太陽系外縁を漂流する巨大宇宙船で生きる人類の物語

雨村 獏

第一章

第1話 夜と光の伝承

 水気を含んだ風が吹き抜けて、見渡す限りの草葉が揺れた。

 鋼の大地の表面には、黒い土が分厚く積もっている。

 開拓初期に散布されたものだ。

 種子がうまく根付いたのか、生い茂る雑草や潅木の中には、おそらく百歳以上の巨大な木もあった。その根は廃墟のコンクリートや腐食した鋼材を貫く勢いで伸びている。


 起伏の激しい丘陵地帯を越え、廃工場の群れを迂回すると、そこは谷の底だった。

 そそり立つ絶壁が数キロに渡り続いている。絶壁に刻まれた亀裂からは、地下構造物の姿が垣間見え、そのところどころからは、湧水が滝となって流れ落ちていた。


 この谷は発見者の名を借りて、セヴァン渓谷と呼ばれている。


 この辺りにあるはずだけど……


 僕は断崖に古びた円筒状の遺物を見つける。


 大樹の根のように見える金属パイプの正体、密封の解けた超伝導ケーブル敷設管―― それは重要な遺跡が近くにあることの証だ。


 僕は周囲を見回して、注意深く辺りを探る。


 大きな亀裂の向こう側――


 巨大な半球状のドームが、樹木に隠れるようにして建っていた。植物の根と蔓が絡みつく廃墟は、人の住処ではない。戦場に近いからか、かなり破壊されている。それでも原型は保たれていた。僕は偽竜を進める。間違いない。あれが目的地だ。僕はドームの周囲にキャンプ地点を探す。


 それは建造物の陰に隠れるようにあった。そこまで進むと偽竜を止め鞍から降りる。


 僕が担当しているのはキャラバンの第二陣―― 発掘部隊のとりまとめだ。部隊の主な構成員は、技師を中心とした研究職で、運んでいるのは鑑定道具等の貴重品だった。


 傭兵で構成されたキャラバンの第一陣は、既に到着して仮の陣地を構築していた。その中に、きびきびと指示を出しながら、忙しく立ち回っている長身の女性がいる。現場監督のベルフラウ・エンダーだ。ベルは僕を見ると手を止める。


「何をやっていたんだ、ラッカード!」


 ベルは長身で、僕と背の高さはほとんど違わない。だから立っているといい感じで目が合う。眼鏡の向こうの瞳は理知的な淡い青色で、肩にかかるはしばみ色の髪の毛は、さらさらで触り心地がいい。けれどあまり触らせてはくれない。


 ベルの身体は痩せ気味だ。ゆったりとしたコートの上からでは分かりにくいが、贅肉は皆無である。だが骨ばってもいない。肉食獣のようなしなやかな身体だ。控えめに開いた制服の胸元に覗くのは、彼女の瞳の色に似た丹青の宝玉。球形に磨き上げられ、アダマンティウムの鎖で首にかけられている。


 エンダーは大陸の奥深く、アウター・ホーンの貴族だ。彼女は僕の義理の姉で、恋人のようなものであればいいな、というか、いや恋人ではないのだが、もしかして相思相愛なのではないかな、とはたまに思うのだが、ええっと、まあ、何だ、とりあえず今はただの同僚だった。


「すまない。少し道草を食わされた」


「もうすぐ昼だ、予定は押しているぞ」


「分かってる。みんな、取り戻すぞ」


 傭兵が設けた仮の陣地を、拠点に仕上げるのは技師の仕事だ。僕は技師たちを集めると、設営の指示を始めた。




 ◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇




「私はこれから中の掃除をしてくる。後のことは頼む。技師たちには、明日の準備をさせておいてくれ」


 設営は四時間で終わった。まだ辺りは明るいままだ。遅い昼食を摂り終えた後、ベルは傭兵を連れて、遺跡の中に潜っていった。


 それから二時間後――


 器具の確認を終えた僕たちは、少しずつ光量の下がり始める午後、広場に座り込んで、休憩していた。


 たむろす男たちの表情は明るいが、どこか不安そうでもある。それはそうだろう。ベルトでは街道沿いから一キロも離れてしまえば、命の保証はない。近場に村もあるにはあって、人が定住できる程度には安全なのかもしれないが、やはり長居はしたくない。特にこの辺りは古戦場で、マクストンの迷宮も近い。そこから何かが迷い出てくるなら、人間は死を覚悟するしかない。


 こんなところに僕たちがなぜいるのか?


 発端となった出来事が起きたのは、今から二週間前だった。




 ◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇




「面白い遺跡を見つけたんだ」


 それが全ての始まりだった。普段の僕らの商売は、貴族に発掘品を売ることだ。有望な遺跡鉱山が見つかれば、自前で発掘することもあるが、ほとんどの場合は、山師が発掘してきた品を買い取り、それをまとめて貴族に転売していた。


 あくどい商売に聞こえるかもしれないが、貴族との交渉は文字通り猛獣との交渉だ、礼儀知らずの山師が直接交渉などすれば、どうなっても文句は言えない。必要な役割だと僕は思う。


 その日も僕は事務所で山師の相手をして、発掘品の価値の鑑定をしていた。そこに情報を持ってきたのは、馴染みの山師だった。街道から離れて、遺跡を探し回ったというその男は、探索の途中で小さな集落に逗留した際に、こんな話を聞いたと言う。


「その遺跡には古くからの伝説があってな」


 恒星間宇宙にまで到達した今の時代に、伝説なんて馬鹿げた話だ。しかし人類は最盛期を過ぎ、衰退の下り坂を転がり落ちている最中。まともな知識もないベルトの住人に、幽霊とテクノロジーの産物の、見分けなどつくはずもない。そこにはあらゆる妄想がはびこり、がらくたの山の中には、理解されないだけの現実も含まれていた。


 男が言うにはその集落の住人たちは、このようなことを信じていたらしい。


 その古代遺跡の奥深くにある祭壇には、暗黒時代に生まれた怪物が眠っていて、その怪物は百年に一度か二度、目覚めては天変地異を引き起こすのだ。


「本当かどうかはよくは分からない。もともと魔物が住み着いていたり、古びた設備の崩壊が多かったりで、実際に確かめた奴はいないらしい」


「天変地異というのは何なんだ?」


「こう伝えられている」


 男は歌う。


「かの者目覚めたる時、夜来たる。夜来たる時、夜が光を追い払い、地より夜溢れ、地を覆い隠す時、目覚めたるかの者、天に挑みて、天より裁き、かの者に下される。光来たる時、光が夜を追い払い、夜は地の底に墜ちて、かの者は、次なる目覚めの時まで再び眠る」


 ベルトに典型的な円環を描く神話だ。


「その夜だとか光だとかいうのは、何のことなんだ?」


 男は肩をすくめる。


「百年も前のことだからな。そう伝わっているだけだ」


「怪物の姿を見た者はいないのか?」


「たぶん誰も見てないんじゃないか。見ていれば話が残るはずだが、怪物がどんな姿かなんて、誰からも聞いたことがない。俺も覗いては来た。とにかく魔物が多くて、奥深くなんて行けたもんじゃないが、思ったより手はついていなかった。目につく範囲でも、掘り出し物が無造作に転がっていたぜ」


 男は笑う。


「でだ、実はその遺跡なんだが、発電設備がまだ生き続けているんだ。その電力をずっと借りていたんだが、最近になって遂に故障しちまった。それで管理をしている鍛冶師の長が慌てて様子を見に行ったんだが、すぐに引き返してきやがって、


『目覚めの時が近付いてきている。不用意に立ち入るのは危険だ。鎮まるまでしばらく待ってくれ』と言う。


村長は今すぐにでも修理したかったんだが、話を聞いてくれる鍛冶師がいない。だから俺が村長に教えてやった。必要な人手は外から呼べばいいってな。鍛冶師のじじいは全く馬鹿げたことに、


『外から人手を呼んでも直る保証はない。金の無駄になるだけだ』


 と負け惜しみをぬかしやがったがな」


「それでここに来たという訳か」


「まあ色々当たってみたんだが、ちと立地条件が悪いみたいで、乗り気になる様子がないんだ」


「どこにあるんだ?」


「マクストンの南五キロだ」


 僕は呆れ果てる。進入禁止区域は確かに、マクストンの周囲三キロまでだが、域外も居住を推奨している訳ではない。


「当然だな。そもそも、そんなところに住もうなんて思う奴は、ろくな素性じゃない」


 男は苦笑いを浮かべる。


「そりゃそうだが、言ってくれるな、ラッカード。じじいどもを信じるなら、一応は今も由緒正しい巡礼宿らしいぜ。マクストンがああなって以降は、盗賊も寄りつかなくなっちまったがな。で、ここからが相談なんだが、貴族様の案件として何とかできないか。マクストンの管理はあんたらの仕事だろ? 近辺に怪しげな魔物の巣窟があるなんて、放っておけないんじゃないのか? 発電機以外の品は好きにしてくれていい。村長と話はつけてきた。どうだ、悪い話じゃないだろ?」


 悪い話ではないが、意外ではあった。そういう人物ではないと思っていた。


「随分とその村の肩を持つんだな」


 男はしばらくためらい、ばつが悪そうに笑った。


「実は故郷なんだ」


「詳しいと思った」


「別に詳しくなんてないさ。十歳で飛び出した村だ。あらかた忘れちまった」


 どうしたものかと僕は少し考える。村への不用意な干渉は避けたいが、怪物の神話には興味が湧いていた。


「分かったよ。あいつに話をしてみるが、あまり期待はしないでくれよ」




 ◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇




 男が持ってきた情報を中心に、裏を取れるだけ取って、駄目元で仕上げた提案は、意外なほど簡単に通った。


「何だか面白そうな話だね。それならベルにも行ってもらおうか。骨休めついで、本当に何かいたなら、正体も確かめてくること。頼んだよ」


 商会長の一声で貴族の護衛がつき、後戻りは完全に利かなくなった。それから集落と連絡を取り、一週間をかけて契約を結んだ。契約金は危険性も含めて、安くも高くもない金額に設定できたと思う。こうして僕たちはキャラバンを仕立て、危険地帯に乗り込んで来たのである。




 ◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇




「ラッカの旦那。一杯どうですか?」


 休憩していた僕の隣に来たのは、黒ダイヤのような皮膚の巨漢だ。その上体はまるで、樽のように暑苦しく膨らみ、盛り上がった筋肉は、表皮に深い陰影を刻み込んでいる。来年五十歳になるとは思えない肉体だった。彼は油で一杯のドラム缶を、軽々と持ち上げる力自慢でもあり、それでいてうちの商会員の中でも、経験において並ぶ者のない熟練の技師であり、僕と並ぶほどの知識を持つ目利きの鑑定者でもあった。


「もらうよ、ジャック」


 差し出された酒瓶にそのまま口をつけぐびりといく。喉の焼ける感触が実に心地よい。


「いやはや、ここはいいところですよ。空気はうまいし、鉱脈は手付かず。投資した分だけ稼ぎ出せそうですな」


「問題は魔物の数だけだったからな。あれだけの傭兵にベルがいれば、その点に煩わされることもない。黒字の見込みがついたから来たんだ。これで赤字だったらどやされるぜ。まあ最悪、発電機をかっぱらえば、とんとんで押さえられるだろうけどな!」


「その通りですな!」


 ほろ酔いで僕とジャックは笑い合う。


「あ、あの、それ、冗談ですよね?」


 見るとそこには鄙びた格好の少年がいた。布はベルト地帯では手に入りにくい。田舎者は服装でそれと知れる。おそらく彼の着ている貫頭衣も、誰かのお下がりの古着だろう。彼は依頼者の村が出してきた、案内人兼監視役だった。名前は何と言ったか、まあ少年でいいだろう。


「おお少年、もちろん冗談さ」


 僕はにかりと笑っておく。


「心配しなくても発電機は修理する。もう前払い金はいただいているし、そのための交換部品だって、わざわざ持ち込んできているんだ」


「そ、それなら、いいんですが……」


 少年は頬をひきつらせて笑う。


「そんなに不安そうにしないでくれ。商売は誠実にやることにしている。金をもらった以上やることはやる。さっきのは本当にただの冗談だよ。トールハンマーに誓ってもいい」


「私も誓いましょうかな」


 ジャックの応援もあり、何とか少年は持ち直したようだ。


「そう言えば、現場監督さんはどちらに? ここにはいないようですけど……」


「今は傭兵たちと一緒に遺跡の中を探索中だよ。まず安全を確保してもらわないことには、落ち着いて発掘できないからね」


 少年は目を細める。


「あの方は貴族なのですよね」


「見た通りね」


「あの方はこの遺跡にいる魔物たちを、完全に狩り尽くすつもりなんですか」


 心配そうな口調だ。


「そんなことはしない。魔物を狩るのは、技師が作業する範囲とその周辺だけ、しかも実際には、追い払うだけで、狩るのは向かってくる魔物だけだ。それ以外の領域については、バリケードを設けて封鎖するだけだよ。安心してくれ。不必要に殺す気はない」


 一箇所で殺し過ぎれば、その後が荒れるものだ。荒野を生業とする者の常識である。


「そう、なんですか」


「君たちの大事な怪物殿も、奥深くで眠っている限り、手を出すつもりはないよ。出てくればどうなるかは分からんがね」


 少年は微笑んだ。


「別に大事という訳ではありませんが、父の父、母の母、そのまた父と母の、そのまた遠い昔のご先祖様の頃から、長い間、共に暮らしてきたものです。たとえ危険なものであったとしても、付き合い方も承知してますし、確かに、そうですね、多くはありませんが、あれを何というか、崇めているような人たちもいます。あなたは、ここで稀に起きる現象について、何か聞いたことありますか?」


「かの者目覚めたる時、というあれかい?」


「お聞きになったんですね、そう、それです。あの歌を聞くと、いつも思うんですが、まるで、かの者が、あの……」


 と少年は見上げる。


「偉大なる光明と同格の権能を備えた、対抗者のような気がしてきませんか。そうはいっても負け続きですけどね」


 少年は笑い、


「私たちの村は、マクストンの迷宮のほとり、魔物の巣窟の只中にあって、商人も寄りつかない辺境で、全然豊かではないんですが、歴史だけはあってそれだけが自慢なんです。


 これは私の想像ですが、この何が何だか分からないけど凄い怪物と、ここにいる自分たちが、どこか似ていると思ったからこそ、この好意的な語りが生まれたんじゃないか、私はそう思っています。


 もしかすると光もトールハンマーの気紛れで、地下には何もいないのかもしれません。


 本当は逆にそんな自分たちを映し出す鏡として、あの夜と光の神話は創り出されたんじゃないか、そう思う時もあります。


 伝統が私たちの誇りであるように、怪物もその誇りが形になったものなんだと、そう考えてみると、一部の方の、頑なな反応も分かるような気がしてきます。


 というか、実はですね、私は、そこまでこの村にも伝統にも、愛着を感じていないはずなんですが、それでも、私の中に、少し感じるんです。あなたがたがここに近付くことに対する、大切なものを穢されたかのような、曖昧な不快感を、今もここに。これは何なのでしょうか」


 少年は僕を見ていた。だがその問いは僕にというよりは、己自身に向けられているようだと、僕は感じた。


「君は今回の依頼には反対だったのかな」


 僕は少年の問いには答えず、逆に問い返す。


「いえ、賛成です。そうでなければここにはいません。ただ反対している方々とも、一緒に仕事をしていたことがあるんです」


「なるほど。微妙な立場だ」


 僕たちはこの遺跡へ来る前に、依頼者の村に立ち寄っていた。その際には、反対者の姿はなかったが、どことなく微妙な空気だった。単なる貴族への反感だと思っていたが、違っていたのかもしれない。僕はただ頷き、


「その件については、彼女に伝えておこう。皆の身に危険が及ぶことはできないが、可能な限り、穏便に進めるようにするよ」


 形だけの言葉を吐いた。




 ◇◇◆◇◇◆◇◇◆◇◇




 しばらくして僕たちは休憩を切り上げると、居残りの傭兵と共に野営の準備を始めた。僕は手を動かしながら遺跡を窺う。まだ傭兵が戻ってくる様子はない。


 そろそろ終わりそうなものだが、ベルは何か掴んでいるだろうか。


 このキャラバンの目的は商売だけではない。


 少年へ話した言葉は決して嘘ではないが、僕たちの真の関心を覆い隠すものだった。事業における利益など隠れ蓑にすぎない。僕たちがここに来たのは、本当は、その怪物の存在が気になったからだった。


 マクストン迷宮の周囲に、不確定要素は置いておきたくない、というのが貴族の方針だ。


 この奇妙な神話は、少年の言うとおりのものなのかもしれない。集落のありようを映し出すものとなったために、長く語り継がれることになった創作物――


 だが、今の僕たちが知りたいのは、この現実とは思えない神話に、原型となった事実があるのかどうかだった。


「お、帰ってきましたな」


 ジャックの言葉に目を上げると、傭兵が遺跡の中から出てくるところだった。多くの者が血塗れの、返り血を受けた姿だ。かなりの激戦だったようだが、その表情は明るい。


 僕はベルの元へ向かう。彼女は列の最後尾近くで指示を出していた。それが一段落するのを待って、水筒を差し出す。


「お疲れ様、ベル。怪我はないか?」


 淡青の瞳の彼女はこくこくと喉を鳴らして水を飲み、それから微笑む。


「ロッド、ありがとう。大丈夫」


「魔物の様子はどうだった?」


 ベルは淡々と答える。


「それなりの大物もいるにはいたが、迷宮の深層ほどではないな」


「あり得るとして、休眠中の未確認の竜属だとか、そんなところだろうと思っていたんだが」「予想が外れたな。私もそう思っていたが、気配も痕跡も見つからなかった」


「その他に、何か気になるものは?」


「旧時代の兵器による破壊の痕跡が、遺跡の内部に多数残されていた。暗黒時代か、それ以前のものだが、地下に向かって続いているようだ」


 近隣の合戦からの飛び火であれば、遺跡の外壁にも損壊があるはずだ。だがそこで見ることができるのは、劣化による崩壊だけだった。それは確かに気になる。


「本格的に深層を探る必要があるな」


「ああ。だが、それは明日にしよう。皆疲れている」


「そうだな。でも安全が確保されたのなら、今日のうちに調査する場所の目星くらいは僕がつけておこう。夜になるまで時間はあるし、発電機の様子も見ておきたいしな」


 ベルは僕の顔を覗き込んで、仕方がないと肩をすくめる。


「無理はしないこと、約束だ」


「分かってる」


 僕は技師たちを呼び集めると、必要な道具を身に着けて、遺跡へと踏み入る。


 遺跡の内部の光景は、そこで行われた激しい戦闘を物語っていた。


 生臭い匂いが充満し、壁は血で塗れている。道なりには使用後の武器が置き捨てられ、その脇には動かない魔物たち―― 殴り殺された死骸、押し潰された死骸、切り刻まれた死骸、貫かれた死骸、ありとあらゆる武器や罠で討たれた魔物の、損壊した死骸が幾つも転がっていた。


 手加減している余裕はほぼなかったようだ。


 僕たちは点々と続く暴虐の跡を歩きながら、遺跡の状態を確かめていく。


「随分と激しい戦いだったみたいですね。皆さんは何をしているんですか?」


 調査をしていた僕に、声をかけてきたのは少年だった。


「おお、少年か。遺物の質と残り具合の確認だよ。僕らの本業は価値ある品の発掘だからね。もちろん発電機の修理はするが、やれることはやっておかないと、後でどやされちまう」


 僕は拾い物の価値を鑑定しながら答えた。大規模な盗掘団が入るには、リスクが高すぎたのだろう。単独の山師が何人か入った痕跡はあるが、まだまだ値打ちものも残っていた。貴族もあらゆるものを複製できる訳ではない。特に精密機器用の交換部品は希少だった。僕はその一つ一つを検査する。外見上は使えそうに見えても、ほとんどは経年劣化で使い物にならない。残りも分別の過程で、九割は汎用性なしとして廃棄される。それらも後々に鉱山として利用される際、マテリアル化のための原料として、役立てられるだろうが、少なくとも今は、換金価値より運搬費用の方が高かった。


「ちゃっかりしていますね」


「稼げる時に稼ぐのは基本だよ、少年。お金で買えないものはあるけれど、買えるものはやはり買うのが一番楽なのさ」


 少年は苦笑した。


「発電機さえ直していただければ十分ですよ」


「そりゃもちろん。ジャック、発電機はどうだった?」


「問題ありませんな、ラッカの旦那。大したことのない故障ですよ」


 樽のような腹の男は答える。


「どのような故障だったんでしょうか」


 ジャックが少年に説明する。理解にはそれなりの知識を必要としたが、少年は十分についてきているようだった。


「少年はどこかで勉強をしたのかい?」


「あ、はい。塔で少し。村長の長男なのでこれからのためにと。ああ、それにしても、致命的な問題じゃなくてよかったです」


 妙に都市的な言葉遣いだと思っていたが、やはり塔にいたことがあるらしい。安堵している少年に僕は尋ねた。


「この程度の簡単な修理なら、自前でもできたんじゃないのかな?」


 少年は首を振ると笑った。


「確かにそうなのかもしれません。ですが表立って反対しなくても、あの神話を大切に思う者の数は、村の住人の半数を超えています。神話そのものは信じていない私たちも、心のどこかでは、今この時期に、遺跡に踏み入ることを恐れていました。村の人間だけではやはり、どこかで頓挫していたでしょう」


 その言葉にある含みを僕は問う。


「君はあの怪物の神話をどう思う? それが純粋な作り話ではなかったとして、本当に何かが起きていたのだとしたら、実際には、そこで何があったのか、君は考えたことがあるかい?」


 少年は少し言いよどみ、


「そうですね。あなたは、この辺りが、陽電子脳との決戦場だったのはご存知ですか」


「もちろん」


「くろがねの巨神が貴族と相打ちになったのも、このすぐ近くです。最終的に戦いは貴族の勝利に終わりましたが、彼らの全てが滅んだ訳ではなかった、としたらどうでしょう?」


「ここに生き残りがまだ潜んでいると?」


「その可能性もある、という程度のことです。とはいえ、これは私の好みの意見で」


 少年は微笑むと、


「実際の神話の起源になった出来事は、きちんとしたものが別にあるんです」


「きちんとしたもの、というのは?」


「正確には、最も広く知られているものですね。誰もが―― 実際のところは、長老たちと、若者で老人の話に付き合う気のあった少数は、という程度ですが―― 知っている話です。老人たちによると」


 少年は息をつくと、


「昼のさなか、突然まるで夜のように光が失われ、真っ暗闇になり、それが数十秒続いた後、この遺跡に光の柱が立つと、その直後、光が戻ってきて、景色も元通りになる、のだそうです」


 それは怪物の存在が抜け落ちていること以外、神話で語られている通りの現象だった。だが妙な擬人化がなくなった分、分かりやすくなっている。


「それはスターライトの停止を言っているのか」


 僕の推測に、少年は首を振る。


「それならベルト全域で同じ現象が起きるはず。ですがこれが起きるのはこの村の周辺だけで、街道近くの離れたところにある町では、そんな現象は感じもしなかったそうなんです」


「では、君の村の住人だけが、そんなことがあったと主張していると?」


 少年は頷いた。


「嘘だと疑われても仕方のない話です。ただそれに立ち会えた世代の者は、全員が口を揃えて、本当にあったことだと言いました。しかも、それは一度ではなくて、この五百年の間に、三度もあったんです。それらを信じないことは、ご先祖様三代を嘘つき扱いすることです。私もここで何かが起きることそれ自体を、疑うつもりはありません。ただ、その現象を、怪物の神話に繋げるつもりもないんです。たとえそれが、私たちを慰め、そして、勇気づけるものなのだとしても」


 少年はしばらく言葉を止め、それから静かに付け加えた。


「ここで実際に何が起きたのか、私は知りたいとは思いません。電力の供給が元通りになれば、それで私たちは十分なんです」


 その後しばらく僕たちは探索を続けた。なだらかに時間が過ぎていく。


「そろそろ帰りましょう。いい時間です」


 ジャックの声に僕は顔を上げる。確かに頃合いだ。周りの作業員たちは、持てる限界まで品物を抱えて満足げだ。それなりの時間が過ぎたようだった。だが僕にはやるべきことが残っている。


「僕はもう少し見て回るよ。少しばかり気になることがあるんだ」


 それはおそらく、僕以外の誰にも、ジャックにもベルにも気づけないこと、僕だけが興味を持つことだった。大男は肩をすくめる。


「あまり遅くならんようにしてください。姐さんの機嫌がまた悪くなりますから」


「そりゃ怖い」


「そう思うなら自重することですな」


 ぶつぶつ言い続けるジャックに、技師たちの指揮を任せ、僕は遺跡を歩き始めた。

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