三話   不幸しか知らない画家が、幸せしか知らない女優に恋をした

コーカサスの国グルジアは、19世紀に帝政ロシアに併合された。

かの名曲「百万本のバラ」は、そこを舞台にした画家の悲恋の歌である。

ある日、フランスの女優マルガリータが訪れ滞在した。

貧しい孤高の画家は一目で恋をした。当然の如く叶わぬ恋である。

でも、彼は思い立ったのである。すべてを売って、たくさんのバラを買おう。

それを彼女の居る宿の前に添えよう。そして窓から見下ろす姿を見よう。

そう、それから消えようと。旅に出よう、と。


だがである、時はちょっとした慈悲を見せた。見せたと思いたい……

その画家に窓から声が飛んで来た……


女優「あの、ちょっと待って、あなた、あなたのやったことなの?」

画家「ええ、そうはそうですが、これは私の気持ちを表しただけなのです」

  「とんだご迷惑をおかけしました。拾い集めて置きます」

女優「いいえ、そうではないの、こんなにもある赤いバラ見たことないわ」

  「あなたは、この私の為に買い集めて来たのね。どうして、また」

画家「話していいのですか、でも、こんな私のことなんか、どうか気にせずに」

女優「ねえ、あなたは何をしている人なのですか、せめて教え」

画家「不幸しか知らない男です。それを絵に描いているだけの男です」

  「そんな私に初めて光が差したのです。最初で最後かも知れませんが」

女優「あなたの話を、もっと聞かせてはくれませんか。そちらへ降りていくわ」

画家「いいえ、いまのままで居てください。私には眩し過ぎますから」

女優「今言ったわよね、不幸しか知らないって何? それって、どういうこと」

画家「それは、その、私たちは国を失ったのです、ロシアのせいで」

  「人々の心は荒みました、古き良きグルジアは消えかかっています」

  「私はそんな民をたくさん見て来ました。自分に重ねて描いているのです」

女優「よくわからないわ、不幸って、幸せではないってことなの、どういうの」

画家「あなたは光の只中にいます。それでいいのです。影なんか知らないほうが」

  「私と言う影は、あなたと言う光に出会えて嬉しかった、それだけです」

  「どうか、このまま光輝いててください。お邪魔をしてしまいました」

  「では、これ位にしましょう。私は、これから旅へと消えます」

女優「あっ、ねえ、お願い、どうかいつか私の絵を描いてはくださらない」

画家「はい、いいですとも、こちらこそ、喜んでそうします」

  「なにせ、私の心を温めてくれました。しがない絵ですが、必ず」

女優「あなたは私に、私の知らない世界を気付かせてくれたわ、影なのね」

  「この世は、光と影なのね。あなたは光をもっと知って」

  「私は私で、影を知ろうとするわ。きっと、私を描いてください、ね」

画家「では、これでお別れ致します。失礼しました」

女優「画家さん、最後に、夢の中でいいからフランスに来てくださいませ」

画家「はあっ、では……」



登場人物の男は、グルジアのピロスマニと言う画家である。

当地トビリシにやって来たフランス人女優に、束の間の恋をした。

百万本のバラを贈り、それを見ている彼女を、そっと見ようと。

それを見届けてから、旅に出たのであった。後に彼女を描く。


……聖母マーラは娘に生を与えたけど、幸せはあげ忘れた……

原作はラトビアのもっと悲しい歌、「マーラが与えた人生」である。

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