第12話 鉱石種の大真竜
祝宴の翌日――
拠点の中心のテントにキャラバンの主立った者たちが集まっていた。
「それじゃ、例のお話の真偽を確かめて、不安要素をまとめて取り除いちゃおう」
中央の椅子に座るアリスは笑って言う。ロボットが首を傾げ、僕に囁きかける。
(例のお話というのは?)
ロボットの顔をちらりと見たアリスは本当に聞こえた訳ではないだろうが、まるでその問いに答えるように続けた。
「みんなにはちょっと話したことだけど、あの時いなかった人も結構いる訳だし、そうだね、もう一度確認しとこうかな」
アリスは技師や傭兵の姿を見渡した。
「ラッカードさんが小耳に挟んだことだけど、ここの近くにある集落に、昔から伝わる昔話―― 地底に眠る光を放つ怪物の物語があってね」
光を放つ、という特徴に傭兵が呻いた。アリスは楽しそうに笑う。
「お伽噺みたいなものだと思うんだけど、話半分でも実際にあったことなら、とんでもない力を持った何かがいることになっちゃうし。何かあってからじゃ遅いから、一応確かめとこうってことで、調査をお願いしたんだ。それにしても聞いたよ、本当に光の柱を見たんだって」
後から聞いた話では、スターライト照射中にもかかわらず、地上では突然視界が失われ、大混乱が起きたらしい。
「みんなも怖かったでしょ。ごめん、ごめん、ほら、みんなに頼んだ時にはさ、絶対無駄足になると思ってたんだよね」
適当なことを言うアリスに、ベルはしかし実直に頷く。
「おかげで見逃さずに済んだ」
アリスは少しばつが悪そうに笑った。
「そう言ってくれると少し気が休まるね。でもあたしが来たからにはもう大丈夫。さくっとやっちゃおう。てことでラッカードさん、詳細お願い」
僕はその場を引き継ぐ。
「かの者目覚めたる時、夜来たる。夜来たる時、夜が光を追い払い、地より夜溢れ、地を覆い隠す時、目覚めたるかの者、天に挑みて、天より裁き、かの者に下される。光来たる時、光が夜を追い払い、夜は地の底に墜ちて、かの者は、次なる目覚めの時まで再び眠る。
付近の村に伝えられていたものだ。文字通りの事態が起きた訳じゃないだろうが、住人から聞いたところでは、実際にあったことを下敷きにしているという。
昼のさなか、突然、夜のように光が失われる。視界の通らない暗闇が数十秒続いた後、この遺跡に光の柱が立つと、その直後、光が戻ってきて、景色も元通りになる。
彼らが認識していた当時の現実は、このようなものだったらしい。それが擬人化された理由は分からないが、僕たちが確かめるべきは、それよりも、この暗闇と光の柱の発生原因だ。
少なくとも二つの現象は、僕たちも先日、この目で見、この身で感じたように確かな現実のようだからな。
この地に潜んでいる怪物がその力を発揮する際に光を放つのなら、相当に強力な魔物である可能性が高い。
僕たちはこれから三つの班に分かれて地下を探索し、その所在を探る訳だが、僕たちの役割はあくまで捜索だ。手を出そうとは決して思わないでくれ。怪我をしても馬鹿らしいだけだろう? 何が出て来ようといつも通りで何の問題もない。見かけた時点ですぐ報告を返してくれ。そうすれば貴族が片をつける。
最後に一つだけ注意だ。
魔物討伐は極秘で実行する。この眠れる魔物殿はあの村の住人に随分と好かれているようだ。彼らには本当に申し訳ないことだが、集落から様子を窺いに来た者には決して状況を気取られないように。ここにいない者にもそのように伝えてくれ」
◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇
(あの光の柱はお前の力なのか?)
ロボットは僅かに間を置く。
(眠っていた間のことは記憶にないので何とも言えません)
おそらく嘘はないと思う。あれが発生したのは彼女が目覚める前だ。動力機の一件と同じく、意識的に起こしたことではないのだろう。
彼女の持つ力の原理までは分からないが、今までに受けた攻撃の性質から考えると、感覚器官に干渉するタイプと、僕は推測していた。潜入用の力と考えれば妥当だ。恐ろしく広い範囲に効く力のようだが、性質が理解できれば対策も打てるはずだ。
(やろうと思えばできるのか)
(類似の現象は可能でしょう。ですが私としては私以外にできるものがいると思うあなたが驚きです)
(光の柱とやらがどんなものかは知らないが、上位の魔物が本気になる時なんて、もう光の玉みたいなものだからな)
フレアは僕を見つめる。
(それでどうするのですか?)
僕は肩をすくめた。
(どうするも何も、何が必要なんだ? お前がいた痕跡は全部蒸発した。あれはそういう仕組みなんだろう?)
数日探して何も見つからなければ、最終的には念のため封印をして、それで終わりということになるだろう。
(それとも後からでも調べれば、お前がそこにいたと分かるものなのか?)
ロボットは首を振った。
(痕跡がない訳ではありませんが、現在の知識水準で確認は難しいでしょう)
僕たちは僅かな技師と傭兵だけを、集落の者を欺くアリバイ作りに地表に残すと、人員の大半を遺跡の地下の探索に回した。
探索の開始から二日――
今日も傭兵の部隊は地下を彷徨い続けている。当然ながら何も見つかっていない。
僕は地上側の補給のとりまとめだ。今も半日近く探索を続けた班が補給のため地表に戻ってきていた。
今後の予定を伝えてから僕は探索班を解散させる。消耗した品物を記録して、次のための準備を始める。
(疲れきっているようですね)
荷物を運ぶロボットが見るのは、食事に向かう傭兵たちの背中だ。
(僕たちの雇った傭兵の腕も悪くないが、迷宮の未踏領域に挑み、地図を作るような最上位の探索者にはさすがに一歩及ばない。技量の不足そのものは慎重な試行錯誤である程度は補えるが、時間に余裕がない今の状況では、そりゃ集中力も磨り減っていく)
速度は緩慢だが調査範囲は十分だ。本当に何かが潜んでいるなら、体毛や鱗が見つかるはずだが、何の痕跡も見つかっていなかった。中止を考えていい頃合いだが、アリスはまだ続ける気のようだった。
資材の残量を確認しながら僕は思う。念のためというには辛抱強すぎる。アリスには何か確信があるのだろうか。
その時だった。
「あなたは嘘をつきましたね」
集落から来た案内の少年だ。その表情は失望と怒りを隠せずにいた。
「向かって来ない魔物は狩らない。あなたはそう言いました」
「そうだね」
「今もまだ同じことが言えますか」
「ああ、方針に変更はないよ」
「では今していることは何ですか」
「発電機を修理する代わりに、ここで発掘をして構わない。それで話はまとまったはずだろう?」
「あなたたちの目的は、光の柱の主を探すことでしょう」
少年は状況を把握しているようだ。僕はしらばっくれることを考えて、そして断念する。
「何があるのか確かめたいだけだ。ここは貴族にとって重要な地だ。知りたいという気持ちも分かってほしい」
少年は僕を睨みつける。
「最初からそのつもりだったんですね」
「本当に最初は予定もなかったんだ。だが現実に光の柱が現れて、アルテミシアがやってきた。彼女は、ここで何が起きたのか、真実に強い関心をもっている。今は彼女の意向が全てなんだ。それとも君には貴族が止められるのか?」
僕は全てをアリスの気紛れのせいにして友好関係を保とうとする。
「魔物は縄張りを侵す者を襲うものです。その時あなたたちはどうするのですか」
だが少年はそれには乗って来なかった。
「もちろん刺激しないようにするよ」
実際には、魔物が襲って来ずとも、姿を見つけたなら、安全のために、こちらから先制攻撃をするだろう。それをする戦力は十分ある。
「そう言うと思いました」
少年は苛立っているようだった。僕の口約束は完全に反故になってしまったが、少年にはその不実を糾弾する力がない。今の僕が集団の中心でも、まとめ役でもなく、文句を言っても意味がない相手だとも理解しているようだった。
「私たちが何を言おうと、あなたたちは続けるのでしょうね」
「できる限りの配慮はするつもりだ」
少年はもう信じなかった。
「お願いがあります」
「何かな?」
「私を探索に同行させてください。邪魔をするつもりはありません。せめて結果を見届けたいんです」
殊勝な態度だが、素直に信じることはできない。現場に立ち会うための単なる口実だろう。その時になれば何を始めるか、分かったものではない。
「検討してみよう」
「分かりました」
少年はあからさまに落胆し、肩を落として立ち去った。どうせできることは何もないが、しばらく監視をつけておこうか。それとも、そこまでの必要はないだろうか。
僕は監視をつけなかった。
翌日、少年は姿を消した。
(よかったのですか)
(構わないさ。何ができる訳でもない)
そして僕は補給班をジャックに任せ、戻ってきた傭兵たちと交替に、地下を探索する班に加わった。
◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇
翌日、地下――
探索班は薄暗い電気灯を先頭に地下を手探りで進み続けていた。
他の班は更に深い層に到達していたが決定的な何かにはいまだ遭遇していない。だが探索の目標はもう残り少なかった。
今僕たちの眼前にあるものもその一つだ。僕たちは歪んで動かない大扉の前で、臨時の防護柵を展開していた。その中に集まった技師たちは、周辺で破壊できる箇所を探し、迂回路を造ろうとしていた。破壊作業の騒音は魔物を呼び寄せる。傭兵は逃げ場のない連戦を強いられていた。僕も機械弓をとって支援をしていた。
深層に分け入ってから魔物の緊張が急速に高まっている。強くなっている訳ではないが、しぶとく狂暴になってきている。光の柱の主ではないだろうが、おそらくアリスの予想通り、この地下空間の奥底には、君臨している何かがいる。それはもう確実だった。
正体はほぼ掴めている。徘徊している魔物には、この地域で見られる通常種に加えて、特殊なものが含まれていた。
鉱石種――
それは身体の一部に鉱物を持つ種だ。多様な変異生物の中でも、無機物との融合を果たしたこの種は、他に類のない存在であり、主に地表部を単独行動し、小回りの利かなさで有名だった。その身の宿した鉱石は単なる重しで、狩人にとっては美味しいお宝だった。
だがここではその常識は通用しない。
狭い空間では傭兵も小回りが利かず、受けに回らざるを得ない。そうなると鉱石が攻防に力を発揮し始め、冴えない彼らは、矢の通らない盾と、超重量の打撃武器を持つ難敵と化す。
傭兵たちは機械弓での狙撃を既に断念して、衝角弓を提げ持ち、狭い通路を駆けている。
戦線のどこかにはベルがいるので、強敵に押し切られるということはないが、門前より三方に続く通路の中で、彼女が守れるのは一箇所だけだ。残りは人間だけでどうにかするしかない。
ロボットは技師たちの手伝いをしながら、通路内を縦横無尽に駆ける傭兵たちを、何も言わず見ていた。
それから半日――
魔物たちの攻勢の合間を縫って休息を取っていた僕たちの前に、地上へと続く側の通路から補給を連れて現れたのは、普段着にポンチョを羽織っただけの軽装の少女、アリス・アルテミシアだった。ひらりと階段を下りてきた少女は、僕たちを見ると、駆け寄ってくる。
「みんな、お待たせ! 差し入れだよ!」
水と食料に群がる飢えた男たちを横目に、アリスはひょこひょこと辺りを見て歩く。
「ラッカードさん、そろそろいけそう?」
「最後の山場はさっき越えた。半日あれば道も開くと思う」
「半日かぁ…… 戻ってもとんぼ返りだし…… うん、今日はあたしもう帰らないから!」
アリスは芝居がかって宣言すると、その場にぺたんと座り込み、全身を覆うフードつきの外套を半分脱ぐと、ちらりと白い胸元を見せながら微笑む。
「この据え膳に、何か言うことは?」
少年のような真っ平らな胸だが、そこはかとない色気があるようにも思う。
「ああ、すごくおいしそうだ。もったいないから大事にとっとかないと」
アリスは動きを止める。
「なんかむかつくね」
「本当に食べていいんなら、考えてもいいけど?」
「な……」
アリスは少し言葉を失って、顔を赤くすると、それからぼそぼそと呟いた。
「そ、それは…… も少し雰囲気のあるとこで、ね?」
少女が恥ずかしがる姿には、不思議な魅力があるけれど、
「ああ、それはもういいので」
いつものことすぎて、慣れてしまっていた。
「ひ、ひどいよぉ」
その泣き真似も、いつもの手だ。僕は軽く受け流そうと思ったが、少しだけ本気のような気もする。
「こちらでご勘弁くださいな」
僕はうやうやしく、保存食の干し肉を差し出す。
「そんなもので許すとでも?」
「優しいお姫様なら?」
彼女は目を細める。
「……もう、仕方ないなぁ」
アリスはため息をつくと干し肉を受け取り、噛み千切りながら笑った。
「じゃあこれを食べたら、魔物とお付き合いして来ようかなぁ」
「待った、それは勘弁してくれ!」
こんな閉鎖空間でアルテミシアの力が振るわれたなら、アリス自身も含め誰も生き残れない。
「もぉ、分かってる! 弓を借りるからね!」
彼女は衝角弓を手に取る。人間の背丈ほどもある金属の塊だが、創生の霧を操る貴族にとっては、おもちゃ同然の威力のものだ。だが、彼女の弓の腕は確かで、それだけで魔物とさえ戦えた。
「それじゃしばらく暴れてくるね」
◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇
八時間後――
予定を繰り上げて工事は終わり、開いた潜入口から、僕たちはまず斥候を送り込んだ。悠々と出かけた彼らは、二時間後、真っ青になって戻る。
彼らは恐怖に駆られて己の見たものを語った。
「鉱石種の真竜だ! 真竜がいやがった!」
戻ってきた斥候の報告によると、通路の先には広大な空間があり、鉱石種の密集地になっていたという。
そして中心には、鉱石種の真竜―― それが十体以上いたというのだ。
「ふうん、本当に何かいるとはね」
アリスは楽しそうに笑う。
「なら今回の締めは真竜狩りだね」
斥候の持ち帰った情報から侵攻の準備を整えた部隊は、深層の領域へと踏み出した。
部隊はベルを先頭にして、遭遇する鉱石種を打ち砕きながら地下へと順調に進んでいく。
僕とロボットは、その背中を技師と共に追いながら話を続けていた。
(先ほど皆さんが話していた真竜というのは一体何なのですか?)
(爬虫類に近い姿をした魔物で、ベルトの変異生物の中でも、特に危険な部類だ。単独行動中に遭遇したなら、死を覚悟するくらいにはな。今の部隊規模でも二体以上なら分が悪いが、アリスとベル、武闘派貴族が二人もいれば、そんな戦力差には意味がなくなる)
貴族とはそういうものだ。
(それは、そうでしょうね。それで、その真竜が、光を操るものなのですか?)
(光を放つことは、真竜でなくとも、もう少し下位の魔物からできるが、そいつらの光は弱々しい。閃光のような輝きは真竜のものだ。件の光の柱みたく大規模なものは、どちらにしろ力不足だが、状況を収めるための原因としては、それなりに妥当なところじゃないかな)
しばらくして狭い通路を抜ける。その先にあったのは、奥行三百メートルはある空間だ。
見渡す四方の壁は恐ろしく遠く、数百メートル先まで開けている。
見下ろす地には大量の瓦礫が散乱し、ある時には鋼床に突き立っている。壁には旧時代の照明が幾つか残存し、僅かな土には植物がたかっていた。
そこは魔物の巣窟だった。
傾いだ巨大な柱の陰には巨大な鉱石種がうずくまっている。彼らは僕たちに気付き始めている。薄闇に点々と魔物の輝きが灯って、奇怪な星座を描いていく。
戦いが始まった。
ベルを先頭に傭兵たちが飛び込んだ。広大な空間と複雑な障害は傭兵に有利で、鉱石種の鈍重さが際立つ条件だった。
集団での魔物狩りの鉄則は、常に三倍以上で当たること。
最小単位である三人の場合、それぞれの役割は、囮、足止め役、仕留め役だ。
分担できる人数さえあれば、圧倒的な能力差があっても、人は魔物を十分打倒できる。
鉱石種は動きを止められて、一体ずつ仕留められていく。
臨時に設置された補給場所で、僕たちは傭兵たちの戦う姿を見る。彼らは散在する瓦礫を足場とし、縦横無尽に空間を駆けている。熟練者に至っては、身の丈より巨大な強弓を手に、もはや携えるというより、その質量に振り回されるようにしながら、魔物たちの間を跳び回っていた。見る間に鉱石種は数を減らしていく。
(あなたもそうでしたが…… あの方たちは随分と身軽なのですね)
(そりゃ傭兵だからな)
(そう、なのですか?)
中心にいた真竜が動き始めると、その進路をベルが塞ぐ。巨大な鉱石竜は避けることなく、ベルに向かって突撃した。その質量差は優に百倍を超える。
激突――
圧潰しながら弾き返されたのは、真竜の巨体だった。
ベルは不動の態勢で、その場に踏み止まる。
偽竜たちは足を止めると、ベルの様子を窺い始める。
竜属は強大だ。重力を操る権能を持ったうえで、超絶的な身体能力を備えている。並の傭兵に狩れる相手ではない。真竜たちは全身に鉱石を纏いながら、偽竜に匹敵するほど敏捷だった。だが貴族にとっては―― 少なくともエンダーの当主には何の脅威にもならなかった。
ベルが踏み出す。その一歩は軽く、しかし瞬時に距離を消し去る。
その戦いは、この大陸、この六百年で、人類の在り方がどこまで変化したのか、如実に示していた。
仄かに輝く霧を纏う彼女は、全く危なげのない動きで竜属の生命を終わらせる。
鎧袖一触――
その拳が振るわれるたび、真竜たちは沈黙していく。
そして、半数が動かなくなった頃、大気に咆哮が響き渡った。
空気がその重みを増したかのように、巨大な重圧が精神を圧し潰す。
上からだ――
僕たちは身を強張らせ、怖々と頭上を見上げた。
上方は広範囲に渡り激しく損壊し、本来の天井は完全に崩落していた。複数階層を貫通する大穴の向こう、遥か彼方にある天井は、百数十メートルほどの高さにあり、どこかが外部へ繋がっているのか、上端には光が少し差し込んでいる。
そこに何かがいた。
(随分と…… 巨大ですね)
暗闇で細部ははっきりしなかったが、その大きさは十分に認識できた。何より五感以前に肉体が叫んでいた。そこに潜んでいる巨大な何者かは、人が関わっていいものではないと。
次の瞬間、空間が僅かに輝き始め、咆哮の主の姿が露わになる。
天上から僕たちを見下ろしていたのは、尋常ならず巨大な、異形の魔物だった。
崩れかけた天井を支える柱の一つに、胴から伸びる無数の何かを巻きつけ、だらりと吊り下がっていた。それはおそらく腕なのだ。鉱物の皮膚に守られた巨大な胴からは、複数の腕と複数の首が生えている。その奇妙な形態から見ると、地球にいた海棲生物のようでもあったが、多頭の先端は確かに竜属にも似ていた。
僕たちを知覚したのか、ふわりと浮かび上がる。
柱に巻きつけられた腕が解かれ、巨体はゆっくりと下降を始める。
近づくほどに、その巨体は、精神への圧力を増加させた。
(これは、浮遊―― 重力を操作しているようですね)
ロボットの声は平静だ。声に乗っている感情は、小さな驚きだけで、少なくとも恐怖はなかった。貴族に守られているから、という訳でもないだろう。おそらく、単純に、脅威を感じていないのだ。
(驚かないのか)
(十分に驚いていますが、もう慣れました。あれも真竜なのですか)
(その一種だが、真竜と呼ばれるのは、体長四、五メートルのトカゲだけで、あの大きさのものには他の名がある)
僕は平静を装い続ける。
(あれは始まりの王――)
(始まりの王……?)
(始祖、王属、そう呼ばれるものだ)
◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇
「輝く巨体、重力の支配―― どう見ても、王属だね。ということはやっぱり、君が原因だったのかな。でも、どちらにしても変わらないね」
戦闘に加わらず、補給場所で状況を見ていたアリスが呟く。
「みんな、ここまででいいよ。危ないから下がっておいて。あの規模の王属との戦いは、ただの人の出る幕じゃない」
ベルも同様の言葉を伝えたのだろう、戦っていた傭兵たちが後退していく。その中をアリスが歩き出す。引く傭兵を追う鉱石種を蹴り飛ばし、必要に応じて急所を弓で貫きながら、彼女はゆっくりと中心へ進んでいく。
僕たちは貴族の言葉に迷いなく従う。貴族の権能は圧倒的だ。常人の助力など不要で、下手に近付けば巻き込まれてしまう。僕たちは障害物の陰に身を隠し、体勢を低くして息を呑む。
巨体は低い地響きと共に地に降り立つ。八つの首の十六の目が四方を睥睨する。その幾つかはベルに向けられていた。
次の瞬間、何かが閃き、轟音が響く。触腕がベルを叩き潰したのだ。その速度は音速を軽く超えて、百メートル以上も離れた位置にいながら、僕には、その軌跡を目で追うことが、全くできなかった。
その一撃は絶対だ。
おそらく地上のいかなる生物も、その前では破壊を免れない。
だが貴族はその果てにある、生物を超越した存在だった。
鉱物の鎧を纏った大真竜――
その数十トンの巨体が生む破壊の嵐の中、数千倍の質量差を正面から受け止めて、ベルは一歩も後退しなかった。音速超過の唸り声をあげる八つの触腕も、巨体の全重量を数倍にまで強化した体当たりも、しかし、彼女に傷一つ与えられなかった。彼女の周りに僅かな厚みで滞留する淡青の霧、それを突破することができないのだ。対して慎重に放たれるベルの四肢は、そのたび、鉱物の鎧を割り砕き、肉と筋を圧し潰し、骨を断った。
そして抵抗は止む。ベルは拳を止める。
そこにアリスが無造作に歩み寄る。瀕死の巨体を見上げる。口を開き、何かを言う。
次の瞬間、魔物の触腕が彼女を圧し潰した。巨大な質量は衝撃波を伴い鋼鉄すら砕いた。
だがアリスは無傷のまま、既に巨躯の足元にいた。
風が巻き起こる。
かつんと靴底が地を叩く。ふわりと外套が翻る。
僕は伏せると、目を閉じ、両腕で目を守る。
その瞬間、閃光が視界の全てを焼き、轟音と衝撃波が天と地を揺るがした。
しばらくして五感が息を吹き返す。僕は顔を上げて状況を確かめる。巨体は跡形もなく消し飛んでいた。
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