第3話 くろがねの巨神

 遺跡探索から戻り、数時間が過ぎた頃――

 目の前が突然、完全な暗闇になった時、ベルフラウ・エンダーが最初に想像したのは視力の喪失だった。

 貴族にとってそういった病は珍しいものではなかったからだ。

 しかし周囲の傭兵たちの慌てた様子に、彼女は考えを改める。

 彼らにも見えていないのだ。恐慌の気配が広がる。ベルは息を深く吸うと叫ぶ。

「動くな!」

 男たちはその場で固まった。ベルは霧を広範囲に放ち周囲を探る。霧の輝きはやはり見えない。しかし粒子が伝える触覚は普段通り世界の形を教えてくれた。

 何も起きていない。傭兵と技師は動きを止めていたけれど、それは言葉の内容よりも彼女の声の大きさに怯えている感じだ。

「あ、姐さん、俺、目が、目が」

 気の緩んだ傭兵の一人が呻く。

「ハンノ、落ち着け、私も見えていない。ルーゴ、カドック、火を使っていたな。手を出すな! 消そうとしなくていい。始末は私がする。その場で後ろに三歩下がって、ゆっくり、そう、そこでいい。その場で座るんだ」

 二人が熱源から離れたのを確認してから、薪を霧で包み込んで燃焼を停止させる。

「姐さん、これはいったい何なんですか? まさかトールハンマーが?」

 彼女は即座に答えを返す。

「重力はある」

 トールハンマーの力は健在だ。地に足をつけていられる以上、大陸はまだ破滅してはいない。

「ではスターライトだけが?」

 スターライトは確かに届いていない。霧の粒子が光を受け止めたなら、その感触があるはずだ。しかし届いていないのはスターライトだけではなかった。スターライトが停止しても夜の空には星々の輝きが残るはずだが、しかし今、世界は完全な暗闇で、星々の輝きも足元の焚火も見えない。そして見えない炎は先ほどまで、目に映らないまま燃え続けていた。

「俺たち、地下から漏れた瘴気にやられちまったんじゃねえか?」

 誰かが呟いた疑惑に悲鳴が上がった。封じられた遺跡の奥深くには、有毒ガスが溜まっていることがある。そこに迷い込んだ山師が全てを失う、というのは現実に起きている話だった。

 場の空気が重くなりかけた瞬間、突然、辺りが明るくなる。スターライトが戻ってきたのだ。

 そこにはベルトの荒野と仮設の陣地が何も変わることなく存在していた。

 傭兵と技師たちは呆然と周囲を見回し、それから緊張が解けたのか、気の抜けた声で騒ぎ出す。ベルは騒ぐ男たちに告げる。

「まずは周囲の状況を確認だ! いつ何が起きてもいいよう、ゆっくりと慎重に進めよう!」

 恐る恐る作業を再開する彼らを横目にベルは出発前に聞いた言葉を思い返す。


 ◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇


 二週間前―― 

「お願いがあるんだけどいいかな」

 ひょっこりと尋ねてきた商会長は、まるで散歩に来たような格好で世間話でもするように話し始めた。

「確かめてほしいことがあるんだ。ラッカードさんの聞いた話だと、マクストン迷宮のすぐ傍に、随分昔から生きてる魔物が、住み着いてるらしいんだけど、どうも光を放つ系統らしくてね」

「光を放つ?」

 その奇妙な表現が、力を生む時、輝きを発する―― ということを意味しているのなら、そこに非常に危険な存在がいることになる。そんな大物がマクストン近辺で今まで発見されずにいたとは思えない。

 彼女は肩をすくめる。

「それをあたしも知りたいんだよね。その昔話が本当は、いったい何を仄めかしているのか。外れだと思うけど、当たりなら人の手には負えない。だからベルに行ってほしいんだ。君の力なら何が出ようと安心だし」

「だがそれはアリスの力でも十分だろう?」

 彼女はため息をつくと、

「もうせっかくの機会なのに、なんでそういうこと言うかなぁ。ベルはラッカードさんと、旅行したくないんだ? それならいいよ、あたしが一緒に行っちゃうから」

 そのいたずらっぽい微笑みにやっとその意図を悟る。

「だが…… 親父殿の許しが……」

 彼女はじれったそうに身をよじらせる。

「ああ、もう、はっきりしないなぁ! 行きたいの、行きたくないの?」

「……行きたい」

 小さく言う。彼女は大きく頷く。

「そうそう、そうじゃないと! 自分に素直にならないとね。あいつにはあたしから言っておくから、ラッカードさんと一緒に準備をお願い」

「あの、ありがとう」

「なんだかなぁ。そんなに気になるんなら、捕まえちゃえばいいのに。あの優柔不断なラッカードさんも、ベルが直接言えば断るはずないよ」

 彼女は軽く言う。

「そう、かな」

「間違いなくそうだよ。ま、それは好きにしてくれたらいいけど、本当に何かいた時は、どんな魔物なのかよく見極めて、危険なら排除しておいて。判断はベルに任せる」


 ◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇


 遺跡に潜むという強大な変異生物―― 今の暗闇はその存在の証なのだろうか。

 トールハンマーの変調ではない。

 ならばここで起きていることは、おそらく感覚のみに干渉する現象―― 強大な力を持つ何かが確実にいるのだ。旅行気分ではいられないようだった。しばらくすると状況確認の報告が次々に返ってくる。

 技師たちの簡易的なチェックによると、拠点の設備、調査用の機器に問題は起きていないようだ。

 周囲の荒野でも斥候が確認できた範囲では、変異生物が興奮しているだけで大きな異常は発生していない。

 最後にやってきたのはジャックだった。技師の一人が遺跡の中に残っていて、まだ戻ってきていないらしい。

「その馬鹿は誰だ」

「ラッカの旦那ですな」


 ◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇


 遺跡の地下――

 少女はふらりと身を起こす。僕は金の髪がベールのように顔を覆い隠すのを見た。

「違う。そんなこと、あるはずがありません」

 その否認には力がなかった。どれほどの時が過ぎたのか、彼女も薄々気づいていたのだろう。内部の時計が止まっていたとしても、周囲の老朽化具合を見れば十分に推測できる。だが認めたくなかったのだ。人間のようなロボットだと僕は思う。それ以前に彼女は本当にロボットなのだろうか。

 陽電子脳とは千年以上前に人類が生んだ科学の結晶だ。

 その構築技術は既に失われて久しい。だが特性ぐらいは僕でも知っている。陽電子脳とは人類の思考に似た構造の、反復学習によって形成されるニューラルネット知性だ。その問題解決能力は人類と同等で時に上回るほどの結果を出した。

 そのため人類によって彼らは制限を施された。

 陽電子脳は絶対の規則を構築時に刻み込まれている。それは人類の保護とその命令の遵守―― その規則の性質は犯罪者矯正用の脳インプラントと同じだ。

 いくら必要でも同じ人類にそんなことは決してできなかっただろう。相手が道具だからできたのだ。

 それはおそらく人類の汚点だ。しかしそうして人類は、やっと安心することができた。共に在れると信じた。だが結果は歴史が示している。

 六百五十年前――

 太陽系内からの連絡は途絶えた。太陽系の人類は滅び、陽電子脳の時代が始まったのだ。


 ◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇


 少女は表情を失ったまま黙り込んでいた。

 認めよう、確かにこの人型サイボーグは、陽電子脳で制御されているロボットなのかもしれない。そうではなかったとしても、少なくとも陽電子脳と何らかの関わりがあるのは確かのようだ。だが、もし本当に陽電子脳だったとして、彼女はこの先どう動くつもりなのだろうか。

 陽電子脳は太陽系を滅ぼした殺戮者だ。まだそのつもりなら、このまま看過する訳にはいかない。

 だが……

(信じられないという顔だな。まあ、無理もない。当時の僕たちにしても、君たちを相手に勝てる、とは思っていなかっただろうから)

 僕は言う。

(この近くに当時の戦場があるんだ。そこには君たちの残骸が今も大量に放置されている。見れば納得できるかもしれないな)

 少女は、いやロボットは僕を見た。

「何のつもりですか?」

 確かに、なぜこんなことを言ってしまったのだろうか。彼女の境遇に同情したのか。婆さんの真似でもしたくなったのか。自分でもその理由は分からなかった。

(案内は必要か、と聞いているんだ)

 少女は答えない。だが首の裏に刺さっていた何かが僅かな痛みを残して巻き取られる。その瞬間、身体が勝手に跳ねる。閉じ込められていた感情が一気に運動系に流れ込んだのだ。身体の自由が戻ったらしい。発作的な衝動を受け流して息を整えることに専念する。深呼吸を繰り返して何とか身体を落ち着かせた後、頭痛と目眩に耐えながら僕は半身を起こす。四肢にはまだ痺れが残っていた。感覚が戻るのを待って僕は立ち上がる。

「で、どうするんだ? 何もする気がないのなら、僕は帰らせてもらう」

 少女は顔を上げる。

「待ってください」

 憔悴の残る声で言う。

「お知らせしておきたいことがあります」

「どういうことだ?」

 僕は聞き返す。

「まず最初に謝っておきます。広い心で許していただければと思いますが。

 私はあなたに出会った時、あなたがどういう方か分かりませんでした。ですから最低限の保安上の措置として実は、先ほどあなたが意識を失っていた間に、あなたの脳に小さな爆弾を埋め込みました。

 その機能はあなたの行動の監視で、私について情報を誰かに洩らそうとした際、セットされている隠滅機構が起動し、記憶を完全に消去するようになっています」

 少女は真剣な顔で言った。

「言動には注意してください」

 僕は自分の間違いに気づいた。このロボットは僕とは違うし、僕は婆さんほど強くなかったのだ。

「本当はお知らせしない予定でした。ですがあなたはとても親切な方ですし、しばらく付近の案内をお願いする以上、最低限の信頼関係は必要でしょう。自分の置かれた状況は理解できましたか?」

 冷や汗が背筋を流れ落ちていった。少女は僕の手をとった。

「では、行きましょう」


 ◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇


 くらくらする頭で重い身体をのろのろ動かし、僕は遺跡の出口へと歩く。茜色の瞳の少女は、違うな、もう人間扱いする必要はない、くそったれのロボットは僕の腕に纏わりつき周囲を見回していた。 

「どうしてくっつく? 歩きにくいんだが。意味のないことはやめて離れてくれ」

 苛立ちを隠すことなく言った。気味が悪いし、誰かに見られると厄介でもある。ロボットは金の髪を揺らし僕を見つめると口を動かすことなく答えた。

(それはこのように役に立つからですよ。あなたが裏切りを考えていないかどうか、監視する必要がありますから)

(お前も思考を伝えられるのか)

(もちろんです。それに密着することによって、思考スキャンの精度は高まります。お互いの信頼を深める措置と考えてください)

 遺跡の周辺から傭兵は既に退いていた。僕は人目につかないよう、キャンプから離れた亀裂から外に出る。

 そこは深い森だった。足元は苔に覆われ、雑草が伸び放題になっている。霧深く見通しも悪い。この辺りの地下には水脈でもあるのか、水気がかなり豊富だった。ベルトでもここまで、水分の多い地域はなかなかない。ロボットは人の気配がないのを確認すると僕から離れ、眩しげに周囲を見渡した。

「ここは?」

 辺りはまだ明るかった。少しばかり歩くと、頭上を覆っていた樹冠に隙間が見つかる。そこで足を止めると、僕は手をかざし、スターライトを避けながら空を見上げた。真っ暗な宇宙を背景に白い光が目を射る。半壊した透過ファイバーの天井を通して、スターライトが取り込まれているのだ。その向こうには、巨大なセントラルの船体が浮かんでいた。

「僕たちはあの船体をセントラルと呼んでいる」

 白色に煌めくアダマンティウムの装甲。全長九十七キロの優美な円錐形のボディ。その後部には艦橋がある。その周囲には資材搬入ハッチやクレーン。そして船体から少しばかり距離をとってトールハンマーがある。

「これは……いったい? これは何なのですか?」

 ロボットは空を見上げ、不審げな低い声で呟く。

「何を言っているんだ? 見れば分かるだろう。同じ形のホーン形船体が二つ、背中合わせに、最後尾で繋ぎ合わされていて、向かって右側の遠い方をセントラル、左側の近い方の船体をリバース・セントラルと僕たちは呼んでいる」

 それは双頭の槍だ。前後に伸びた両の突端は鋭く尖っている。それで敵艦に突撃することを想定して設計されたという説もある。そんな近接戦闘が宇宙空間で成立するとは思えないのだが。そもそも遠目には尖っているが、実際の槍の先端辺りの地形は、氷塊の層に覆われ丸まっこくなっていて、あまり槍という感じでもない。

 その白亜の巨体の向こう側には暗黒の虚無が広がっている。ベルト地帯には惑星ほどの空気の厚みがない。大気はトールハンマーの重力で押し固められ、ベルトの表面、五百メートルほどを包んでいるに過ぎない。天井の透過ファイバーの辺りはほぼ真空だ。

 またベルトの大地の水平面から、視線を上げていくと、大地が湾曲し、セントラルの向こうを通過して、また背後に繋がる輪のようになっているのが手に取るように分かるはずだ。セントラルの周囲を囲むように構築されたこの輪がベルト地帯なのである。

「行こう。そんなに遠くはない」

 僕は森の中を進んでいく。生き物の姿はない。だが気配はあちらこちらにあった。かさかさという音は草むらからだ。樹の上では何かが、不気味な鳴き声を上げている。しばらく歩くと森は途切れる。平原だ。視界一杯に平原が広がっていた。荒れ果て焼け焦げた平原の十キロほど向こうにはまた森がある。平原は円状に展開していた。その中央にそれはあった。


 ◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇


「あれは……」

 少女が呟いた。折れたパイプが大地に幾つも突き刺さっていた。金属の残骸が、まるで巨大な墓標のように積み上げられていた。鉄屑のピラミッドと形容すべきそれは、壊滅した陽電子脳の外殻が破棄された跡だった。腐蝕しないアダマンティウムの骨格は、数百年変わらぬまま過去を留めている。その脇には陽電子脳の残骸が、叩き割られて転がっている。その隣に座り込んでいるのは、高さ二十メートルに及ぶ飛行型のロボットだ。頭部は吹き飛ばされ、腕は拳側から押し潰されたように圧壊している。翼をもがれ跪く姿は、まるで神に見捨てられた天使のようだった。そこは墓場だった。何千体いや何万体ものロボットが屠られていた。

 僕らは残骸の中心域にたどり着いた。少女は完全に言葉を失っていた。そこに立ち尽くしているのは一際巨大な超弩級ロボット―― 全高八十メートルを越える巨人だった。頭部や胸部の重要部分を破壊し尽くされ、穿孔し尽くされてなお、そのボディの大半は未だに黒金に輝いている。その立ち姿は小揺らぎ一つなく、いまだに戦い続けているようだ。

「くろがねの巨神と僕たちは呼んでいる」

 黒色の翼。巨大な推進機関。全長百メートル以上の大槍。それとほぼ同じ規模の機械弓。全身に配備された、残っている数だけでも四十門近い砲塔。重厚な装甲に包まれた巨兵は、かつて人類を襲った脅威を今に伝えていた。

「どうして……」

 呆然とただ呟く。

「どうしてオリオンが朽ちているのですか」

 少女は立ち尽くし、巨体を見上げていた。 

「馬鹿な。ありえない。あなたがた程度に、いえ何が襲ってきたのだとしても、オリオンを打倒できるはずがありません」

 数瞬後、我に返ったようにロボットは僕を睨みつけた。

「いったい何が起きたんですか?」

 僕は黒金の巨体を見上げた。

「無敵に思えたくろがねの巨神も、結局はこうして破壊された。数万の軍団も残らず僕らは破壊しきった。それでも君はやっぱりそいつらと同じように、僕らを殺そうとするのか? そして同じように破壊されるつもりなのか?」

 少女は不思議そうに僕を見つめ、それから納得したように頷いた。

「私がこの光景に絶望し、諦めてしまうことを望んでいるのですか?」

「そうしてくれればいいと思っている」

「私に与えられた目的はオリオンたちとは異なるものです。戦力差のある相手に正面から挑もうとは思いません。ですが私たちは諦めない。不可能であろうとも道が一つしかないのなら、やるべきこともまた一つしかありません」

「まあ、正面からは戦わない方が利口だな」

「ですが、その言い方からすると、これを可能にした力をあなたがたは今も保有しているということでいいのですね」

「なかなかいい勘じゃないか」

「そんなことで賞賛する必要はありません」

「別に、その柔軟性が羨ましいだけだ。太陽系時代の常識を持つ者が、こんな馬鹿げた事実をよく信じられるものだな。この陽電子脳の主力全てを身一つで滅ぼした人間たちが現実にいたことを」

 僕とロボットの間の時が止まる。

「そんなこと、ある訳がないでしょう」

 少女は僕を見て、肩をすくめる。

「……信じられないのか?」

「信じるはずがないと思いませんか」

 少女は冷ややかに言う。

「そうだな、それが普通だろう。でもこれが事実だ。予想していたんじゃないのか」

「そのような時間稼ぎはやめて、どんな兵器を使ったのか、事実を教えてください」

「だから兵器なんて何もないんだ」

「そんなに首から上が惜しくないのですか?」

 冷たい声音が僕を貫く。少女は僕を睨みつけていた。いったいどういう仕組みか、その全身が唸りを上げ、何もないはずの空間から、暁光の炎が溢れ出している。炎は空間を陽炎で揺らがせ、そこに何かがあるかのような幻覚を生む。その両腕が燃える炎のように輝く。夕焼けの女神は何かを呟いた。次の瞬間、細い腕の周囲に、アダマンティウムの装甲が無から現れる。

 鋼の槍―― 重火砲でありながら防盾でもあるそれは、大戦期の古代遺物で構成された複合武装だ。メインの火砲に、ウィンチェスターガード、ゴールディングエンジンといった信頼性の高い電子戦装備や、アルベルトリッパー、コスモスフィアマグナムなど奇襲性の高い近接武装が組み合わされている。

 陽炎の中から現れた兵器が、少女の腕を包み込んでいく。

 僕の見立てが正しければ、大層な名を持つそれらは、単独でも貴族の位を買える程の価値がある。確かに評価されているのは、威力というよりその技術ではある。というのも、その一つ一つが、コロニー数個分の巨大な企業集団が技術を結集してやっと造れる超兵器なのだ。それぞれがブランドを代表する商標であり、今の技術水準では複製することも覚束ない。だが威力も無視できるものではなかった。貴族の力にはおそらく及ばないがあの片腕の武装だけでもセントラルの城門は破れるだろう。

 巨大な圧力が僕を襲った。

 ごつごつした物騒な機械腕が突きつけられる。駆動音が静かな唸りを上げていた。僕は金縛りにあったように、全身が自分のものではなくなったのを悟った。感じるのは原初的な恐怖―― 対処しようのない巨大な力に対しての畏怖だ。少女は吼える。

「だからなんだと言うのですか! オリオンを倒した? だから降伏しろ? それが何だと言うのですか! 私が、諦める? あなたがたを恐れて? 私たちを、何だと思っているのですか!」

 だがそこで突然体勢が崩れた。陽炎は瞬時に途絶え、暁光は少女の裡に消え失せた。武装は空間の裏側に退いた。力を失って倒れる少女を咄嗟に抱きとめた。想像していたよりも軽い身体だった。僕はその激昂にそれの不安を感じた。まるで追いつめられた人間のような行動だ。

「おい、大丈夫か?」

(問題ありません)

 少女は抱きとめられたまま、身体をぴくりとも動かせないまま、停止した状態のままで強がる。

 今なら殺せるか? 僕は一瞬その成否を考えた。このか細い首を折ればどうだ?

(止めておいた方がいいでしょう)

 殺意に少女は平然と返す。

(もしあなたがこの外殻を破壊できたとしても、私本体の駆動には何の影響もありません。そして、その瞬間、あなたは死ぬことになる)

 黙り込んだ少女はしばらくして付け加える。

(すぐに復旧します)

 彼女の言葉の真偽を確かめる術は僕にはない。今賭けに出る必要はない。だがこれから僕は彼女をどう扱えばいいのか。

 倒すべき敵なら、まだ方法は分からないが、探っていけばいつかは弱点が見つかるだろう。何も全てを理解する必要はない。一つの弱点で十分ものは壊せる。

 だがそれをしていいのか。相容れないのであれば、共に生きられないのなら、仕方ないのかもしれない。人と陽電子脳の間には越えられない壁があって、それを否定するのは、血みどろの戦いを知らない後世の人間の、平和ボケした戯言なのかもしれない。だが僕は思わずにいられない。確かに人間と陽電子脳は違う。だが陽電子脳もまた人の創り上げたものだ。その基本設計は人類の文明を反映している。その存在は確かに似ているのだ。異星の生物ほど分かり合えない存在じゃない。

 僕はそう思う。

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