第5話 彗星と暗黒時代
目覚めると周囲は真っ暗になっていた。身体の痛みはひどいものだが致命的な怪我にはなっていないようだ。手加減してくれたのだ。第一世代最強とされるエンダーの力が感情のまま全て解放されたなら、アダマンティウムさえ無傷ではいられない。ベルトはずたずたにされていただろう。もちろんそれだけの力を解放したなら、ベルの寿命もそこで尽きる。今のは抑制された力の一端、最低限のガス抜きに過ぎない。
後で謝らないとな。
周囲を見回すと視線が交差した。陽電子脳の少女は座り込むような姿勢のまま停止している。燃え立つような茜の瞳に、長い艶やかな金の髪―― 人類には本来存在しなかった組み合わせだが、今はそれほど珍しくはなかった。千数百年ほど前にジーン・デザインが流行した折、人類に可能なあらゆる特徴がごちゃまぜに採用された結果だ。
「お目覚めですか」
くらくらする頭を押さえ、僕は立ち上がった。身体中がずきずきと痛む。
「無茶苦茶なことを言ってくれたな」
見下ろされた少女は座ったまま僕を見返す。
「一時的な措置です。これからどう説明をするのかはあなたに任せます」
辺りは既に真っ暗になっていた。陽電子脳の残骸たちは星々の光の中で、真っ黒な化け物のように屹立していた。どのくらい気を失っていたのだろうか。
「二時間十五分です。地球時間でよろしければ……」
そんなにか。
「それでいい。大陸では地球時間が、ずっと使い続けられているからな」
スターライトはもちろん照射されていない。空には二つのセントラルが鏡写しの姿を星の光を遮るという形で浮かび上がらせている。そしてその向こうには漆黒の深淵と星々の海が広がっていた。
僕と少女は虚無の空を見上げた。遠く天空の彼方に一際白く輝く星がある。古い画像で見た地球からの月よりは小さいが、その存在感は同じくらい。光で目を射られているように感じるほどだ。その輝きが夜の闇を微かに照らし出す。遠い輝き、故郷の火。それは名もない星。名づけられる必要さえない、偉大なる母だ。いや父か。あれが太陽だ。この星系の中心に位置する恒星だ。だがもうその光は熱と生命の象徴ではなかった。遠すぎるのだ。
「サンライトだ」
僕は呟く。
「僕たちはあれをサンライトと呼んでいる。父祖の光―― あれが滅びるのは何十億年後か。宇宙空間を漂流する僕たちの、故郷とのただ一つの繋がり。僕らが決して帰り着くことのない、おそらくは既に人の影一つない故郷―― お前たちは太陽系にいた人類の、全てを滅ぼしたんだったな」
ロボットは答えなかった。
「尋ねたいことがあります」
僕は少女を見つめた。少女は座ったままだった。
「立ち上がらないのか?」
「もう少しです。後少しで設定が終わります」
「まだ調整が終わっていなかったのか。随分と時間がかかっているんだな」
「急ぐこともできましたが、時間がありましたので」
そう言うとロボットはゆっくり立ち上がる。二本の足で立ったロボットは確かめるように指を動かし拳を握る。
「非常用の運動系から通常機動の運動系に戻していただけです」
ぎこちなさはない。だが力強さもまたなかった。
「それにしては最初の頃よりも動きが悪いな」
僕の目にはやはり頼りなく映る。
「確かにそうですね。通常機動の回路はメンテナンスが必要なようです」
「非常用を使い続けた方がいいんじゃないか」
「いえ。非常回路では使えない武装が多すぎます」
「どういうことだ?」
「最低限の保安機能にしか繋がっていないのです。あれと戦うには完全な武装が必要です」
僕はロボットの言葉を聞きとがめる。
「……あれとは何だ?」
それが何を指しているのか、問うまでもなかった。しかし少女は律儀に答える。
「あの女性に起きた現象です。輝きを伴う気体と共に発生した彼女の力は、威力は私に対抗できるものではありませんが、かなりの出力であることは確かです。それに発生原理が解析できないのが気になります。まだ推測の段階ですが、あなたの言う陽電子脳を滅ぼした力と関係があるのでしょう」
ロボットは僕をぎろりとねめつけた。
「あの異様な力は何です? あなたがたは何を作り上げたのですか?」
◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇
暗闇の中――
僕らは遺跡の側にあるキャンプに向けて、湿潤の森をゆっくりと歩いた。
「お前はこの大陸―― いやこの船がどうしてこんなところを漂流しているか知っているか?」
僕は学院時代の記憶を再生しながら話し始めた。
「深宇宙探査艦アインシュタインは本来、カイパーベルト及びオールト雲の学術調査のために太陽系辺境空域に派遣された。そこで僕らの祖先たちは例の彗星を調べていた」
「彗星? それは何ですか?」
少女は訝しげに尋ねた。
「何だ? 分からないのか? 僕らが内惑星圏から離れた直後に太陽系を襲った彗星のことだ。本来は特別な目的を持たない定期的な観測船だったが、あいつが通り抜けた時点で残した影響の調査が最重要目標となった」
少女は少し首を傾げた。
「残した影響? どんな彗星だったのですか?」
「原始的なウイルスを含有していたらしい。異星起源の生命という訳だ。ウイルスは彗星が通った後の軌道に残り、地球やコロニーに降り注ぎ、その後に起きた集団昏睡の原因になった」
ロボットはやはり首を傾げた。何かを確かめるように僕に見つめた。
「集団昏睡というのは?」
「面倒な奴だな。彗星の到着後、各コロニーや惑星で起きただろう。住民の八割近くが意識を失い、植物状態になってしまった、あの件だ」
少女は頷くと目を閉じ、先を続けてくださいと顎で指図した。
「そしてこの船は彗星を追いかけた。木星や土星の軌道を抜け、海王星の遥か彼方まで。中に乗っている人間が死なない程度の加速で。……中心域から来たお前たちでもここまでは知っていると思っていたが」
「それで、どうしたのですか?」
「カイパーベルト付近で追いついたことは追いついたんだが、その彗星が突然方向転換してな。宇宙空間で垂直にだ。こちらは慣性があるから急には曲がれない。そして引き離される、その繰り返しだった。相対論的速度で航行していたせいで、船内では十数年しか経過していなかったが、地球時間では二百年近くそれを繰り返して、人類圏からの連絡が絶えた」
「そして気づいたら、後ろから陽電子脳の艦隊が迫っていた、というわけですか」
ロボットが引き継いだ。
「そうだ。やっと彗星に追いつけそうになったところで、僕たちは陽電子脳の大軍と戦わざるを得なくなった。最終的に彗星の破壊が必要となる状況に備えて、三百基の核融合爆雷が、冥王星ステーションで積み込まれていた。それらを使い、僕たちの先祖は君たちに挑んだ。その全てが使い尽くされるまで戦い、だが戦いは終わらなかった。ミサイルはもとより、兵器に転用可能な短距離連絡艇も全て宇宙の塵と消えた。備蓄されていたあらゆる燃料も、核分裂燃料さえ使い尽くされた。万策は尽き、そして戦力を失った探査艦はトールハンマーの最大出力で防壁を構築し篭城体制に入ったんだ」
「やっと私にも理解できる話になりました」
少女は呟き、話し始めた。
「それでも戦いが終わることはなかった。少なくともオリオンを頂点とする部隊は、歪曲空間防壁を突破できたのですから。そこまでは私も覚えています」
ロボットは僕を睨みつけた。
「問題はその後のことです。何があったのですか」
僕は少し言葉を選んだ。
「正直なところ、その時に何が起きたのか、知りたいのは僕らも同じなんだ」
「同じと言うのは?」
「記録を全て失ったんだ」
「どういうことですか?」
「当時の僕たちは大混乱に陥っていた。篭城を決定した時点で艦内の命令系統は完全に崩壊していたらしい。クーデターが横行し、統治機構は分断され、人々は情報を得ることもできず、おろおろと逃げ惑うだけだった。幾つかの小集団が散発的に、陽電子脳に抵抗するため立ち上がったのは確認されているが、五万人いたという乗員の内、それに参加した人間は千人に満たない。彼らにしても陽電子脳に対するにはゲリラ的な消耗戦を行うしかなかった」
「それでもメモリの一つぐらいは」
「そうだな。だが重要なものはなかった。災禍の後に行われた発掘作業でもメモリが探されたが、大した成果は得られなかった。記録を残すような暇があった人物があの状況でいたとも思えない。それでも当時はまだ、実際にそれを見たという人間が何人も生き残っていた。せめて彼らの言葉が信用できればよかったが信用などできるはずもない」
「どうしてですか?」
「生き残った奴らが口を揃えて語ったのが、まるで狂気の産物としか思えないサイケデリックな幻想だったからだ。目撃者たちはどうにか自分の見たものを未来に伝えようとしたが、その文章や絵に表されたのは、多数の色が混ざりこむ歪んだ空間、空に向かって伸びる水の樫、戯れる炎の蝶、神話の怪物や幻想的な表象、悪夢のような天災が所狭しと並んでいる、非現実な光景だけだった。そして一人一人の見た幻影はまるで違い、場合によっては矛盾しだす始末。その妄想のどれが真実なのか、どれも真実ではないのか。正解があったとしても、多すぎる証言の中に埋没して探し出すのは不可能になっていた。もしかすると人間の脳自体に何か異常を起こすような事態が起きていたのかもしれないが、僕らには何も分からなかった。暗黒時代は暗黒として結果だけを受け入れるしかなかったんだ」
「それは何も知らないと言っているだけです」
「その通りだ。歴史教授の台詞を引用しよう。
『人々の主観に阻まれて真実は覆い隠された。全てが終わった後には、ただ破壊の痕跡、滅びた陽電子脳、変異した生物、そして貴族だけが残された、と』
その貴族というのがベルを含む新人類さ」
「貴族とは何なのですか?」
「彼らは、身につけた宝玉を多様な形態に変化させることで、周辺環境に対して干渉を行える人間だ。多くは気体にして使っている。ベルが淡青の創生光を放つ霧を纏う時、その全身は絶対不可侵の城塞になる。さっきのはガス抜きみたいなもので本気ならこのベルトさえ簡単に破壊できる」
「そんなことが本当にできるのですか」
少女は半信半疑のようだった。
「ただし、その規模の力の行使になると本人の精神も尽きてしまうだろうがな。奴らは正気を削りながら能力を使う。普通に生きているだけでも五十年で死んでしまう。それ以前に狂ってしまうことも多い。くろがねの巨神を見ただろう。総数の九割近い第一世代が魂を燃やし尽くして挑み、それでもあれだけの傷しか与えられなかった。貴族でもそれだけの力を持つ家系は限られているし、奴らも命が惜しい。だから自由に力が振るえる訳じゃない。逆にいうと死ぬ気でやれば、それくらいはできるってことだがな」
「第一世代というのは?」
「貴族の言い伝えにある最初の世代だ」
「最初の? 最初が分かっているのですか?」
「例の彗星だよ。僕らの船が追いかけていた彗星、その中に宿っていた何者かの祝福を受けて貴族は誕生したのだと言われている。その彗星の中に、神か悪魔か異星人でもいたのかもしれないが、そこまでのことは誰にも分かりはしない。もしかすると第一世代直系の貴族は知っているかもしれない。だが、聞いても答えてはくれないだろうな」
「……もう一つ、創生光というのは何ですか」
「貴族の宝玉から出る独特の粒子状の光だ。貴族ってのは僕ら旧人類からの呼び名で、本人たちは最初、創生師と名乗ったらしい。今じゃ自称でも貴族の方が一般的だがな」
「彗星…… 創生師…… 貴族―― ……やはりそこに問題は収束するのですね」
少女は考え込んでしまった。そこから僕らは無言でキャンプまで歩く。
◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇
森から小道を抜けた辺りの木陰―― 放置された廃材に誰かが座り、足をぶらぶらとさせていた。もうみんな寝ついている頃だが…… その人物は僕を見るとぴょんと立ち上がる。柔らかなサンライトの下、小柄な少女は小さく伸びをして、それからトコトコと近づいて来る。
少女は艶やかな長い黒髪をなびかせている。露出の多い服からのぞく肌は真っ白だ。だが最も目立つのは黄金の瞳だった。自然な人類の範疇には含まれないだろう姿、だが今の世の中では珍しくもない。神秘性など欠片もないのだった。
着ているのは宗教色溢れる衣装である。旧アンデス文化圏の民族衣装のような雰囲気だ。足回りは荒野を歩くようなブーツ。かぶった長めのポンチョからは、白い手足が突き出している。中はタンクトップと半ズボン。かなりの軽装だった。
少女の名は、アリス・アルテミシア。今年で十六歳か、十七歳くらいになるだろうか。
かもし出す雰囲気は、気まぐれな猫か、牙を隠す百獣の王か。共通するのは怠け者であること。これも一応貴族で婆さんの孫でもある。証である楕円状の黄金球も腕輪につけている。
アルテミシアは貴族の中でも最古参だ。呪われたアウター・ホーンの征服者。〈常勝者〉の名を頂く戦神。貴族の中でさえ鳴り響く雷名を彼女は感じさせない。それはそれですごいことなのだろうと僕は思う。ちなみに僕の現在の雇い主でもある。
「暗い夜ぅー 森の中ぁー 男と女が二人っきりーっ! 随分遅かったね、ラッカードさん。野外試合でも始めてるんじゃないかって、本気で心配していたところだったよ」
愉しげに跳ねるような声だ。下品な挨拶はさておき僕は尋ねる。
「アリス、どうしてここにいるんだ? 事務所で留守番のはずだろう」
「ちょっとベルに頼みたいことがあって、さっき来たんだ。用件はもう終わったんだけど帰る前にラッカードさんの様子でも見とこうかなって」
冷めた視線は僕とロボットに注がれていた。
「ベルがラッカードさんのこと、やたらと気にしてたけど。……ふうん、ベルってば甘いんだから。結構手加減してもらったみたいだね、残念」
「何が残念だ」
「そりゃ身から出た錆だしね」
だいたいの話は聞いているらしい。僕は怒る気力もない。近づいて来るアリスは救急箱を提げていた。アリスはずかずか側まで来ると座り込んだ。顔を調べそれから遠慮なく服を引き上げ、腹部を観察する。
(私は少し外しておいた方がいいですか?)
ロボットは僕の肩に触れて言った。僕は頷く。
(あなたの肉体が機能不全になることは、私も望んでいません。治療が終わったら呼んでください。周辺を探索しています)
そしてふらふらと少女は歩き去る。心配する必要はないだろう。あれで意外に常識はあるようだ。
「あれ、ほっといていいの?」
「少ししたら帰ってくるって」
「ふうん」
アリスは鼻を鳴らすと、興味なさげに観察に戻る。
「ここはどう? 痛む?」
アリスは触診しながら尋ねる。
「いや、もう大丈夫だ」
違和感はあったが、さほどではなかった。
「本当かなあ? えいっとな!」
アリスが脇腹を指で突っつく。
「ぐ…… が……」
激痛が走った。
「やっぱりだねえ」
僕は背を丸めて呻く。アリスは、たははと笑う。
「これ、骨にひび入ってるんじゃないかなあ。帰ったら一度調べてもらった方がいいかも」
骨が折れていたのか。気がつかなかった。アリスは大雑把な手つきで応急処置を済ませていく。
「あたしって、こういうの苦手なんだよね」
軟膏を塗り包帯を巻きながらアリスはぼやく。
「やっぱりベルによく謝って、きちんと診てもらった方がいいね」
無言で作業は進む。
「これでよしっと。後はラッカードさん、安静に。あたしは別の用事があるしもう行くね」
手当てを終えたアリスは欠伸をすると背を向けた。
「ありがとう、アリス」
「大したことはしてないよ」
救急箱を持ち立ち去ろうとして、アリスは振り返る。
「そういえばラッカードさん、あの女の子、何なの?」
「何、というと?」
「あの女の子、この辺りのベルトの子じゃないよね。見れば分かるよ」
「さあな」
僕は顔に意識をやり、いつも通りの表情を維持する。
「知らないんだ?」
僕は曖昧な顔で黙り込む。アリスは僕の表情を探っている。
「……で、手はつけたの?」
「つけてない。僕を何だと思っている?」
「子供は守備範囲外?」
「当たり前だ」
こればかりは嘘じゃない。だから後ろめたさなしに答えられた。わざとらしくため息をつき、アリスは首を振った。だが少し安心したようにも見える。
「そう言われると少し悔しいような。何というか、言葉にしにくいところだね」
アリスは自分の未発達な身体を見下ろし、再びため息一つ。
「もう行くよ。そうだ、一つだけ忠告、というより警告かな。キャンプのみんなにはもう伝えたんだけど、今晩はずっと外出禁止だから。キャンプに閉じこもっておくこと、いいね」
アリスはそこからキャンプの外へと歩き去る。その後ろ姿が妙に力なく感じたのは気のせいではないように思う。ベルの助けが必要なほどの何かがあったのだ。だが今の僕にアリスを気遣う余裕はなかった。
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