夏の異邦人(エイリアン)

緑茶

6月

第1話

 頭が痛いので世界を呪った。


 僕が顔を上げるとそこは休み時間。

 声が聞こえる。


 ――でさ。あたしのこと勲章みたいに思ってるわけ。バレてないわけないじゃんね。ほら。

 ――うわあ、無理。

 ――ほんと最悪なんだって。急にイキりだして。こないだも、あたし下着置き場に置いてけぼりで……。


 前方から聞こえるということは、前に居る子たちということになる。

 僕は顔を上げて確認することもせず、いそいそと納得する。

 口のなかで想念をもてあそんで、ほんの小さな声で。


「……かわりに、あやまっとく」


 そうして誰もが責任を感じなくちゃ、男は有害なままだ。

 だから僕は謝る。謝った次の瞬間にはひやりとして――消えてしまいたくなる。

 しかし、何もなかった。

 会話はつづけられている。もやのようになって、遠くへ消えていく。


 僕は存在しない。

 それでいい。


 頭が熱いのは、僕の座席が窓際だからで、目の前、蟻の行列を眺めるぐらいの近さで見える机はぎらぎらと橙色の木目を帯びて発光していて。

 左に目をやると、窓の枠を無視して、まるで深海のように底のない青空と、意思を持つように湧き立つ入道雲がとびこんでくる。


 遠くで飛行機の音。右に向けば影の空間、ひんやりと冷たいなかで、いくつもの僕以外の何かが無数にうごめいている。それは生徒と言うらしい。


 黒板には日直の名前と、日付。六月。夏。

 今朝もまたニュースで人が死んでいる。

 そうして毎日死に続ければ、世界はきっと終わっていく。


 だけど、誰も気付かない。夏は何もかもを麻痺させる。音も色彩も溢れているから、僕は厭になる。


 だから、既に机のあとがついている頬を、かっと熱いそこに再び押し付けて、あからさまに陽の光を直接浴びながら、目を瞑る。


 じくじくと背中を這いまわる汗の粒。それらが有毒で、寝ているあいだに、僕の命を吸い取ってしまえばいい。それか、この世界そのものが、すっかり様相を変えてしまえばいいのにと。

 そう考えながら、意識が途切れる――。


 ……。



 誰かに声をかけられたようだった。


 一瞬ぞっとして、目をあけて最初に行ったことは、腕時計を見ることだった。

 なんのことはない、まだ昼休みが終わるまで十分ある。

 きっと気のせいだ。その呼びかけは、そんな幻のような調子を帯びていたから。


「なぁ、サコタ。眠いのはさ、しょうがないけど。プリント、受け取ってくれ。忘れてた」


 だけど、そこにいたのは、実在だ。

 そう、はっきりと実在を伴った存在。

 影の領域からはみ出して、彼は僕の目の前に、夏の光の粒を輪郭にまといながら、あらわれた。


「くひひ」


 くすぐったがるような笑い声だ。

 それに、なにか、香辛料みたいなにおいが、その、少しグレーがかった髪からかんじられる。

 さいごに、少し欠けた奥歯がみえたのが、とどめだった。


 ただ、委員長としてプリントを渡してきた彼に。


 水城那由多みずしろなゆたに、僕はやけこがされた。


 そのあとすぐ、彼が身をひるがえして、僕のことなど居なかったかのように影の世界に戻り、女の子たちとの談笑に戻るという現実の光景があって。


 僕はその『現実』を軽蔑した、本気で軽蔑し、僕の考える、僕の基準での、彼の「軽薄さ」とも言うべき態度のあらわれを呪った。


 しかし、呪われていたのは僕のほう。

 その時より明確に、僕の目には、彼ばかりがうつるようになったのだ。

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