手記物語

もちころ

巻き戻る妻

~1年目~

僕が28歳の時、4歳年下の妻と結婚をした。

結婚に理由はない。ただ何となく周囲の人間たちが結婚をし始めているから、僕もそろそろ身を固めようという平凡的な理由で、友人の紹介で知り合った妻と結婚をした。

妻とは奇跡的に波長が合い、あまり喧嘩もせず、ある意味理想的な結婚生活を続けていた。どこか満たされない思いもあったが、結婚とはそういうものなのだろうと納得した。


~6年目~

異変があったのは結婚生活6年目を迎えた頃だった。

妻が徐々に若返っていることに気づいた。

最初はあまり違和感がなかったが、6年経った後の妻は30代とは思えぬほど若々しくなっていた。昔妻の実家でアルバムを見せてもらった時に写真に写る、18歳の時の妻と酷似している。


妻は自分が若返っていると知った時、少し動揺したらしい。

だが彼女はすぐに笑ってこう言った。「10代の頃の体だからかえって仕事しやすいかも」と。


僕は妻の変化に動揺しながらもいつもの日常を送ることにした。

妻も10代の見た目に若返ったことをある程度受け入れ、仕事に入れ込んだ。


ある日、僕が帰宅すると妻がリビングで泣き崩れていた。

いわく、仕事を解雇されたと。

仕事の段取りが分からなくなり、職場の人間から疎まれ、社長から解雇を受けたと。


妻はしばらくパートをこなしていたが、どれも長続きせず、引きこもるようになった。

僕は仕事の合間を縫って、妻をさまざまな病院に連れて行った。

しかし医者からは「若返って記憶を失くしたなんてばかばかしい」と門前払いを受け、診療を受けても薬だけ渡されるだけだった。


穏やかだった妻の面影はない。

10代特有の感情のコントロールのなさと、将来に対する不安や周囲の人間からの奇異の目などを気にし、妻は情緒不安定になっていく。

突然怒り出したと思えば、急に泣き出す。

僕はそんな妻に対してどう接すればいいか分からなかった。

そうしてこの状態は5年続くこととなる。


~13年目~

妻の情緒不安定さは5年経ち(見た目年齢で13歳ほど)になってようやく落ち着いた。

その代わりに物忘れがひどくなった。

僕の名前はもちろん、自分の名前や両親の名前、住所なども言えなくなっていたのだ。

妻の見た目年齢は5歳ほどになっている。僕は47歳。はたから見れば親子同然に見えるだろう。

時折妻が記憶を取り戻すことがある。しかしそれもほんの一瞬。

妻は僕のことを「お父さん」と呼ぶようになった。実父と勘違いをしているのだろうか。それは分からない

僕は本当の気持ちを押し殺して、そう呼ばれることを受け入れた。

本当は僕の名前を呼んでほしい。そう思うとふと涙が出てくる。年のせいだろうか。


僕は5歳の妻を抱きしめる。

嗚咽を漏らしながら、妻を抱きしめる。

「お父さん、どうして泣いているの?」

舌足らずな妻の言葉が、僕の心に沁みる。


~18年目~

結婚から18年目。

妻は亡くなった。享年43歳。見た目は赤ん坊だった。

小さな棺に入れられ、火葬場で妻が焼かれる様子をぼんやり見ていた。

妻の葬儀に参加するものは、僕以外誰もいなかった。


妻の葬儀が終わったあと、僕は新居に引っ越すために準備をしていた。

不要なものと必要なものの選別。

その時に妻が書いた手紙を見つける。


ボールペンでひらがなで書かれた、3枚の手紙。

妻の筆跡だった。おそらく5年前に書いていたのだろう。


「あなたへ、たくさんめいわくをかけてごめんなさい。」

「あなたがいっしょにいてくれたから、わたしもなんとかいきれました」

「ありがとう、あなた」


つたない字でつづられた、妻の思い。

ふと涙が手紙に落ちる。

妻との結婚生活は決して楽なものではなかった。

けれど喜びを感じる時もあった。

さまざまな感情がぐちゃぐちゃになって、嗚咽交じりの涙がこぼれる。


初めて出会った24歳の妻の顔。

若返りによって辛い目にあい、情緒不安定になった18歳の妻の顔。

記憶をほとんど失い、親子のように過ごした5歳の妻の顔。

そして安らかな顔で死んでいった、0歳の妻の顔。


妻の顔と18年間の思い出が、僕の脳裏を満たしていく。

本当は君の年を取った姿が見たかった。

もっとたくさんの場所に連れていってあげればよかった。

仕事に逃げず、君と向き合えたら。

君との未来を、もっと考えていきたかった。

君と年を取って、死にたかった。


すまない、すまない、すまない、すまない…。


「あなたへ、わたしのぶんもいきてね。やくそくだよ。」

妻の手紙の最後に書かれた文で、僕は泣き崩れた。


~現在~

最近になって、若返りのメカニズムが分かってきたというニュースが入ってきた。

そして妻と似たような症例が、少ないながらも見つかったという。

僕はそのニュースを見て、この手記を書いたというわけだ。

きっとこの手記が誰かの手に渡っても、なんの役にも立たない。


ただの男の後悔をつらねた日記に、何の価値があろうか。

それでも、もしかしたら、同じ症例で苦しむ人やその家族に寄り添えるかもしれない。

1%に満たない希望を託して、この手記を残そう。


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手記物語 もちころ @lunaluna1

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