短編:梅の話

オーツ・モクシロ―

梅の話

「私は梅だと思います」

 お題の答えを揃えるゲーム。そのサービス問題『春の花と言えば?』で、彼女は「梅」と答え、僕らのチームは三回連続答えがそろわなかった。

 そう答えた彼女、羽布津うめのせいでチームの空気は冷え冷えとしたが、僕の内心では面白い女の子がいると笑っていた。

「桜こそ春の花、って言われても別に反論なんてしません。でも、私は『うめ』なのでこう答えることにしてるんです」

 コーヒーとカフェラテが乗ったテーブルを挟んで彼女は言う。

「梅は春を知らせる花なんです。おばあちゃんが言ってました」

「おばあちゃん?」

「『うめ』はおばあちゃんが名付けてくれたんです。私、二月生まれで」

 まだ寒さが厳しい時期に、冬の晴れ空とのコントラストが美しい黒い枝に、可愛らしく、しかし凛と咲く小さく丸い白やピンクは、春が来ることを美しく、力強く教えてくれる。

 羽布津うめも小柄で可愛らしかったり、ボブカットで丸っこかったり、今日初めて話す僕にさえ強く主張できたり、『うめ』という名前が良く似合っていた。

 そんな四月の出会いから、僕らが付き合うまであまり時間はかからなかった。


 六月初め頃の日曜日、僕は友達との宅飲みから、朝帰りしていた。

 朝四時過ぎに煌々とした蛍光灯の部屋で目覚めた僕は、まだ夢の中の友人三人を起こさないように、こっそりと部屋を後にした。

 静かに雨の降る朝だった。僕はそのまま歩き出す。

 僕は雨に濡れるのが好きだ。季節の一部になれる気がするから。冷えていく肌に生きている確かな感覚を得られるから。

 もちろん酔ってもいたのだろう。財布や携帯が濡れる事なんて頭の隅にも浮かばなかった。

 夜明けの、休日の静かな、雨に濡れる街をゆっくり、唄いながら歩いた。

「先輩?」

 振り向くと、羽布津うめが白い傘を差し、ビニール袋を提げて立っていた。

「こんな所でどうしたんですか、傘は?」

「うめちゃんこそこんな朝早くに、買い物?」

「ちゃん……、酔ってるんですか?」

 こくこくと頷く僕に、彼女はため息をついた。

「部屋近いので、とりあえずついて来て下さい」

「え、飲み直す感じ?」

「……私、まだ二十歳なってません。放って置いたら、風邪引いたり、風呂で溺れたりしそうで心配なだけです。行きますよ」

 彼女の部屋は歩いて三分もかからない近さにあった。対して僕の部屋はそこから二十分も歩く場所にあった。大学を挟んで真反対の位置関係だ。

 熱いシャワーを浴びて脱衣所に出ると、濡れた服の代わりに白いTシャツと新しいパンツが用意されていた。洗濯機が回る音が聞こえる。

「これ、着ていいのー? 彼氏のー?」

 彼女に呼びかけると、怒ったような声が返ってくる。

「違います! 私のTシャツです。あとはシャワーの間に買ってきました」

「ぶかぶかTシャツか。……あ、ちょうど着れそう」

 僕はTシャツを着る。真っ白だと思っていたが、抽象的なイラストが描かれていた。

「せめてオーバーサイズって言ってください。それに、ただの部屋着です」

 彼女が出してくれた温かい紅茶を飲む。

「あんまり部屋は見ないでくださいね。急だったのでちゃんと掃除できていないです」

「べつに汚くないけどな」

「汚いわけないじゃないですか。人を呼ぶための掃除をしていないだけです」

 人を呼ぶための掃除ってなんだよ、と思いつつ、ぼんやり部屋を見回す。

 物が少ない部屋だった。小さいぬいぐるみが二つ。カラーボックスが二つ、一つは本棚、もう一つはレース風の目隠し布が掛かっていて小物入れのようだ。他には――。

「だからあんまり見ないでくださいって」

 僕の視線に気づいた彼女が少し怒ったように言う。

「ごめんごめん。女の子の部屋なんて滅多に入れるもんじゃないから。うちの学部、女子少ないしさ」

「先輩は彼女いないんですか」

「いないよー。男友達ならいっぱい居るよ、今日も宅飲みの帰りだし」

 僕はまた紅茶を飲む。彼女は、そっか、と呟いている。

「逆に、彼氏いないの? うめちゃん可愛いし、モテるでしょ?」

「え、い、いや、……いないです」

 照れたように少し慌てた反応が可愛い。半分冗談の発言が思いの他効いたらしい。

 羽布津うめは確かに可愛い女の子だが、モテるタイプではない。

 今度は面白い反応を引き出したくて、もう一言、冗談を被せる。

 敢えて真剣な調子でいう。冗談だと言った時、ギャップが大きくなるように。

「じゃあ、いない同士、付き合う?」

「え」

 彼女は驚いたように目をひらく。あれ、慌てない?

「いい、ですよ」

「え」

「新歓の時、空気壊しちゃったって私分かってて不安でした。でも先輩は声かけてくれて、話聞いてくれて安心しました。学校でもすれ違うたび声かけてくれて嬉しいです。私、先輩の事ちゃんと好きです。先輩は冗談なのかもしれないけど、私は好きですから。私の事嫌いじゃないなら、付き合ってください」

 冗談の振りどころを間違った。それに、付き合う提案を取られた、というか告白された。

 彼女のことは嫌いじゃない。というかむしろ気になる。好きに近い感情かもしれない。

「わかった、付き合おう。実はうめちゃんの事、気になってはいたんだよ」

「え、本当ですか。よろしくお願いします。……嬉しいです」

 本当に嬉しそうに微笑む彼女は今まで見てきたどんな表情より可愛くて、鼓動が早くなるのが分かった。

「じゃあ、先輩。初デートは美術館行きましょう! 来週土曜開けておきますから」

「ちょっと急過ぎじゃない?」

「いいじゃないですか。先輩、美術館とか行かなそうだから、楽しみです」

 意外にも強引な誘い。彼女は楽しそうに行きたい美術館について僕に話始める。その表情はとても生き生きと笑っていて、いつもこんな風にしていればと思う。

 結局、美術館デートは大雨のため中止。僕らの初デートは七月に入ってからになった。


「先輩、今週もお疲れさまでした。かんぱーい」

 僕らはグラスを軽く合わせる。

 羽布津うめは、自家製梅酒のソーダ割を勢いよく飲む。

「本当に美味しいですね、これ。やっぱり『梅』酒だからだよね~」

 一杯を飲み干した彼女が、なぜか得意げに笑う。

「違う、ちゃんと熟成されてるから。梅酒作ろうと思った二十ヶ月前の僕に感謝してくれよ」

「先輩、二十一ヶ月前です。付き合い始めてすぐに『梅』酒作ろうと思うなんて、あの頃から私のこと大好きだったんですね」

 グラスの中身を梅酒のロックに変えて、氷をゆらゆらさせながら彼女は幸せそうだ。

 先月お酒が飲める年になったうめは、名は体を表すかの如く、梅酒にハマった。

 その中でも一番のお気に入りが僕の自家製梅酒だった。

 二リットルサイズのガラス瓶に作った梅酒を、小さなガラスボトルに移して誕生日のプレゼントの一つにしたところ、数日かからず飲み干した。

 それから毎週末僕の部屋にやって来ては、大元のガラス瓶を自分の横において、僕にまで注いでくれる。さながら、梅酒奉行といった格好だ。

「本当にこれ、美味しいなぁ……」

 うめはグラスの澄んだ飴色を蛍光灯にかざし、しみじみと言う。その顔はぽうっと赤みを帯びてきている。

 彼女はお酒に強くない。ソーダ割とロックの二杯も飲めば十分に出来上がってしまう。

「先輩が私のために作ってくれたからかな……」

 酔った時にはこんな、いつもと違う可愛らしい言葉が出てきたりして、嬉しかったりする。

「先輩、他のお酒でも漬けてあるんですよね! 飲みたいです! ちゃんと美味しいか調査します!」

 ロックを飲み干した彼女が空のグラスを差し出して言う。

「だめだめ。今日ちょっとペース速いから、ほら、水飲んで」

 空のグラスに水を注いでやると、ちょっと残念そうな顔をしながらも飲み始めた。

 彼女とは反対に僕は、ほどほどにお酒に強くて、色々なお酒が好きだった。

 最初に梅酒を漬けたときはスタンダートをそのままなぞったが、その一年後は種類を増やして色々なお酒で漬けた。漬けてからまだ一年経っていないので解禁はお預けだ。

「先輩飲んでなくないですか? ほら」

 彼女が手を差し出す。空のグラスを寄こせということだろう。

「いいよ、自分で注ぐ」

 彼女はまた残念そうな顔をしてグラスの水を飲み干した。氷の音が聞こえる。

 丸テーブル向かいのうめの横に移動する。その横においてある瓶から一杯分梅酒を酌む。

「ん」

 瓶のふたを閉めようとすると、彼女はグラスを僕に突き出す。

「また~? 明日に響くよ?」

 大丈夫、という意味だろうか。彼女は首を振る。

「えー、ちゃんと水飲んでね」

 僕はグラスを受け取って梅酒を注ぐ。彼女は嬉しそうに梅酒を受け取って言う。

「せんぱい、かんぱーい」

「はい、乾杯」

 軽くグラスを合わせて、同じタイミングで一口飲む。

「ふふ、美味しい」

 そう笑ったうめの顔がすごく愛おしくて、僕は思わずキスをする。

 甘くてほんのり苦い味がする。それがお酒の味なのか、梅の味なのか、うめの味なの分からないくらいの淡い、でも確かなキス。

「どうしたの? そんなに私のこと好き?」

 微笑むうめに頷いて、僕はもう一度キスをする。

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