✏️ドラゴンと対峙

 ざあぁぁ、と葉擦れの音。

 皮膚を掠める冷たい風。

 頬をくすぐる小さな草達。


 「うぅ…」 

 目を覚ますと、マヤは草むらで寝そべっていた。

 ゆっくりと上体を起こす。


 「ふぁ〜」


 とあくびを一つした。

 大分長い時間眠っていたのか。

 なんだか体がだるい。

 キョロキョロと辺りを見渡すと、木々が生い茂っていた。

 森の中のようだ。


 「うーん?」


 覚えがない。

 マヤは腕を組んで、これまでの記憶を辿ってみた。


 (えっと…確か、女神様に異世界召喚させられたんだよね…。面白い漫画を描くために…)


 念のため頬をつねり、夢でないことを確認する。


 (痛い…現実……)


 信じられないが、本当に異世界に召喚されてしまったようだ。

 と思ったところで、「いやいや」とマヤは首を横に振った。


 (夢遊病か何かで森を彷徨ってしまったのかも…)


 そんな事を考えていると、背後から、犬の鳴き声のようなものが聞こえた。


「キュウゥゥゥン」

「…?」


 振り返ると、そこにいたのはーー


「ド…ドラゴン…?」


 身長は三〇センチくらいで、全身が赤い。

大きなクリクリとした目をしていて、背中に羽が生えている。

 マヤは驚きのあまり、ポテンと尻もちを付くと、そのまま後退りした。


「…うそ、うそ…。こんなの、あり得ない…」


 でも目の前にいる可愛らしい生き物は確かにドラゴン。

 小学生の時に図書室にある『幻想生き物図鑑』で見たイラストと同じだった。


 「やっぱり私、本当に異世界に来ちゃったんだ」


 でないとドラゴンがいるなんて状況、理解できようか。

 マヤはゴクリと一つ唾を呑み込むと、ドラゴンに向かって丁寧な口調で語りかけた。


「こんにちは。ドラゴンさん」


 ドラゴンはクリクリとした目をマヤに向けるだけで、うんともすんとも言わない。


(知性はないのかな…)


 マヤとドラゴンがただ向き合うだけの時間が過ぎた。

 変にドラゴンを刺激すると襲って来ないか不安だった。


(どうしよう…)


 しかし、相変わらずドラゴンは呑気そうな視線をマヤに向けるだけ。

 脅威になりそうな気配は全くなかった。

 しばらく睨めっこをしていた両者だったが、ふいにマヤの中にある感情が芽生えてきた。

 それはーー


 「か、可愛い…描きたい…!」


 漫画家の性なのかもしれない。

 マヤは制服のポケットからスマホを取り出すと、お絵描きアプリを開いた。

 そして、人差し指で器用に目の前のドラゴンを写生し始めた。


 (うん、うん、うん、良い…すごく良い…)


 慣れたもので、サササと描いていく。

 五分もすると、ドラゴンの簡単なカラーイラストが出来上がっていた。


 「わあ…初めてドラゴン描いた」


 しかも、資料集などを参考にしたのではなく、ドラゴンの実物を見てである。

 マヤは感極まり、スマホの画面をドラゴンの方へ向けた。


 「見て、あなたを描いたの。どうかな…」


 先程までの警戒はとっくに無くなっていた。

 この呑気さは、無邪気な幼さゆえかもしれない。


 ドラゴンはスマホの画面を見て、「キュウウウ?」と首をかしげた。


「やっぱり分からないよね…」


 マヤがしゅんと寂しそうな顔を浮かべると、突然、ドラゴンの口が、大きく開いた。


(わ、あくびかな…?)


 ドラゴンが口を開ききると、その中からニョロニョロと長い舌が出てきた。


 (…す、すごい!こんなに長いベロみたの、初めて…)


 ーーと、次の瞬間、

 ものすごい速さでマヤのスマホに舌が伸びてきた。


 「わっ」


 舌はスマホに巻き付き、一気にドラゴンの口の中へ吸い込まれていった。

 気が付くと、マヤの手からスマホは消えていた。

 一瞬の出来事だった。


 (えっと…スマホがドラゴンの中に吸い込まれていった…?)


 ポカーンとするマヤ。

 目の前の可愛らしい生き物から、「ゴクリ」と呑み込む音が聞こえた。


 (…うん…。今、食べたよね…。私のスマホ…)


 マヤは事態を認識すると、慌ててドラゴンをガッと掴んだ。

 そしてその体を思いっきり上下に振った。


 「ねえ!返しくださいいい…私のスマホ!」


 (まずい、まずい!あれがないと担当さんと連絡が取れないし、何より今まで温めてきたアイデアが消えちゃうよぅ)


 ドラゴンの体は重かったが、マヤは精一杯にその体を振った。


 「…き、きみの体にも良くないと思うな…体に毒だよあんなもの! 鉛の塊だよっ!」


 ドラゴンは揺らされながら、表情をピクリとも変えない。


 マヤのスマホを吐き出す気配もない…。


 「こ、こうなったら…」


 マヤはドラゴンの足を掴み、逆さまに持つと、背中をペンペンと叩いた。


(お願い吐いて…!)


 半泣き状態だった。

 現代っ子からスマホを奪うなんて…なんという鬼畜。


 (いやまあ、この子は悪くないんだけどね、不用意にスマホを出した私の責任なのだけども…)


 突然、マヤにされるがままでいたドラゴンが、「キュオォォォォン」と大きな声を響かせた。


 「…わっ」


 マヤが驚いて手を離すと、ドラゴンはスタッと地面に二本足で着地した。

 ドラゴンは、マヤの方へ鋭い視線を投げた。

 その目は怒りに燃えているように見える。


 (…ちょっとやりすぎちゃったかな…?)


 不安になるマヤの耳に微かに「ガルルルル…」と低い唸り声のようなものが聞こえた。


 「…ん? 何この音…」


 よく耳を澄ますと、それは目の前の可愛らしい小さな生き物の喉元から聞こえていた。

 次の瞬間ーー

 ドラゴンの体が突如として巨大化し始めた。


 「…へ?」


 マヤは我が目を疑った。

 ズモモモモ…とドラゴンの体がどんどんと大きくなるのだ。


 (な、なにこれ…)


 マヤは、目の前のドラゴンが巨大化するさまを茫然と眺めていた。

 全体的に丸かったドラゴンのフォルムも、次第に角張ってきて、気付くとムキムキボディの本格的なドラゴンになっていた。

ドラゴンの巨大化が止まると、その身長はマヤの倍ほどになっていた。


 「うそ…こんなの…」


 厳ついドラゴンを前にして、マヤは恐怖に打ち震え…なかった。

 マヤはその丸い瞳をピコンと輝かせると、リュックサックから今度はお絵描き用のタブレットを取り出した。

 付属のペンで目の前のドラゴンを写生していく。


 「すごい…おっきいドラゴンは迫力が違う…!」


 マヤはしゃがんだり体を傾けたりして、ドラゴンをよく観察した。


 「ふむ、ふむ…足の付け根の骨格はこうなっているのね…。尻尾のあたりはどうなってるんだろう…」


 ドラゴンの背後に回ろうとすると、


 キシャアアアアアアアアアアア


 と、ドラゴンが大きく嘶いた。


 「わっ…びっくりしたあ…。後ろに回られるのは不快でしたか?」


 マヤが尋ねると、突然、ドラゴンの大きな腕がマヤの方へ飛んできた。


 「わっ」


 咄嗟に飛び下り、それを避ける。

 ドラゴンの腕は、地面に直撃し、ズシャアァァンと大きな音を響かせた。

 地面がひび割れる。


「…えっと……」


 恐る恐る、ドラゴンの顔色を伺う。

 ギロリと大きな瞳がマヤを睨んでいた。

 ドラゴンがまたもやその大きな腕を振り上げた。


(これはたぶん、逃げなきゃいけないやつ…)


 「落ち着いて描けないのは悔しいけど……」


 マヤはタブレットを胸元で大事そうにキュッと抱き締めると、森の中を走り出した。


 (これがドラゴンの攻撃対象になった人の気持ち…漫画のために覚えておこう。臨場感大事!)


 背後からはドスドスと足音が聞こえる。

 ドラゴンが追ってきているのは明らかだった。

 懸命に走った。

 しかし、中学校の通学以外に引きこもり生活を送っていたマヤの体力は既に尽きかけていた。

 ひぃ、ふぅ…と息が荒れる。


 (あれ……これ命の危機的状況なのでは…。そもそも私みたいな貧弱がドラゴンと追いかけっこして逃げきれるばすない?)


 今更である。


 (…どうしよう…。死にたくないなあ)


 ついに体力が果て、マヤは足を止めた。

 乱れた呼吸をそのままにして、ドラゴンの方へ振り返る。

 直ぐ目の前に迫っていた。


 「あ、そういえば…」


 追ってくるドラゴンを正面から見つめ、ハッとするマヤ。


 (女神様が、私に最強の魔力を授けたって言ってた…)


 しかし、どう魔力を発動させれば良いのか分からない。


 (うーん…。とりあえず、それっぽい魔法の呪文でも唱えてみよう)


 マヤは、液晶タブレットを胸元でしっかりと抱き締めると、右手でドラゴンを正面から指差した。


 「ちんからほい! ドラゴン消えたまえ!」


 しかし、ドラゴンが消える気配がない。


 (うううう! えっとじゃあ…)


 「マハリクマハリタ!」


 魔法は発動しない。


 「テクマクマヤコン!」


 発動しない。


 (うううん!こうなったらヤケクソ!)

 「ムーンプリズムパワー! レリーズ! ラミパスラミパスーーー」


 マヤが言い終わる前に、


 「ちょっと古いわあああああ!」

 男の甲高い叫び声が響いた。


 「え⁈ 誰⁈ 古い⁈」


 (じゃ、じゃあーー)


 「エクスプローーーー」

 「そういう問題じゃねえ! とにかくしゃがめええええ」

 「は、はいっ!」


 マヤがしゃがみ込んだ次の瞬間ーー

 ひゅんっ…と頭上で何かが空を薙いだ。


 (なに…?)


 見上げると、ドラゴンの大きな腕が目に入った。


 「わあ…ぶたれて死ぬとこだったあ」


 ポテリと尻餅をつく。

 また、若い男の声が響いた。


 「馬鹿野郎!お前は魔法を習得してないんだ! 呪文を唱えたところで使えるわけじゃない!」

 「そ、そうなの…? ていうか誰ですか?!」

 「今はそれどころじゃないだろ、これを使え」


 頭にコツンと何かが当たったあと、足元に細い棒のようなものが転がった。

 拾い上げる。

 それは、マヤに最も馴染みの深いものだった。


 「Gペン……」


 漫画家が原稿を執筆するためのペンである。


 「後ろに下がれ!!」

 「え…? はい!」


 慌てて背後に後ずさると、今まさにマヤがいた地点に、ドラゴンの重い拳がズシンと振り下ろされた。

 危機一髪である。


 「わあ、危なかった…」

 「良いか、そのGペンは女神様からのプレゼントの、〈魔法のGペン〉だ」

 「……魔法のGペン…?」

 「それをドラゴンの方へ向けろ」

 「はい…」


 マヤはどこからともなく聞こえる謎の声の言う通り、Gペンのペン先をドラゴンの方へ向けた。


 「ようし、そしたら脳内でドラゴンを攻撃することを夢想しながら、Gペンを振り下ろせ」

 「攻撃…? よく分からない」

 「死ね! でも、くたばれ! でも何でも良いからドラゴンを斃す為にペンを振り下ろすんだ!」

 「分かんないよ…」

 「良いからやれ! 早くしないとやられるぞ!」

 「ひんっ…はい! えっとえっとえっとえっと…」

 マヤはドラゴンを見据え、大きく叫んだ。


 「しんじゃえっっっ!」


 ピーと一直線に、ドラゴンの体に線を引くようにGペンを振り下ろす。

 すると不思議なことに、マヤが引いた線に合わせて、ドラゴンの体に大きな傷口が開いた。


「ひっ」


 傷口は大量の血を噴き出しながらどんどんと広がり、やがてドラゴンの体はぱっくりと真っ二つになった。

 二つになった体は、生々しい断面を上方にして、地面に崩れ落ちた。


「………」


 目の前で起こったおぞましい出来事に、ごくりと唾を飲む。


 (うそ…ドラゴンさん……真っ二つになった……?)


 手に握られたGペンを一瞥する。


 (………このペンで…)


 マヤは、二つになったドラゴンの死骸へ近づき、内臓が晒された断面を見つめた。


 「グロ…。絵の参考になるかも…写真撮っとこ」


 お絵描き用のタブレットで、カシャリ、と写真を一枚納める。

 ふう、とため息をひとつ。


 (すごい力だ…。このペンをくれた声のお兄さん、誰なんだろう…)


 きょろきょろと辺りを見渡す。

 すると、木々の間から真っ白な人の顔が、にゅっとこちらを覗いているのが目に入った。


「わあっ」


 驚いて尻餅をつく。


(だ、だれ?)


 堀の深い端正な目鼻立ちをした色白の少女だった。

 少女は驚いたような表情でマヤを見つめている。

 少女はしばらく、尻餅をつくマヤを観察するように凝視していたが、やがてタッタッタとマヤの方へ駆けてきた。

 マヤの目の前にうずくまって、両手を胸元で合わせる。

 驚きのあまり、目をパチパチと瞬かせるマヤに対し、少女は明るく無邪気な笑顔を浮かべた。


 「ついに見つけたわ! 勇者様!」


 この少女は、先ほどの声の主ではなさそうだった。

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