第4話 自分の証明


・・・朝の教官ミーティングが終わると副校長から内線電話が掛かってきた。 今日は〝日本人に成りすます準備〟をするという。・・・



副校長室にはダークなスーツを身に纏った2人の男が待ち構えていた。

黒人男がペンタゴン国防総省のエージェントだと名乗ると、今からペンタゴンに行くと告げてきた。

もう1人の短髪で生え際が後退した白人男は名乗りすらしない… あくまで業務の一環という事だろう。



私は黒いシボレー・サバーバンに乗せられた。



運転席と助手席には先ほどの屈強なエージェントが座っている。

イヤーピースにサングラス、お約束のスタイルだった。

白人男がV8 OHVエンジン特有の音を奏でながらサバーバンを発進させた。


3番ゲートから通りに出て、メリーランド州議会前の交差点を右折する… ロウ・ブールバード通りを直進してハイウェイに入った。


サバーバンがもっさりと加速してゆく…


ここからペンタゴンのあるワシントンDCまでは1時間弱位の距離である。

運転しているジェイソン・ステイサムそっくりの頭髪をしている白人男は、金縁のレイバンのパイロットグラス、助手席の黒人男の方はゲイターズのサングラスを付けていた。


…しかし、この二人は副校長室を出てから一言も喋らない。


このまま小1時間過ごすつもりだろうか?

軽い咳払いをしてみたが、二人には何の反応も無い… この男達は私と会話を楽しむつもりは無いらしい。

それならそれで良いだろう… 会話をする気のない人間に無理に話題を提供する意味は無いのだ。


沈黙は嫌いでは無いが久しぶりのドライブで天気も良い。

このままV8エンジンの音だけを聞いているのは勿体ないと感じた。



「ラジオを付けて貰えないか? 久しぶりのドライブなんだ。」



助手席の黒人男が無言でラジオのスイッチを押す。

トンプソン・ツインズの「In the Name of Love」が流れてきた… ポップロックの軽快なリズムが心地良い。

新緑の広大なファームの景色を眺めながらハイウェイを走り、アナコスティア川に架かる橋を渡る… この川がアナポリスのあるメリーランド州とワシントンDCの境界線になっているのだ。

橋を渡れば直ぐにニューヨーク・アベニューのノース・イーストに入る。


ポップロックとDJの軽快なトークを聞きながら渋滞も無く順調に走ってきたが、サード・ストリートのトンネル手前で渋滞に嵌った。



「大尉、10分ほどで到着です。」



運転席の白人男が唐突に話し掛けてきた。

初めて声を聞いたが心地良い低い声である… 所謂いわゆる、バリトンボイスという声質だ。

アジア系ではこの手の声を出す奴は少ない。…というか、アジア人とアングロサクソン系では骨格的に違うので、アジア人でバリトンボイスを出す者は極めて少数派なのだ。


実に羨ましい…。


そんな事を考えていると、連邦政府庁舎が見えてきた。

この先のポトマック川に架かる橋を渡ればペンタゴンの敷地に入る。

黒人男がラジオのスイッチを切った。


ゲートで停車すると運転席の白人男がウィンドウを下げる… 言葉遣いは丁寧だが、視線の鋭い黒人女性が車のウィンドウを全開にしろと言っている。

… 前席2人の簡単な確認が終わり、私にもIDの提示を求めてきた。

アナポリス教員のIDを提示するとパーソナルIDの提示も求めてくる。

私だけ別の端末に入力して細かくチェックしていた。


2分ほど掛けて確認をすると〝進んでいい〟というジェスチャーを出した。


建物に一番近い駐車場に車を止めて正面の入口に向かう。

ガラス張りのフロアが見えてきた… フロア内には多くの警備員がいる。

全員、腰にグロック17をぶら下げていた。



多少の緊張感を持って正面玄関からペンタゴンへと入った。



先ずは、金属探知機がセットされたチェック・ゲートを通過しなければならない。

このゲートを通過しないとフロアには入れないのだ。

黒人男が先に通過すると白人男が続いた。



白人男が振り返り私に ”来い” と手招きをする。



私も無事にゲートを通過する… フロアと私を隔てていたロック・バーが解除された。

すると、近づいてきた警備員に一番左の受付に行くようにと指示を受けた。

警備員2人に左右を挟まれる状態でカウンターに到着すると、手前にあるテーブルに〝持ち物を全て出すように〟と指示をされた。



カウンターの中から更に二人の警備員が出てきた。



一人はカウンター越しに私の正面、もう一人は距離を置いて私の後方へと回り込んだ… 物々しい入館チェックに、私を運んできたエージェント達にも緊張が走るのが伝わってくる。



後ろに回った男から、少なからずの殺気を感じた…。



両手を動かさずに頭だけでゆっくり振り返り確認する… すると、私から視線を外さず腕は組んでいない事が見て取れた。

お互いの射角に一般職員が入らない場所に立っている… 距離もそこそこ取っており、いつでも銃を抜けるという姿勢だった。



一人が鞄の中身を入念にチェックを始めた。



もう一人の警備員の手には金属探知機が握られている。

私の頭から爪先までに視線を送った後、両腕を左右に上げ両足を軽く開けと言う。

入念なボディ・チェックである。

カウンター内と後方に回り込んだ警備員は私から視線を外す事はなかった。


不愉快なボディ・チェックだが、これは致し方あるまい。


9・11同時多発テロでペンタゴンも標的になっている。

世界貿易センタービルへ旅客機が突入する映像は繰り返し流されたので記憶に新しいが、ペンタゴンの敷地にもハイジャックされた飛行機が墜落しているのだ。


二人掛かりでのボディチェック、警備員二人での監視… 合計4名での盛大な歓迎会が終わると、やっと入館許可証が発行された。


カウンター内の女性職員が無機質に注意点の説明を始めている。



「…この許可証は退館するまで必ず身に付けておいて下さい。身に付けていない場合は拘束される場合があります。 貴方が入室出来るのはブルーエリアのみです。 入室の際はロック解除センサーにこの入館証を翳して下さい。 退館の際は忘れずに返却して下さい。」



事務的でロボットのような説明を終えると、首にぶら下げるタイプの入館証を差し出してくる。

私は入館証を首に提げて戯けてみせたが、無機質に頷くだけだった。


鞄を手渡しされて振り返ると、後方に回り込んでいた警備員からの僅かな殺気は感じなくなっていた。

腕を組みながらぼんやりとした視線で私達を眺めている。

私を車で運んできたエージェント達は書類に何やらサインを交わしていた。

彼等の仕事は此処までなのだろう。


サインを終えたエージェントの白人男は私に視線を送ると、バリトンボイスでこう呟いた。



「あんた、一体何者なんだ? 」

「…アナポリスの教官だよ。」



そう返すと、隣で腕を組んで聞いていた黒人男が白い歯を見せてニヤリと笑った。

私達のやり取りを聞いていたペンタゴンの警備員は軽く肩を竦めている。


業務を引き継いだペンタゴンの警備員に連れられてエレベータに乗った。


地下のフロアは細かくエリア分けされており、移動するたびに入館証でIDチェックを行うシステムになっている。

入館している人間が何処に居るかを管理しているのだ。

誰かの後に付いて行けば侵入可能かとも思ったが、これだけの監視カメラをくぐり抜けるのは無理だろう。



監視カメラを気にしながら歩くと、いつの間にか白衣の職員だらけになっている… 医療エリアだろうか?



個室に案内され、若い白人職員から顔写真と全身の写真を色々な方向から撮影された。

撮影が終わると下着姿になれという。

見た事もない機械で全身をスキャンされた。

”為すがまま” という状態である。



次は病院服に着替えさせられた… 身体検査だろうか。



個室を転々としながら、心電図に検尿採血… MRI撮影も行われた。

もう、好きにしてくれという感じになった。

3時間弱掛けたメディカルチェックが一通り終了すると、ワクチンの注射をするという。

変な物を身体に入れられるのは御免なので、これにはしっかりとした説明を求めた。



すると〝肺炎球菌ワクチン〟だという。



軍隊では任地で発生する風土病への対応としてワクチン接種が行われる。

即応部隊員に対しては定期的に感染症対策としてのワクチン接種(インフルエンザ・肺炎球菌ワクチン等)も行われているが、アナポリス勤務になってから肺炎球菌のワクチン接種はしていなかった。


私は納得して接種して貰った。


次は針の太い注射器が用意されてきた… 尋常ではない太い針だ。

まるで、牛や馬に使うかと思われるほどの針である。

こんな太い針を何処に打つのだろうか?

これにも大きな疑問が湧いたので質問してみた。



「この注射は何だ?」

「これはデジタル・ドッグタグですよ。貴方のパーソナルIDや軍籍情報・血液型・病気・怪我・既往症・アレルギーの有無などが入力されています。 負傷したときにスキャンすれば、貴方への迅速な医療対応を可能にする物ですね。あぁ、それと…」



一瞬、間が空いた。



「死亡した時の本人確認にも使います…。」



兵士の身体がデジタル管理される…

そんな時代が来るとは思っていたが、以外に早く到来していた。

しかし、個人の情報や軍籍が敵にバレる可能性もある。



「軍籍や個人の情報が敵方に漏れたらどうする? 潜入任務には向かないな。」

「データは高度な暗号化処理がされているそうですよ。専用のスキャナーで無ければ、解読に膨大な時間が掛かると聞いています。それと、専用の送信機で無ければ書き換えも出来ないみたいですね。」



今回は身分を偽った潜入任務だった。

私は週明けから〝アナポリス帰りの日本国陸上自衛官〟に化けるのだ。 本人を証明する物があった方が良いだろう… いや、良いだろうではない。

任務が終了した時に〝私はアメリカ海兵隊員 ケント・カザマ大尉だと示す証〟がなければいけないのだ。



「趣旨を理解した。やってくれ。」

「分かりました。それでは大尉、利き腕とは違う手を出して下さい。」


「…手? 手に埋め込むのか?」

「はい。親指と人差し指の間に柔らかい部分がありますよね? ここは手の動きに最も影響が少ない場所なんです。日常生活はもちろん、射撃やスポーツにもです。」



私は治療台の上に左手を載せた。

鉛筆の芯より太い注射針が近付いて来る。



「では、大尉。人差し指と親指をくっつけて貰えますか?」

「…あぁ。」

「親指の付け根の内側に膨らみが出来ましたよね? この膨らみの中にチップを埋め込みますのでご理解下さい。」



左手全体に消毒液のスプレーが掛けられた。アルコール臭が鼻を突く。

鉛筆の芯より太い針が刺さる… 疼痛が走った。

止血用のシールを貼り付けて、マイクロチップの埋め込みは終わった。



「太い針を使ったので暫く押さえておく必要があります。このシールは10分間ほど外さないで下さい。それでは、私はこれで失礼します。」



敵の頭を撃ち抜いても何とも思わないのに、自分に打たれる注射器には若干の恐怖を感じた。

やはり私の感覚は何処かおかしい。… 思わず苦笑いが出た。



白衣の男性が退出した数分後、ドアが3回ノックされた。

どうやら、私への対応は分刻みでスケジュールが組まれているらしい。

すると、確認もせずにドアが開かれた。



「カザマ大尉、ご苦労さま。」



次の担当はマッケンジー中佐だった。

…が、2日前とは全く違う目をしている。



「私の担当時間は10分後なんだが… 早く終わったと聞いたので来てみたよ。ちょっと話をしても良いかな?」



私は無言で頷いた。



「良い返事をもらえて嬉しいよ。 ありがとう。 私はこの任務を成功させる為に全身全霊で務めるつもりだ… よろしく頼む。」



マッケンジー中佐は右手を差し出してきた。

私は立ち上がり右手を差し出す。

ゴツイ手が力強く握られてきた… 私も強く握り返す…。



ひとしきりの握手を終えた中佐は、拷問されて死んだスコット・ウィリアムズ上級曹長の話を始めた。



…参謀情報部でスコット班の作戦サポートを何度もした事。

…情報部の掴んだネタで韓国側DMZ(非武装地帯)に侵入した北朝鮮特殊部隊をスコット班が待ち伏せで闇に葬った事。

…沖縄のキャンプ・シュワブ近くにある小さなバーで偶然会ったとき、盛り上がり過ぎて店のビール樽を空にした事。


スコット・ウィリアムズ上級曹長のチームを日本側の問題で出動させる必然性は全くなかった事などをしみじみと語った。

マッケンジー中佐もやりきれない痛みを抱えていたのだ。

私は言い過ぎてしまった事への自責の念に駆られた。



今度はドアが2回ノックされた。



開かれないドアに向かってマッケンジー中佐は「入れ。」 と声を掛けた。

自分は確認もせずに入ってきた癖に… という思いは飲み込んだ。


海兵隊員が台車を押しながら部屋に入って来ると私達に向けて敬礼をし、無言でコンパクトな機器のセッティングを始めている。


事務的な視線で海兵隊員を見ていたマッケンジー中佐が私に視線を向けた。



「人体用マイクロチップは参謀情報本部が主導している案件だ。 今回の作戦で君への埋め込みを決めたのは私だよ。 今回の作戦は大掛かりな〝成りすまし作戦〟だからな。作戦が成功した後、元のケント・カザマ大尉に戻る証拠を君の身体には残しておかなければならない。」



マッケンジー中佐の口振りは事務的に聞こえたが、言っている事は正しかった。

今回の作戦は〝日本人自衛官に成りすましてアメリカを出国する〟という偽装作戦から始まる。

任務が開始された時点で私の存在は一時的に 〝消去〟 されるのだ。

仮の話だが、アメリカへ戻ってきた時に作戦を知っている者が全員居なくなってしまったならば、私は元のケント・カザマには戻れなくなる。



「よし、準備OKだ。マイクロチップをスキャンするぞ。君も確認してくれ給え。」



中佐は赤いラインの入ったスキャナーを私の左手に翳した。


〝ピン〟という音がした後、モニターの画面に私の名前・パーソナルID・血液型・軍での所属などが表示された。

念のため、IDカードの番号を確認する。間違ってはいない… 大丈夫だった。



「チップには〝本当の君〟が間違いなく記録された。 安心してくれ。 現時点でチップの情報を書き換えるには、あの送信機を使わなければ不可能だ。」



マッケンジー中佐の後ろで、青いラインの入った送信POTを手にした海兵隊員が軽く敬礼をしていた。



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