仕組まれた婚約破棄、それは私が殺人者に仕立て上げられるため
銀野きりん
第1話 曲がった出会い
夕刻、家の裏庭に出た私は、周囲を見渡し、近くに誰もいないことを確認した。
私には、人に知られてはならない秘密がある。
どうしてこんなことになってしまったのだろうか。
重たい気持ちのまま、私は足下に魔法陣を張った。青白い幾何学的な文様が地面に浮かび上がる。
魔族に通じる呪文を唱えた後、私はこう叫んだ。
「召喚せよ! 我が下僕となる魔の国の者よ!」
じっと魔法陣を見つめ続けた。しかし、何も起こる気配はない。その内、青白く輝く魔法陣は光を弱め、その姿を消してしまった。
やっぱり駄目だわ。
私は落胆し、深いため息をついた。
庶民の生まれだった私は、特殊な能力を持つおかげで貴族の地位を与えられていた。その特殊な能力とは「魔族召喚術」といわれる魔法で、私は生まれながらにしてその特異な術を使うことができた。
「魔族召喚術」とは、文字通り魔族をこの世界に呼び出す魔法のことである。通常、魔族は人間に危害を加える恐ろしい生き物なのだが、なぜかこの術によって呼び出された魔族は、召喚者の下僕となり思いのままに操ることができた。
魔族召喚術は、かなり希少な上級魔法で、この広大なファン王国の中でも、その魔法を使える術師は数人ほどしか存在しない。私は、そんな珍しい魔法が使えたおかげで、グアール国王の命令を受け、貴族階級の特権を得たのであった。
しかし、私の魔族召喚術には大きな問題があった。
子供の頃は簡単に出来ていた魔族召喚術なのだが、成長して大人になるに連れ、その術が使えなくなってしまったのだ。
魔族召喚術が使えない私は、何もできないただの役立たずにすぎない。今こうして特権階級である貴族になれたのも、術が使えたおかげなのだ。
もし、私が魔族召喚術を使えなくなってしまった事を、皆に知られてしまったらどうなるのだろう。貴族の地位が剥奪されるかもしれない。いや、そればかりではない。使えない術を使えるようなふりをしていた私は、皆から蔑まれ、何らかの罰を与えられるかもしれないのだ。
術が使えなくなった最初の頃は、きっと時間が何もかもを解決してくれると思っていた。そのうち以前のように術が使えるようになり、隠し事をしなくてもよくなる日が来るだろうと期待していた。けれど、その期待は現在のところ裏切られている。
もう本当のことを皆に告白したほうがいいのではないのか。正直に真実を伝えて、自分自身を楽にしてあげたほうがいいのでは。
そんなことを思い始めた時、ある男が私に近づいてきたのだった。
晩餐会の夜、庶民上がりの私には仲の良い貴族の友人もおらず、一人でぼんやりと立ち尽くしている時、その男は声をかけてきた。
「あなたは、もしかしてピティエさんですか?」
「はい」
そう返事をした私は、声のする方向へと顔を向けた。
そこには王族を表す白のタキシードに身を包んだ男が立っていた。男はまだ若く、私と同じく二十歳くらいだろうか。背は、小柄な私よりかは高いのだが、それでも一般男性の平均身長よりはあきらかに低かった。表情にはどこか影があり、その顔を覆う金髪は長く伸び、耳まで隠してある。
「私はサディゴウ公爵家のホーハイトというものです。王位継承順位第二位の王子です」
第二位の王子が私なんかに声をかけてくるなんて、どうしてだろう。
私が不思議に思っていると、ホーハイトは手に持ったワイングラスを差し出してきた。
「ぜひあなたとお話できればと思いまして」
「私と、ですか?」
「はい。魔族召喚術を使うことのできるピティエさんとお話がしたくて失礼ながら声をかけた次第です」
庶民出身で下級貴族の私に、一国の第二王子が直接声をかけてくるだなんて、どういうこと?
そうは思ったが、もともと私は難しいことを考える女性ではなかった。天真爛漫さと笑顔が売りの女性だった。なので、ホーハイトが話しかけてきた不思議な状況でも、臆することなく笑顔で応えた。
「魔族召喚にご興味をお持ちなのですか?」
「ええ、とても興味があります。いろいろ教えて頂けませんか」
「もちろん」
私は聞かれるままに自分の知っていることを正直に話した。ただ一つ、嘘をついてしまったことがある。それは、私の魔族召喚術が、全く使えなくなっているという事実を捻じ曲げて伝えてしまったのだ。
「召喚魔法は難しい魔法で、たまには使えないことがあるのです」
私はそう説明したのだ。もちろん実際は違う。たまには使えないのではなく、全然使えないのだ。
そんな私の話を、ホーハイトは興味深そうに聞いていた。そしてこんな質問をしてきた。
「例えば召喚した魔族を使って、人を襲うことも可能なのですか?」
「そんな恐ろしいことは考えたこともありませんが、可能だと思います」
「では、魔族に襲われ死んだ人がいるとします。それはたまたま魔族に出くわしてしまったのか、召喚された魔族に襲われたのかは区別がつかないものなのですね」
「まあ、そうです。ただ召喚された魔族の近くには魔族召喚を行った魔法使いが必ずいます。違いと言ったらそのくらいで、確かに区別はつきにくいと思います」
それを聞いたホーハイトは満足そうに頷いた。
「変な質問をして申し訳ありませんでした。単に思いついたことを聞いただけですので、お気を悪くしないでください」
そう言うと彼は下を向きながらこんなことを言ってきたのだ。
「ほんの少しお話しただけですが、私はピティエさんの魅力に取り憑かれてしまいました。是非あなたとお付き合いしたい。近々、私と二人っきりで食事でもどうですか?」
さすがにこの言葉には脳天気な私も驚き、すぐには返事ができなかった。
私は決して美人ではない。どちらかと言えば可愛いい部類の女性なのだが、外見で男性を射止めてしまうようなタイプではなかった。そんな私にいきなり告白にも近い言葉を伝えてくるだなんて。
他人がこの光景を見たら、何かおかしいと感じたのかもしれない。しかし「付き合いたい」と言われた当事者にしたらどうだろう。私は、ホーハイトの言葉にすっかり舞い上がってしまっていた。ホーハイトはとても美男子とは言えない人物だったが、どこか影がある不思議な魅力を兼ね備えている男性だった。しかも、王位継承権第二位の王子だ。
「二人で食事ですか?」
「はい。はっきり言えば、私はひと目見てピティエさんのことが好きになってしまったのです」
「好き……、私のことが……」
「ピティエさんのことをもっと知りたい。あなたとこれからの事をいろいろ話し合いたい」
それからホーハイトは、言葉通り私をいろいろな場所に誘い、一緒に過ごす時間を増やしていった。そして、国王主催の舞踏会では、ずっと二人っきりで踊り続ける仲になっていた。
「君と正式に婚約したい」
ある時ホーハイトは、笑みを浮かべながらそう言ってきた。心の奥底までは読み取れない、冷たさを漂わせた不思議な笑みだった。
「はい。私などでよろしければ」
私は、少し怖い気がしたけれど、ホーハイトとの婚約を承諾した。承諾と言っても、元々私の側から断ることができる申し出ではなかったのだけれど。ホーハイトは第二王子、私は庶民出身の下級貴族、誰が見ても不釣り合いな相手だったが、王族からの婚約の申し出となると簡単に断ることなどできないものだ。
それに、私には結婚をして家庭を持つという行為に対して、特別な思い入れを持っていた。簡単に言えば、私は家庭というものに異常な憧れを抱いていたのだ。
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