普通(?)の定義 ~普通の男が、普通ではないアプリを与えられて、普通(?)に生きていく

C@CO

1 始まりは唐突に28歳から18歳に

 確か、私こと、倉野康太は自宅のアパートのベッドで横になって、寝ようと瞼を閉じたはず。


 年は28。

 とある東証上場企業に勤めている。上場しているとはいっても、プライムでもスタンダードでもグロースでもなく、個人投資家には解放されていないプロマーケットというマイナーな市場。加えて、BtoBメインの会社のため一般的な知名度も無い。家族や友人に話をしても「何をしている会社なの?」が必ずの最初の一言。


 会社から帰宅した。

 明日からは高松に出張のため、出張用のバッグにクリーニング済みのワイシャツと替えのネクタイ、着替えの下着を入れた。他はすべてバッグに入れてある。出張先で使う資料も入れた。


 夕食を帰り際に商店街で買ってきた総菜で済ませた。自炊するのは週末か、ノー残業デーで早く帰れる時くらいだ。

 夕食を食べながら、世間で起きていることをインターネットで情報収集をして、人と会った時の会話のネタ作り。


 それが済んだら、ひと風呂浴びて、趣味の映画で、昨日途中まで動画配信サービスで見ていた作品を最後まで見た。


 見終えたら、明日の予定の最終チェックと、起床時刻のアラームをセット。

 ベッドに横になって、まぶたを閉じた。寝た感覚は無い。


 それなのに、私の瞳に映るのは学校の教室。

 辺りを見渡すと見覚えがある面々。少し前に高校卒業10年を記念した同窓会が盛大に開かれたのだが、その時の記憶より明らかに若い。


 窓際の席だから、左を向くと、ガラス越しに秋の色づき始めた木々が見える。

 その窓に映って見える姿は、高校の制服をまとった自分。28歳には見えない。

 若い。というよりも、幼い。


 夢なのか現実なのか分からなくなって、思わず、右頬をつねった。

 が、痛いだけ。


 何も変わらない。

 目覚めて、アパートのベッドで横たわる状態にはならない。


 もう一度、今度は左頬をつねるが、痛いだけ。もちろん、何も変わらない。

 窓ガラスには両頬をつねる可笑しな自分の顔が写っている。


「ぷっ……。ねえ、何やっているの?」


 後ろから、左側を向いているから実際は右隣の席から、声を掛けられた。

 あきれた笑い交じりで。


「……夢と現実の違いとは何かを考えていた」


 両頬をつねっていた手を放し、声を掛けられた方向に振り向いて、そう返した。


 私の右隣の席に座っていたのは、高月京子。

 同窓会の時には、優しそうな旦那と二人の子供が一緒に写った楽そうに笑う写真とともに、幸せオーラを大量に浴びせられた。


 それに当てられて、良く言えば独身貴族を気取っていた私は、


 ――結婚もいいかも。


 と思ってしまったほど。


 しかし、彼女は、この時期、私が隣の席だったことを全く覚えていなかった。


「……ぷっ! 何それ? 一人コントの練習?」


 そう言いながらコロコロ笑う彼女は、同窓会の時とは違って、淡いリップクリームは塗っているが、化粧気はない。

 大人っぽさも、人妻らしさも、母親らしさもない。

 過去の記憶に埋もれていた高校生の姿だった。


 とりあえず、夢か現実を選ぶなら、現実を取る方に心が傾いた。


「……っ! もう! 笑わせすぎ。そんな『真面目なことを考えています! キリッ!』って顔をして、現実逃避しても、数学のテストは向うから追っかけてくるよ。さあ、倉野君も勉強、勉強」


 どうやら、数学の授業前の休み時間らしい。

 しかも、これからテストがあると。

 自分の机の上にも、高月の机の上にも、数学の教科書とノートが広がっている。

 教室を見渡せば、同じように勉強している面子が多い。


「あれ? スマホに着信があるみたいだよ」


 確かに、机の脇に無造作に置いていたスマホにロック画面が表示され、メールの着信を告げているが、


 ――スマホに触っていたっけ?


 高校では通知音やバイブレーションが鳴らないサイレントモードにしている。

 授業中に鳴らしたら、即没収で、放課後まで職員室預かりが決まりだった。

 だから、高校にいる間はスマホが着信を知らせることは無いし、触ってディスプレイを表示させないと、着信を知ることも無い。


 なお、この時のスマホは、このように無造作に置いていたがために、高校卒業前に落として、壊してしまった。


「? ……ありがとう、高月」


 に落ちないものを感じながらも、とりあえず、一言、礼を言ってから、メールの内容を確認する。


 顔をしかめてしまう。


>>めんご、めんご

  ちょっと操作を誤って、過去に飛ばしちゃった

  もう、ほんと、このシステム、ポンコツなんだから

  本当は、始末書書かないといけないけど、黙っていてもいいよね?

  つーわけで、君ももう一度人生やり直しちゃっていいから

  じゃあねー


 あざとい顔文字も乱舞しているために、文章の内容以上に軽薄けいはくさが際立つ。

 もっと言えば、チャラい。


 ――やはり、現実より夢のような気がしてきた。


 と思ったら、再び着信。


>>ぷんぷん

  チャラいとはなんだ! 失礼な!

  それと、夢じゃないぞ! 現実を見ろ!


 少しカチンとくる。

 そういう態度で来るなら、こっちにもやりようがある。


>>時間を逆行してきたって周りに言う?

  信じられるわけないじゃん。馬鹿にされるに決まっている

  ぷぎゃーってね


 最初は当然信じられないだろう。

 だけど、言っていることが本当だと知られてきたら?

 ネットに上げたらいつまでも残る。

 日本の次の首相の名前は? アメリカの大統領は?

 次のサッカーW杯の優勝国はどこで、日本の成績は?

 2年後に開かれるオリンピックで日本はどの種目で何個金メダルを取る? 


 思い出せることを全部、今ネットに上げたらどうなる?

 1年後? 2年後?


>>ちょ、ちょっと待った!

  それをやられると困る

  バレる

  バレたらヤバイ


 別にこっちは困らない。困らないことは無いが、優先度はこっちが上だ。


 ――さて、何から書き始めようか。


 と、再びの着信。だが、今度は様子が一変していた。

 文面を見た瞬間、背筋に恐怖が駆け上がる。


>>お相手を■■から変わりました。

  ■■の上役になります■■■■と申します。

  今回は■■の不手際により、倉野様には大変なご迷惑をおかけしました。

  深くお詫び申し上げます。

  今後二度とこのような出来事が起こらないように再発防止に努めます。

  付きましては、倉野様には「操作アプリ」を特別に送らせていただきます。

  ご自身のスマートフォンでご利用いただけます。

  今後の人生をより意義深いものにするために、お役立てください。

  このアプリは倉野様の魂に直接紐づけられています。

  そのため、現在利用している端末が故障した場合でも、

  自動で新しい端末に組み込まれます。ご安心ください。

  なお、今後のやり取りは不可能となりますので、ご承知願います。


 最後の署名には「人類管理部第4課主査」の肩書が付いていた。

 そして、■■や■■■■は「名前」とは認識できるのに、それ以上の認識は魂が拒絶する。


 身体の震えが止まらない。


「ねえ、ひどい顔をしているけど、大丈夫?」


 高月が心配気に声を掛けてきた。

 そんなにひどい顔をしているのだろう。

 これまで私がやり取りしていた相手は、最初から次元の違う存在だったのだ。それが向うも戯れで相手をしていたのを、私が調子に乗ってしまった。


 容赦なく押し潰されてもおかしく無かった。


 ――見逃されたのは幸運だった。


 今はその幸運を噛み締めることにする。


「……もう大丈夫。なんか、ひどい迷惑メールに絡まれただけだから」


「……そう? ……って、テストが始まっちゃう」


 私の返事にあまり納得していなさそうだったが、チャイムの音に遮られる。


 教室の空気が変わる。同級生たちの動きも変わる。

 最後の詰込みを頑張ろうとする者。友人との会話を切り上げ、隣の教室に戻る者。外からあわてて教室に入って来る者。


 チャイムが鳴り終わると、数学担当でクラス担任でもあった田中先生が教室に入ってきた。

 同窓会で会った時より若い。髪の毛がふさふさしている。


 その彼が教壇に立つと、


「さあ、テストを始めるから、机の上の物を片付けろ」


 そして、このテストによって、私は、また別の意味で、完膚なきまでに打ちのめされることになる。




 **********




 初投稿の拙作をお読みいただき、本当にありがとうございます。


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