩を叩いて、耳元で、「席を外そう」と告げる。
すると目を閉じたまま、
「逃げるな、夏見」とみずほが言う。
脱出失敗である。夏見はこういう修羅場に対してとても鼻が効く。いち早く察知して、避難経路の確保と思ったのだ。だが今回はその矢先に、みずほに見破られた。
縮こまる夏見とそれを真似する富久。富久にしてみれば、初めて来た知らないお店で色々なことに巻き込まれている。
「あれは、
「まあ、女の子が命令形で話しちゃ駄目よ、って教えてくれたのはみずほちゃんなのよ。小学校の時に」
もしみずほに自動車のような温度計が付いていたら、沸点に達して赤を振り切っていることだろう。
夏見は歌恋のその口ぶりから、みずほも中学ぐらいまでは、歌恋と同じような性格だったのだろうと推測した。
「とりあえず無くした当日の行動をもう一度ここで書き出せ」
そう言って、みずほは歌恋の前に紙と鉛筆を差し出す。
「アタイが洗い物をしている間に思い出せよ」
そう言ってみずほは厨房奥のシンクに向かう。
『さすがに応えているかな?』と心中察して、歌恋のことを元気づけてやろうと思った夏見だった。……がその必要は全くなかった。
歌恋は渡された紙と鉛筆でマンガとは思えないようなへたくそな絵を描いて楽しんでいる。全く応えていない様子だ。
夏見はこの場を早く立ち去りたくて、富久に、
「富久ちゃん、富久ちゃんの用件済ましたら、ここをお
富久も『うんうん』と無言で首を縦に何度も振る。
タオルで手を拭きながら、みずほが富久たちのテーブルに戻ってきた。
「思い出したか?」
夏見はとっさに歌恋が落書きをしている紙を別の紙とすり替えた。
「あっ!」と驚く歌恋。この辺りの察しの良さはピカイチだ。
のぞき込んで「なんだまだ出来てないのか」とみずほ。
その隙に富久は山村愛珠から預かってきた風呂敷包みをそっと自分のバッグから取り出す。
「あ、そうか。預かり物をアタイに届けに来てくれたんだよね。ありがとう。ごめんね。本当はもっと優しいお姉さんなんだよ、アタイ」とみずほ。
夏見は心中、『そうかな?』と疑問に思ったが黙っていた。余計な事を言えば、こっちに火の粉が飛んでこないとも限らない状況だ。
愛珠らしく、几帳面に結ばれた風呂敷をほぐしていくみずほ。中には紙袋に包まれた立方体の品物が入っている。
「ん?」
その袋と風呂敷の間には一通の書簡。
『三井みずほ様 前略 先日勘解由小路殿がお見えの際に、我が家に忘れていった御家家宝の「
みずほは慌てて、袋の中身を確認する。綴じ紐で幾重にも縛られた和紙の製本束。まさしく古文書である。芥子色の表紙に名札のように貼られている白い紙。その上に縦書きで書かれた書誌名「三井家本草魔鍋秘伝」とある。
手紙を読み終えたみずほが、すべてを察して顔を上げると、目の前にいたはずの歌恋がいつの間にかいない。
「えっ?」と思うやいなや、すでに店の外でエンジンをかけるスターターの音。そしてすぐにブルルルとエンジンの音がした。
みずほは素早く立ち上がると、店の入口に行く。だが、時既に遅し。歌恋のキッチンワゴン車は、彼女の視界の遠く向こう、豆粒より小さくなっていた。
「逃げられた」
夏見と富久は、歌恋の素早い身のこなしを間の当たりしてぐうの音も出ない。みずほの性格をお見通しという感じを受けた。
苦笑いのみずほは、
「次は絶対に三時間は説教してやるからな!」とかなり強く心に誓っていた。
「で、庇のテント修理代はどうするの?」と夏見。
「夏見、山崎と八雲先生に連絡して直してくれって、頼んでくれないか?」
「なんでオレが?」
しかめっ面の夏見に、
「連絡するだけで、当店の珈琲回数券二十回分だけど」と誘いかける。
仕方ないなあ、と言う顔の夏見は、
「別に珈琲券につられたわけじゃないぞ」と言いながらハンディーフォンを取りだしている。
その横で富久は、『関東の暦人たちは猛者と達人揃いだ』、と違う意味で尊敬していた。
了
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