第4話 袖の重さ
俺の心持ちに変化があったのだろうか。清正学校の入学試験を受験することが決まってから、祖父ちゃんの遺影に笑顔を見ることが増えた。
頑張れば頑張るだけ、褒められている気がする。
祖母ちゃんの遺影はもうないが、不思議と並んでいるようにも思えた。
だが、こうしてゆったりと祖父ちゃんの遺影を見るのも、四十九日までだ。
祖母ちゃんもそうだったが、祖父ちゃんも「葬儀は不要」「遺骨を海に撒く」など、自身についての対応を指示していた。
しかし海洋散骨には賛成でも、これまで多くの付き合いがあっただろうから葬儀はした方がいいと思うし、そうなると遺影をすぐに処分してしまうのは悲しかった。
両親が亡くなったときもそうだったようだし、祖母ちゃんが亡くなったときもそうだった。だから、祖父ちゃんが亡くなったときも、俺は同じ判断をした。
亡くなった大事な人の意志と、生きている残された人たちの意志と、折り合いをつけるのは大変だ。
「秀くん」
振り返ると、佐伯さんが柔らかな表情で立っていた。
「私も挨拶をさせてもらうよ」
横に座って、静かに目を閉じる。紳士的で、礼を尽くした挨拶だった。
「すまないね、最近はこうして話すこともなかっただろう」
「いえ、俺のことで忙しくさせてしまっているので」
葬儀を始めとした祖父ちゃんに関することは、問題なく進んだ。
しかし、俺については問題が多く残っていた。未成年であること、親族がいないこと。
それら、俺が苦労したのであろう手続きなどは、祖父ちゃんの遺書や、佐伯さんたちによって進められている。
俺が勉強する機会に困らなかったのは、多くの助けがあったからだ。
それでも、準備が整っていたことに対して、少し寂しく感じるときも、あったりする。
残すところは、養子縁組。
養子縁組に関しては、親族がおらず引き取り手のない俺を、佐伯さんが面倒を見てくれることになった。
それは、祖父ちゃんが望んだことでもあった。
「すみません。あの時は、一方的に拒み続けてしまって……」
初め俺が話を聞かずに抵抗したこともあって、佐伯さんが考えていた予定とは異なる進行になったようだ。
今も忙しくする佐伯さんたちに、頭が上がらない。
「気にしないでくれ、秀くんのためだからね」
温かく、力強い言葉だ。
「今日は入学式だったけど、どうだったかな?」
「そうですね……あの門を見て、頑張らないといけないなって思いました。それに、その……不謹慎かもしれないけど、楽しかったです」
「はは、不謹慎なものか。秀くんがいい顔をすれば、お祖父様も喜ぶよ」
見てごらん、と。そう言うように、佐伯さんが祖父ちゃんを見た。
俺も佐伯さんの目線を追いかける。
「そうだといいですね」
窓から夕日が差して、神妙な空気の中で強く思う。
「秀くん」
「はい」
僅か微笑みを浮かべて、色の強い視線が目を差す。
「前にも言ったと思うけど、忘れないでほしい」
きっと、合格が決まった日のことだろうと思った。
俺は心のどこかで、後ろめたさを感じていた。
もちろん、筆記試験の内容は他受験者と変わらないものだったようだし、面接試験も同様だったようだが。
それでも、本来許されるかはわからない、許されないことの方が多いのであろうタイミングでの受験に、卑怯と思わないことはなかった。
本音を話せば、今も抱えていること。
けど、合格を前にした俺の姿に陰を見たのか、佐伯さんは言いきってくれた。
「君は努力したことで、素晴らしい結果を示した。だからこそ、我が校に迎え入れられた」
二度目。復唱のようなもの。覚えがあるのに、その時よりもずっと鮮やかに、言葉が胸に刺さる。
「人には誰しも事情というものがあって、定められたルールと折り合いをつけるのが毎日だ。時期外れな受験も、決して私の勝手で決定できたものではないし、つまり、君が後ろめたく思う必要は無いんだよ」
まるで手本を見せるように、佐伯さんが姿勢を正して立ち上がった。
「だから、胸を張ってほしい。そして、これからも頑張ってほしい。後ろめたく思うのなら尚のこと、結果を出してゆけばいい」
もう一度微笑んで、軽やかに俺の肩に触れてから部屋を後にする。最後に「応援している」と言い残して。
今日、清く正しい門をくぐって確信した。胸に残る陰りこそが、俺を縛ってくれるはずだと。
「祖父ちゃん。勉強して、それから好きなことをする前に、まずは恩を返したいんだ」
笑う祖父ちゃんと、約束をする。
「ちゃんと応えていくよ」
返事はないが、気持ちは満たされていた。
「秀さん」
温かい声が肩を叩く。
振り返って、部屋に入ってくる明音さんを見た。
「隣、失礼しますね」
美しい姿勢で、夕日の線が良く似合う姿で、静かに祖父ちゃんと話す。
ゆったり瞼を持ち上げると、すぐに目が合った。
「散歩、一緒しませんか?」
「はい」
佐伯家の敷地の中には、綺麗な庭がある。
数えきれない花や植物が美しくあって、色鮮やかな庭だ。一つ一つを見ていくと、どれだけの時間が過ぎるだろう。
「四月に入って、ここもより春らしくなっていきますね」
明音さんは、夕食の前になると庭を見て回ることが多い。その時に俺が暇をしていたり、何か悩んでいたりすると誘ってくれる。
時間の影響もあるのだろうか。花を愛でる明音さんは、いつもより儚く見える。
花から繋がる、遠くへ思いを馳せているようだった。
俺はこうして、一緒に庭を見て回るとき、花よりも、花を愛でる明音さんを見つめるばかりだ。
「どうしました?」
上目に問われ、花に近づいて誤魔化す。香りがより強く鼻を通った。
「綺麗だなと思って」
「そうですね。咲いたときはもっと綺麗ですよ」
目線の高さが近くなって、微笑みを真っ向から受け止めるのも大変だ。夕日に助けられながら、笑顔を返す。
「お父さんとは、何をお話していたんですか?」
目の前の花と別れて、また少しの間、明音さんの後姿を見つめていた。
「学校はどうたったか、少し話しました」
小さな両手が背中で繋がれて、暇をしている。
「ふふ。きっと不安だったんですね」
「不安?」
「ええ。本当は嫌なのに、我慢させていないかって」
「そんなことはないですよ。むしろ、感謝しきれないぐらいで」
「大丈夫です、伝わっていると思います」
明音さんが途端に歩みを止めて、俺が一歩多く進んだことで距離が縮まる。
振り返ったその目は、この距離を知っていたかのように正しく、こちらの目を射抜いてみせた。
「秀さんのお顔、今とっても柔らかく見えますから」
「ほら」と、明音さんが俺の頬を包んだ。
「可愛いです」
「…………」ただ、何も言えなかった。ただ、顔が熱いことはわかっていた。耳も赤いだろうか。
「私も不安だったんです。その……我ながら、無理矢理な理屈だったと思うので」
両手を胸の前で結んで、柔らかく見えた。
「秀さんがそういうお顔をしてくれるなら、間違ってなかったって思えます」
明音さんが言った「柔らかく」の意味が、わかったような気がする。
「帰りにも言いましたけど、本当に感謝してます。意固地になってた俺を……柔らかく、してくれたのは佐伯さんですから」
こうして見つめ合う時間も、夕日が遠くなり、照明が目立てば終わるものだ。
「そろそろ戻りましょうか」
「そうですね」
自然と、二人肩を並べて歩いた。
「でもっ、クラスが別々になったのは残念です! とっても残念です!」
「もしかして、拗ねていたっていうのは」
何気なく口にすると、鋭い視線が横から刺さる。
「そうですよ」
刺さり続けて、見ないようにし続けていると、やがて袖に重みを感じた。
すると、確かめないわけにはいかなくなる。
俺は、必死に言葉を探した。
「……だって、一緒がいいじゃないですか」
祖父ちゃんは、いつも祖母ちゃんに敵わなかった。
けど祖父ちゃんにとってそれは、嬉しいことだったのかもしれない。俺は、そう思っていた。
「……お昼、一緒しますか?」
そして俺は、明音さんに敵わない。
これは俺にとって、嬉しいことだろうか。
「誘ってください……」
「え……はい」
春に吹く風の先で、きっとわかるはずだ。
この袖の重さも忘れられない。そんな日々が、続くはずだから。
絶対に幸せにするラブコメ 稲月 見 @Inazuki_Ken
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