第10話 故郷の人々 1

 翌朝目覚めたマルとシンは、機織りのおばあさんのその家族にお礼を言って家を出た。そして貧しい家々が立ち並ぶ泥だらけの小道から舗装された大通りに出た所で馬車に声をかけて乗せてもらった。

 シンがさっそく御者に向かってここには美人は多いか、とか女性にはどこに行けば会えるか、などと尋ねている。みなアジュ語なので、御者はちんぷんかんぷんらしく、ただ「ふふん、ふふん」と鼻を鳴らし口にくわえた葉巻を揺らすばかりだったが、シンはお構い無しだった。マルはその間、ずっと広々とした水田とその向こうでわずかに梢を揺らしている椰子の木々を見詰めていた。

(ああ、ついに戻って来たんだ……!)

 見慣れた懐かしい景色は、日が昇るにつれてだんだんと明るくなってゆく。もうじき自分の生まれ育ったスンバ村にたどりつく。そこに今ヒサリ先生はいないけれども……。マルは故郷の人達の顔を次々と思い浮かべた。

(学校で一番年下だったおらがもう十八なんだもん。もうみんな結婚したんだろうなあ……ナティを除いては)

 同時にシャールーンやミヌーを思った。二人は奴隷という身分だ。奴隷は主人に売り買いされ、自由に結婚が出来ない。今もロロおじさんの見世物小屋で踊り子をし、小屋の裏では見知らぬ大勢の男を抱いてるんだろうか……。マルはシャールーンの事を思うと胸が痛んだ。

(まあ、ともかくロロおじさんの所に行ってみよう……二人に会えるかな。それからメメやトンニの所にもそれにしても、こんなに変わったおらを見たらみんな何て言うかな)

 マルは四年間着続けいまだに自分にしっくり馴染まないカサン式の制服の袖を引っ張った。

 スンバ村の中心部を過ぎ、いよいよ「森の際」地区に近付いた時、御者が声を張り上げた。

「え、まだ行くんですかい? これから先は妖人どもが済んでいる区域ですぞ」

「もうすぐ橋があるからその手前まででいいよ」

 御者は一瞬チラリとマルとシンの方を振り返って見た。カサン式の制服を身に着けているのに、妖人達の住む区域に行こうとは、こいつらは一体何者だ? と言わんばかりの表情だった。

(ああ、四年たっても、人の心はなんにも変わっていない……)

 川の向こうにずらっと立ち並ぶ竹を組んだ家々は、かつてと寸分違わない様子を見せている。その事にいくらかホッとしている自分にマルは気付いた。変わらない事がマルを傷付けもするし、安堵させもする。かつてはイボだらけの素足で渡っていた橋を、今靴音を立てながら渡る。

「なあ! お前の故郷、相当やべえとこだな! 気に入ったぜ! こういうイカれた場所なんだな、詩人が育つのは!」

 シンは貧しい村の様子に驚きつつも面白がって軽口を叩いている。橋の向こうは、石畳で舗装されていないぬかるみだらけの道だ。四年前、ここから連れ去られた日がまるで昨日のようだった。靴がたちまちクニャクニャと泥の中に沈んでいく。マルはさっそく、靴を脱いだ。こんな所で靴を履いてなんていられない! すぐに、柔らかく温かい泥の感触がマルの足を包んだ。

「おやおや、お前誰だ!? 何だか知ってる奴のような知らない奴のような」

 地面からそんな声が聞こえる。

(土の精だ!)

 マルが足元を見ると、そこにたちまち拳一つ分程の穴が開いたかと思うと、スポン! と土の精が現れた。鼻が長く、シャベルのような形をしている。この鼻で地底に縦横無尽に穴を掘っているのだ。

「おお、マル、だ! イボイボのマルだ! でもなんでイボイボが無くなってそんなに白っぽくなった? 地底のわしらにはおめえの体がまぶしくてかなわん」

 土の精は赤く光る眼をピカピカさせながら興奮したようにクルクル回った。

「おら、そんなに白っぽく見えるかなあ……」

 マルは思わずため息を漏らした。

「おめえ、今、誰かと喋ってたろ!」

 シンが言った。

「そう。土の精。そこにいるの、見える?」

「見えねーな! ところであそこの木の下にいる子、かわいいな! 俺に向かって手を振ってるぜ!」

 マルが驚いて顔を上げると、シンの視線の先には、長い髪のバナナの木の精が、いたずらそうな笑みを浮かべておいでおいでしている。

(そうか! シンは女の妖怪なら見えるんだ!) 

 バナナの木の精が、さっそくマルに話しかけてくる。

「あーら、あんたマルでしょ? 久しぶりね! イボもすっかり無くなって、ハンサムになって……と言いたいとこだけど、あなたのお友達のお兄さんの方がハンサムね!」

「ええ! おらの顔、猿顔に負けちゃう?」

「首から下の事言ってるのよ!」

「首から下だけで決めちゃう? まあそれならシンに絶対かないっこないけどさ」

「なあマレン! お前、バナナの木の精と一体何話してんだ!?」

 シンがニヤニヤしながら尋ねてきた。

「別に楽しい事でも無いよ。君の方がおらよりハンサムだって」

 シンはヒャッヒャッと笑い出した。

「おいおいマレン! 拗ねてんのかよ! それよりこれからどんな面白い場所に連れてってくれるんだい? ま、女性がいる所ならどこでも俺には面白いけどね」

 面白い所、といえばまずはロロおじさんの見世物小屋だ。

「分かった。とびきり面白い所に案内するよ! 映画と同じ位面白いよ。でも女の人を見たからっていきなり抱きついたりしないでね」

「心配すんな。俺は紳士だぜ」

 それはどうだろう? と思いつつ、マルはここに至っていくらか緊張が増してくるのを感じた。シンの事も心配なら、すっかり変わった自分を見てみんなが何と言うかも気になった。

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