交信
反田 一(はんだ はじめ)
交信
「ごはんよー」
母の声がドア越しに聞こえた。
「はーい」
僕は、ドア越しには届かないであろう返事をしながら、コンピュータの電源を消して居間へ向かった。
すでに父と妹は食卓についていた。
父は新聞を広げている。
妹は、かぼちゃの甘露煮に目を奪われている。
それは、僕の好物でもあった。
僕はいつも通り妹の隣の席につく。
母が席についたのもほぼ同時だった。
「いただきまーす」
僕と妹は、さっそくかぼちゃをつついた。
僕たちは好物が同じだからといって、けんかになることはまずない。
かぼちゃは、すでにそれぞれ小皿に取り分けられている。
母の作戦勝ちだった。
見た目はほぼ同じ量を取り分けられている。
ただし、それでも厳密には同じ量ではない。
少しでも大きいかぼちゃの小皿を選びたい場合は、早く食卓に来て母の手伝いをした方が選べるルールだ。
今回は妹が選んだ。
僕は、今日に限っては、それどころではなかった。
「もう読み終わったのか?」
父が僕に訊く。
「うん」
「目を悪くしないようにね」
母も参戦してきた。
「うん」
いつもの小言をいつも通りに生返事を返しつつ、僕は自分の食事を進めていた。
そのとき。
ドゴーン!
大地が揺れ、地響きが響いた。
家具が音を立てて軋んだ。
「最近また増えてきたな」
父が呑気に言う。
母は押し黙っている。
弾みで床に落ちたスプーンを拾う母の表情は読めない。
妹は「すごーい」とアトラクション気分だ。
僕はどちらかというと興味がなかった。
僕らの世界とは関係のないことだ。
「ごちそうさま」
僕は立ち上がる。
「ちゃんと食器を運びなさい」
母の声はいつも通りに戻っている。
「はーい」
部屋へ行きかけたのをUターンして戻り、食器をシンクまで運び水に浸ける。
そして、部屋へ向かった。
椅子に座り、コンピューターの電源を入れた。
青白い光がだんだん色濃く画面を染めていく。
いつもより起動の時間が長く感じられる。
僕は、コンピュータの脇の読み終えたばかりの本を手に取り、パラパラとめくり始めた。
昨日出たばかりの新刊だ。
昨日の夕方に届いた本を受け取って、その日のうちに読み終えてしまった。
発売前から楽しみにしていた小説だった。
もったいないとは思ったものの、だからと言って続きの読みたさをコントロールしながら読むなんてことはできなかった。
本から水色の付箋がはみ出ている。
椅子の背もたれに寄りかかり、両足までもを椅子に乗っけた。
母から怒られる座り方だ。
そのうちコンピュータが完全に起動した。
ブラウザを立ち上げる。
前回閉じたページが自動的に表示された。
見ると、やはり書き込みが更新されている。
一通り目を通したあと、僕も会話に参加した。
「おはようございます。僕も読み終わりました。やっぱり面白かったですね」
声に出しながら文字を打ち込む。
「オハヨウゴザイマス。今回モ面白カッタデスネ」
モリサキさんがすぐに返信をくれた。
「今回の叙述トリックも面白かったですね。まんまと騙されました。ただ、僕としてはやっぱり今回も順位の変動はありません。相変わらず”ヒマワリ”です」
「私モ”影”ガ、一番好キナ作品デアルコトニ変ワリアリマセン」
モリサキさんとはネット上で知り合った人だ。
共通の好きな作家の話をして仲良くなった。
お互いに好きな共通の作家というのは、それなりに人気だ。
だが、その作風はかなり尖っている。
ネットでは評価の賛否が分かれている。
僕とモリサキさんは、それぞれ別の作品を通してその作家のことを好きになった。
それが”ヒマワリ”と”影”だ。
モリサキさんと知り合って以来、作家さんの新刊が出るたびにその作品を読み、それぞれのお気に入りを超えたかどうかの報告をし合う。
これが恒例の行事となっていた。
だが、これまで一度として、自分たちのお気に入りが覆ったことはなかった。
「今回ノ叙述トリックハ、タシカニ驚キマシタ。タダ、コノ作者ノ作品ノ”良イ人”ハ、信用デキマセン。ソノ点ヲ警戒シテ読ンデイタカラカ、アマリ新鮮ナ驚キガ得ラレマセンデシタ」
たしかに、そうだ。
なんかインパクトが弱いと思ったのはそのせいか。
モリサキさんの指摘はいつだって的確だ。
僕の中のモヤモヤとした気持ちを、きちんと言葉に落とし込んで代弁してくれる。
僕は、いつものようにモリサキさんの分析に感心していた。
ふと、モリサキさんの発信欄に目が行った。
そこにはモリサキさんの発信場所と思しきマップが表示されていた。
つまり、モリサキさんの今いる現在地だ。
マップには、池か湖と思しき青い囲いが映し出されている。
その形には見覚えがあった。
どこだったかな。
目の前の池と記憶を照らし合わせてみる。
右下部分の突き出ているところが特徴的な形だ。
この池を反時計回りに回転させたら、何かの生き物のようだ。
そう、例えばタツノオトシゴのような。
そうだ!
タツノオトシゴ池。
この池は隣り町にある池に違いない。
まさか、モリサキさんがこんなに近くに居たなんて。
僕は興奮した。
たぶん発信するときに現在位置を誤って発信に乗せてしまったに違いない。
モリサキさんはたしかいつもオフにしていた。
それがたまたま今回は現在地も発信してしまった。
しかも、その場所というのが隣町だ。
インターネットという広大な海でたまたま出会った二人。
それがお隣さんだったなんて。
こんな偶然があるだろうか。
またタイミングもすごい。
お互いに好きな作家の新刊が得た翌日だ。
運命を感じた。
僕は、衝動的にモリサキさんに会ってみたいと思った。
僕の悪いクセだ。
サプライズが好き。
人の驚く顔を見たい。
不言実行。
僕は自分が何をしているか人に言わずに、結果だけを公開してそれを人がどう反応するのかを見たい。
これが、僕の欲求なのだと自分自身で気づいていた。
僕は、モリサキさんに会いに行くことに決めた。
さっそく出発しよう。
コンピュータの電源を落とし、代わりに携帯端末を持ち出した。
すばやく身支度を整えて自室を出た。
玄関に行くまでの廊下で、母に捕まってしまった。
「どこかに行くの?」
母は洗濯物を運びながら僕に訊いてきた。
「うん、ちょっと隣町まで」
僕は正直に答えた。
母は黙った。
静かに僕を見つめている。
母の目からは心配と自責の色が窺えた。
「分かってると思うけど、充分に気を付けるのよ」
「うん、もちろん分かってる。いってきまーす」
母の視線から逃れるように身を翻して玄関を出た。
そのまま一度も振り返ることなく、隣町を目指し始めた。
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