丘の上の病院

密(ひそか)

丘の上の病院

丘の上に病院があった。

不思議なのは、老人が坂を登って丘の上の病院に行くことだ。杖をついた老人が時間をかけてまで登っていく。私も登っていくことがあるが、とてもキツイ坂である。

平坦な道を行けば、他に病院もあるのだ。


最初に丘の上の病院に気がついたのは、父親だった。

引っ越してきた当初、ここの地形はなかなか覚えられなかった。すごく難しく感じた。

たまたま、父親が散歩で坂を登っていった。そこで病院を見つけたという。

大きな病院だった。車の比較的通る道に面した、総合病院かなと思った。

ただ、坂の頂上からちょっと離れていた。坂の頂上からでは、大きな病院は見えない。よく、病院側へ道を曲がっていったなと思った。

父親が、散歩から帰ってからいった。

「丘の上に病院があったよ。いい病院だったよ」

「いい病院」とは、病院の規模のことをいっていた。


あとで私もその病院に通うことになるが、確かに個人経営としては大きな病院だと思った。ただ、中国人のいいんちょう(?)の発音が、あまりにも中国人っぽかった。

何年、日本に滞在しているのだろう。もしかすると、日本語の発音は気にしない人かもしれない。


私も丘の上の病院に通い始めた。

診察時は、女性のいいんちょうだ。診断結果を伝える時、「いいですか、私の話をよく聞いて下さい」と毎回いう。

父親はこの女性のいいんちょうを丁寧な人だといっていた。丁寧に見てくれる人だともいっていた。

…あのセリフで?

私はびっくりした。


丘の上の病院の女性のいいんちょうは、日本語が達者じゃないので、そこは仕方のないことなのかもしれない。しかし、日本人でも難しいと思える病名はスラスラいえていた。だから、同じ日本語でも病名のイントネーションは覚えているのかもしれない。でも、日常会話の発音は気にしない人なのかと思った。


ところで、この地区には他にも病院がある。

たまたま、私が風邪を引いた。高熱でうなされた。これは何年振りかのことだった。

丘の上の病院にいってはみたが、やっていなかった。高熱がとてもきつかったので、病院で出される解熱剤がほしい。

他に病院がないか父親に聞いてみた。そこで、平坦な道を行けば病院があるといわれ、そこへ行った。


そこの院長は腕を組んでいた。

「丘の上の病院に通っているんでしょ?」

とても不機嫌な顔をしていた。

「何故、うちに来るのか?」

「丘の上の病院はお休みだった。高熱に耐えられなくて他に病院を探してみた」

事情を説明すると、ふーんといった顔をした。

他の病院にも行ったことはあるが、この地区の病院の院長の対応はそっけない人が多かった。

その中でも一番愛想の良かった院長は、あとでフラフラになっていた。


不思議なのは、丘の上の病院にある大きな病院に老人たちが集うことだ。私は病院内で、2~3時間待ちの診察時間を経験した。毎回毎回である。それが嫌になって、丘の上の病院に行かなくなった。どこぞのアトラクションじゃあるまいし、待ち時間があまりにも長すぎるのである。

ささっと空いている病院を探して、そちらで見てもらうことにした。

空いている病院は快適だった。ただ、平坦な道を行ったところの病院の院長と同じ反応をしていた。

「何故、うちに来るのか?」

すごく不機嫌だった。その後、

「丘の上の病院は混んでいたから。違う病院を探した」

院長は驚いていた。


この地区には、4つの病院がある。ただの閑静な住宅街の一区画である。

あまりにも病院が多すぎると思った。

ただ一人愛想がいい、いいんちょう先生。

日本語の発音にこだわらない、いいんちょう先生。


病院内には経歴表が飾ってあった。

いいんちょうは中国の専門校を卒業しており、いいんちょうの息子は母親と違って日本の医学部を卒業したとあった。

経歴表の横には大きな写真も飾っており、二人はとても仲が良いらしい。いいんちょうは調度品のようなちょっといい椅子に座り、いいんちょうの息子はすぐ横に立っていていいんちょうの肩に手を添えていた。

まるで、数十年前のお見合い写真のようであった。


病院の公式サイトの紹介を見た。

最初はこの地に病院を開業して、42年とあった。

次に見たサイトには、35年とあった。

その次に見たサイトには、25年とあった。

どれも、病院のブログの作りが違っていた。


以前に、この地は新興住宅街であると聞いたことがある。約30年前に先住民がやって来た。その時、ほとんど何もなかったと聞いたことがある。


丘の上に病院がある。

かつて、父親を診察してもらった時に、いいんちょう先生に「お前が悪い」と怒鳴られたことがあった。

父親の通院に私は付き添っただけである。父親の通院の原因は、一人で買い物に行った時に父親は骨折をしたわけであるが、私が父親に折檻をしたとでも勘違いしたのだろうか。


丘の上の病院にはデイサービスがあるという。

骨折した人にはその後の処置の方法もいわず、ただ、「うちはデイサービスをやっています。もちろん、デイサービスはうちでやりますよね」といわれた。

結局、自力で別の病院を探して、そこで手術をしてもらった。

別の病院を退院後、父親はリハビリで外を散歩していた。

「今日も丘の上の病院に行ってきたよ」

そこで、いいんちょう先生が来て、こういわれたという。

「デイサービスは来ないの?」

私も父親もデイサービス自体を知らないので、それは何なのかと聞いた。

いいんちょう先生がいうには、みんなで集まって運動をするという。

私は父親にツッコんだ。

「坂を登って、丘の上の病院に散歩に行ける人に運動なんかいらないでしょ」

杖をつきながら、父親はのんびりと丘の上の病院まで、ほぼ毎日往復していた。それが日課であった。

「いい運動になったよ」

父親はニコニコしていた。


丘の上の病院にはデイサービスがある。

老人が通院すると、デイサービスの紹介がある。

今日もあの病院には、老人たちが集っているのだろうか。

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丘の上の病院 密(ひそか) @hisoka_m

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