想い人
瑠璃
第1話
もうずっと前のことだ。10年想い続けた女が明日で遊郭から去ると聞いて最後の遊びに出向いた。最後の客があんたでよかった、そう言って酒を持ち出した女は客である俺より先にそれを飲んで早々と赤い顔をしていた。
昔この遊郭にいた女のことが好きだった。私が女でなくて身売りをするほど貧乏でもなければあの子のことは私が幸せにしたかった。
なんだい、そんな顔して。いまだ遊女として身を売るあたしが恋を語っちゃいけないかい?
私はここにいた女が好きだった。聞き間違いでもまして言い間違いなんかじゃない。好いていたんだ、本当に。
あんたは長年ここに通っているから知っているだろう、あの綺麗な長い髪の、
舞か?
そう、舞だよ。踊り子だったらしい。見せ物小屋を巡る団体の一家にいたそうだ。破産して売られて行き着いた先がこの遊郭だったと言っていた。つらかったろうに良く笑う可愛らしい子だった。それが見初められて去年の末に金持ちの美男に買い取られていったよ。本気で好きあっていたと噂に聞いた。私としてもうれしい限りさ。
でも幸せにしたかったんだろう?
あんただって知っているだろう、好いた相手が笑っていてくれれば何だっていいもんだ。笑いかけてもらえる人が自分であればよかっただなんて思えるほど傲慢になった気はないね。ただ嘘ではないよ、好きあって一緒になるのを夢見ていた。でも幸せでいてくれればそれでいいと思うのも確かだ。人並みの幸せに生きてくれればそれでいい。そう、それでいい。
そんなものか。
あんた適当な返事だね。まあいいけどさ。私は長年花魁として色んな男を翻弄してきたからねえ。その報いだろうか、手に入ることもない女のことがこんなにも愛しくてたまらない。あたしを想った男もこの苦しみに悶えていたことを思うと、あたしは本物の悪党だ。きっと地獄に落ちてしまうね。
ああそうだな、もう10年も思い続ける馬鹿がここにいる。
あんたもあたしも酔が回ったね。あんたも珍しいじゃないかそんなこと言うのは。10年も通ってくれたよしみだ。聞かなかったことにしといてやる。花魁にそんなこと言うもんじゃないよ、花魁がなにかくらいわかっているだろう?
惚れた女に花魁も何もないことぐらいお前にもわかるだろう。
さあ?知らないと言わせてもらうよ。もう少し語らせてくれるかい?
ああ好きに語れ。
舞は遊郭には似合わないくらい眩しい子だった。なにといって理由はないが強いて言うなら、あの子のまぶしさに惚れたんだよ。救われた気がした。朝から晩まで男と交わることしかしないあたしにもあの笑顔を向けてくれたんだ。
思ひつつ寝ればや人のみえつらむ
夢と知りせば覚めざらましを
あたしの気持ちさ。あんたにやるからあんたの歌として世に広めておくれ。そうすりゃ少しは報われるってもんだよ。
本当の名も知らない男に抱かれて目覚める朝は舞のことを夢に見る。舞のいる世界が目を開けた先にないのなら、あたしの目なんてつぶれたっていい。そんなときに隣の男があたしの名をよぶ。それだけであたしには舞を想うことすら許されなくなってしまう。ただのか弱く可愛らしい女に戻ることが憎くて憎くてたまらなかった。女同士の愛など許されない。舞があたしと生きることを選ぶはずもない。だからもういいんだ。あの子が嫁いだ先で幸せでいればそれでいいんだよ。何回も言い聞かせたけどやっぱり恋というものは強情だねえ。今でもあの子をこの腕に抱きたくてたまらない。今世ではもう諦める。だからどうか神でも仏でもなんでもいい。きっと来世であたしに舞をちょうだい。芽生えた瞬間から押し殺すしかなかったこの恋を次は絶対に育ててみせる。舞に会いたい。あたしの気持ちを知られずに一生を終えていくのが、こんなに好いているのに伝えられないのがもどかしい。一言好きだと言えればあの子はきっと赤くなって笑いながらありがとさんと言うんだ。こう考えるだけで顔がほころぶ。でもそんなことできやしない。知っているさ。
言うだけいって女は眠った。白い肌を銀色の月明かりが冷たく照らした。涙の跡が残る薄紅色の頬にこれまでさんざん触れてきたのに、触れてはいけない気がして戸惑った。
思ひつつ寝ればや人のみえつらむ
夢と知りせば覚めざらましを
俺の歌か。
小さくつぶやくと、重い腰をあげてその遊郭をあとにした。
それきりあの花魁とは会っていない。
想い人 瑠璃 @9387
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