私の嫌いな『私の悪癖』
きゆう
第一章 私が彼と付き合うまで(中学編)
第一話 私は私が大嫌いだ
……私は、私が大嫌いだ。
ちょっと緊張したりすると、すぐにおしっこが我慢できなくなってしまう私が、堪らなく嫌いだ。
誰かに話すことができれば、少しは楽になれるのかもしれないが、そんな友達――私にはいない。いたとしても、おしっこが我慢できないなんて、小さな子供のような悩み、相談することなんてできないだろう。
……はあ。
心の中で大きなため息をつきながら、私は寒さでかじかんだ手を擦り合わせて温める。暖房もない古い造りの体育館は、隙間風が抜けてただでさえ寒いというのに、今日は春としては異例の寒波が襲来して、染み入るような寒さだった。
今日は、人生で一度きりの晴れの舞台。三年間、お世話になった校舎や先生に別れを告げる、中学校の卒業式だというのに、外は生憎の曇り空である。
『卒業生代表挨拶――』
厳かな雰囲気で進行していく式の中、卒業生代表として名前を呼ばれた私は、よろよろとしたおぼつかない足取りで壇上に登っていく。
その不自然な歩き方にはもちろん理由がある。
……どうしよう。おしっこ行きたいよ……。
今にも泣き出しそうになる下腹部を庇いながら、私はゆっくりと階段を登っていく。
少しの緊張で、おしっこが我慢できなくなってしまう私にとって、卒業生、在校生、その他来賓や教師の前に立ち挨拶するなど、地獄でしかない。
前日から水分を控え、開式の前にもしっかりトイレに行ったというのに、今ではすっかりおしっこがしたくなってしまっていた。
……実を言うと、もう何度もちびってしまっている。
そのせいで湿った下着は、ピッタリと張り付き、氷のような冷たさだった。その冷たさによって、尿意の高まりに拍車がかかる。
そもそも、ちょっとしたことでもすぐに緊張してしまう、あがり症の私が、なぜ卒業生代表なんて大役を務めているのか。それは、先生からどうしてもと頼まれ、引き受けた生徒会長という役職によるものだった。
生徒会長の席は、二学期の選挙で二年生に譲ってあるのだから、卒業生の代表は別な生徒が務めてもいいと思うのだが、わざわざこんな面倒な仕事に手を挙げるような物好きはそういない。
人からの頼みを断れるタイプでない私に、先生からの頼みを断る勇気はなかった。初めからそんな度胸があるなら、そもそも生徒会長になんてなったりはしない。
……これが終わったら、恥ずかしくてもトイレって言おう。
私は密かに心に決める。
そうでもしなければ、間違いなく式が終わるよりも前にお漏らしをしてしまうだろう。
小学生の時、教室で粗相をしてしまった時のことを思い出しながら、私は唇をきゅっと結ぶ。
中学校最後の日。春からは高校生として大人の階段をまた一段登るというのにお漏らしなんて、絶対に嫌だった。小学校の二の舞には、絶対にならない。
壇上に上がった私は礼をして、体育館を埋め尽くす多くの人たちの前に立つ。
思わず、恐怖で足がガタガタと震えそうになった。
「…………」
奇しくも、小学生の時にお漏らししてしまった時と極めて酷似した状況。
クラスメイトの前で、黒板に問題の解答を記入しながら、じわりじわりと下着の中に温もりが溢れていってしまう感覚を、今でも昨日のことのように思い出せる。
……どうしよう。これ、ダメかもしれない。
背筋をピンと伸ばした瞬間に、じわっとおしっこが出てしまった。
冷え切った下着の中に、一過性の体温が広がる。
本当なら、今すぐにでも手でぎゅっと押さえたいところだったが、衆目に晒されている状態で、そんな幼い子供のような真似はできなかった。
……ダメ、止まって!
そんな願いも虚しく、限界まで我慢したおしっこは、どうやっても止まってくれない。
必死に太ももをピッチリと閉じて押し止めようとするが、長時間に渡る尿意との戦いで疲弊し切った筋肉は、何の役にも立たなかった。
……あ、嫌……!
やがて、パタパタという音を立てて、床に水滴が垂れ始める。
意思に反して出てしまったおしっこをどうにか止めようと、私は反射的に、両手でぎゅっと股の間を押さえてしまった。
その瞬間、しぃ――と本格的な決壊が始まった。
寒さでかじかんだ手には熱い温もりが広がっていく。
私が涙をこぼすと同時に、スカートを突き抜けたおしっこが、ビチャビチャと床に薄黄色の水溜まりを形成していく。あまりの寒さゆえに、白い湯気が立ち上った。
……私、またやっちゃったんんだ。しかも、こんな大事な日に、こんな大勢の前で。
どうすることもできず、びしょびしょになった手で顔を覆い、しゃがみ込んでしまう私。
目を逸らしたくなるような失態に、私の意識は白に染まっていった。
――――――
「……夢?」
布団から出るのも億劫になるような寒さの中、私は最悪な目覚めを迎えた。
背中から腰にかけて、ぐっしょりと湿ったパジャマが張りついてくる気持ちの悪い感触。
そして、蒸れたおしっこの臭い。
それらは、寝起きで不鮮明な思考を明瞭なものとするには、十分すぎるほど鮮烈だった。
「久しぶりにやっちゃった。何も敷いてないよ。お母さんになんて言おう……」
私は大きくため息をつく。おねしょなんて、小学校の頃に卒業したというのに、まさか中学校生活も残すところあと数日というところでやってしまうとは。
しかし、やってしまったものはしょうがない。隠そうと思って隠せるものではないのだから。
私に残された選択肢は、素直にお母さんへ謝る以外になかった。
「正夢にならなきゃいいな……」
むくりと、薄黄色のシミが広がったベッドから這い出しながら、私は浮かない心で呟いた。
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