本編より長いオマケ

4.絶対ですよ?

 西暦で言えば一四八五年、和暦で言えば文明ぶんめい一七年の安房あわ、千葉県南部の春の午後、里見さとみの居城である滝田城たきだじょうは、盛大な祝賀ムードに盛り上がっていた。


 関東管領かんとうかんりょう扇谷おうぎがやつ定正さだまさ山内やまのうち顕定あきさだ古河公方こがくぼう足利あしかが成氏なりうじまで加わった里見討伐さとみとうばつの連合軍との関東大戦を、ついに勝ち抜いた。


 仇敵きゅうてきを失脚させ、あるいは懺悔改心ざんげかいしんさせ、室町御所からは賞揚しょうようを受けて、所領は安泰あんたい、戦国の世の不条理よ我らが勧善懲悪の天道を見よ、と言わんばかりだ。


 その立役者こそ、里見さとみ御家おいえに結集した八人の勇士、伏姫ふせひめたま八房やつふさ牡丹ぼたんのあざを持つ、宿命の八犬士だ。


 大広間で安房あわ里見さとみの二代目、里見さとみ義成よしなり拝謁はいえつし、そろいの直垂ひたたれで整列した彼らは、実に勇壮かつ美々びびしい威風をただよわせていた。


 加えて今、里見さとみ義成よしなりの横には、八犬士を導いた僧のヽ大ちゅだい法師ほうしと、瑞々みずみずしく輝かんばかりの八人の姫が居並んでいた。


 それぞれに色鮮いろあざやかな大袖おおそでをまとった彼女たちは、皆、義成よしなりの娘だった。


「我が娘たちながら、どうだ、法師ほうし! 美人ぞろいの上に、ちょうど八人と八人。えにしを結んで御家おいえを支えてくれれば、安泰あんたい盤石ばんじゃく、これにまさるものもないだろう」


「はい。まことに、御意ぎょいに存じます」


「そこで、だ。法師ほうしひらめいた」


「は……?」


 義成よしなりには八女の下に、二男もいた。


 八女の方は長女以下、双子が三組続いて、末娘に至るまでが連チャンだ。旧暦で十月十日とつきとうか、太陽暦で二八〇日としても、妊娠、産後二ヶ月でフルスペック回復してまた妊娠、を足掛け五年繰り返したことになる。


 さすがの妻もブチギレたようで、しばらくストライキのレスだったっぽいのが、生々しい。


 それでも後に、続けて二人の男子を産ませているのだから、義成よしなりは、精一杯のオブラートに包んでも愛の深いサイコパスだ。


 この祝賀の大広間でも、そのサイコパスぶりを、如何いかんなく発揮した。


「くじ引きにしよう!」


 いずれ劣らぬ八人の勇士、八人の美姫びきだ。


 特に姫たちは、長い黒髪と透き通る白い肌、睫毛まつげの影にけむるような宵闇よいやみの瞳がうるむ、神々しいとまでたたえられた伯母おばにあたる伏姫ふせひめゆずりの美貌びぼうだった。


 功臣こうしん主君しゅくんの姫の縁組えんぐみだ。義成よしなりとしては、ぶっちゃけ、どれが誰でも不満はないだろう、という感覚だった。


 この時代、この状況で、この発想に、断固としてを唱えられるロジックは存在しない。


 祝賀ムードの大広間に、一瞬にして、超重力の暗黒星雲が発生した。


「……信乃しのさま信乃しのさま信乃しのさま信乃しのさま信乃しのさま信乃しのさま信乃しのさま信乃しのさま信乃しのさま信乃しのさま信乃しのさま信乃しのさま信乃しのさま信乃しのさま信乃しのさま信乃しのさま……」


 光さえ飲み込むシュヴァルツシルト半径の中心は、十七歳の五女、浜路姫はまじひめだ。


 浜路姫はまじひめは、数奇な運命をて冒険行を重ねる八犬士に出会い、その一人、犬塚いぬづか信乃しのに恋をした。信乃しのもまた、かつて義兄妹として育ち、おもい合う仲であった少女と、同じ名前、面影おもかげを持つ浜路姫はまじひめかれた。


 実際は、涙ながらに駆け落ちを懇願こんがんされても、出世が第一だから待ってろ、と武士の模範解答で田舎に放置した結果、悪漢にさらわれて惨殺された元祖がんそ浜路はまじに、もあっただろう。


 当の元祖がんそも、それにつけ込んで、ドヤ顔(?)で化けて出たものだ。


「……うらみつらみはきませんが、まあ、この辺で勘弁してあげます。その代わり、この浜路姫はまじひめを私と思って、妻にしてあげてください。絶対ですよ?」


 旅の一夜、だいぶ長い三者面談の最後にこう言われて、正座の信乃しのに、いなやはなかった。


 浜路姫はまじひめとしては、恋しい男が自分に昔の女を重ねている、と考えれば複雑そうなものだが、すべて運命の愛で片づけた。以後は元祖がんそと強力なタッグを組んで、質量を持った情熱を信乃しのささげてきた。


 その大願たいがんが、あろうことか父親の一言によって、成就目前じょうじゅもくぜんで確率論にはばまれたのだ。


「「信乃しのさま信乃しのさま信乃しのさま信乃しのさま信乃しのさま信乃しのさま信乃しのさま信乃しのさま信乃しのさま信乃しのさま信乃しのさま信乃しのさま信乃しのさま信乃しのさま信乃しのさま信乃しのさま……!!」」


 重力の底に沈むような浜路姫はまじひめの、梔子色くちなしいろ大袖おおそでの背後に、元祖がんそ浜路はまじもほぼ実体化している。


 ダブル浜路はまじにとって、不確定性原理ふかくていせいげんり量子力学りょうしりきがくも関係ない。シュレディンガーの猫が、箱の中で生きていようと死んでいようと、この宇宙に夫は犬塚いぬづか信乃しのしかいない。いないのだ。


 二十五歳のさわやかイケメンな信乃しのも、貝のように凝固している。他の七犬士と仲良し姉妹の七人が、戦慄せんりつと殺気を込めた視線で、ふるえながらくじ引きのを準備しているヽ大ちゅだい法師ほうしを見た。


『わかっているんでしょうね、法師ほうしッッ!』


 人生そのものが巻き込まれ事故の連続な法師ほうしも、蒼白そうはくだ。はしを握って隠した八本のを、すでにてのひらの冷や汗でしんなりとさせながら、おずおずと差し出した。


 浜路姫はまじひめの、白魚しらうおのような指が、時空領域を圧壊させる重さで動く。戦犯の義成よしなりだけが感じていない極限の緊張感の中、の一本が引かれた。


 はしに、こうの文字が書かれていた。信乃しのたまの文字だ。


 大広間だが、天にとどく青空ににじがかかり、雲間くもまから陽光が降りそそいだ。異教の天使がかねを鳴らし、喇叭らっぱを吹き、花吹雪を散らした。


 勢いで昇天しても良さそうなものだが、元祖がんそ浜路はまじ浜路姫はまじひめは、むしろ信乃しのそっちのけで熱い涙の抱擁ほうようを交わした。そう、お楽しみはこれからだ。


 こそこそと、すべてこうと書かれた七本のふところに隠しながら、法師ほうし信乃しのささやいた。


信乃しのさま……無駄とは思いますが、一応……霊障れいしょうが深刻になる前に、法要ほうようなどいかがでしょう……?」


「ありがとう……お気持ちだけ、もらっておきます……」


 信乃しの項垂うなだれつつ、力なく笑った。崇高すうこうな、殉教者じゅんきょうしゃの顔に似ていた。

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