桜散り、柳芽吹く

大田康湖

第1話 さくら祭り

 令和5年4月4日、火曜日。東京の下町を流れる隅田川すみだがわのほとりにある隅田公園は、川沿いに咲く桜を愛でる人々で賑わっていた。

 吾妻橋あづまばしのたもとにある花川戸はなかわと交番の脇では、グレーのコートに焦げ茶色のハンチング、眼鏡とマスクを付け、杖を持った老人が花壇の縁に腰掛けている。今年89歳になる横澤よこざわ康史郎こうしろうだ。

 時折吹く川風が、散り始めた桜の花びらを運んでくる。康史郎はコートに付いた花びらをそっと取ると、愛おしそうに見つめる。そこに、横断歩道を渡ってきたマスク姿の男女三人が近づいてきた。

「横澤さん、お待たせしてすみません。買い出ししてたもので」

 紺色のショートコートを羽織った中年の女性、たちばな梨里子りりこが挨拶した。手にエコバッグを提げている。

「いや、大丈夫だ」

 康史郎は花びらを地面に落とすとゆっくりと立ち上がり、ハンチングを取って一礼した。

「今日はよろしく頼む」

「こちらこそ、ここでの花見は久しぶりですな」

 黒のダウンジャケットを着た初老の男性、高橋たかはし周央すおうが答えた。梨里子の父で、康史郎にとっては義理の甥である。

「土日は天気が悪かったので見送って正解だったわね」

 隣に立つ周央の妻、高橋椿つばきが相づちを打った。茶色のコートに白いフリース帽子を被っている。

「お茶も四人分買って来たんで、飲みたくなったら言ってくださいよ」

 周央はエコバッグからペットボトルを取り出した。梨里子が言う。

「今年は墨田区側のほうがシートが広げやすいんで、少し歩きますけど向こうでお昼にしましょう」

「では、お参りしてから川を渡ろうか」

 康史郎が歩き出したので、三人は後に続いた。


 四人は隅田公園の中を通り、吾妻橋の隣にある言問橋ことといばしへと歩いていた。残念ながらソメイヨシノの盛りは過ぎ、花びらが地面を桃色に染めている。隅田川の向こうには桜越しにスカイツリーの上部が覗いており、写真を撮っている人も多い。

「八重桜はまだこれからのようですね」

 椿が辺りを見回しながら言う。広い隅田公園には様々な種類の桜が植えてあり、これから咲き始める樹も多い。

「パパ達にも見せたいし、後で桜と記念撮影しましょうね」

 梨里子がスマートフォンを見せると、康史郎が尋ねた。

美津則みつのりくんは子どもたちと留守番かい」

「今日はお店も休みなんで、桃美ももみ功輝こうきと一緒に映画館に行ってます」

「孫たちも春休みに家にいるのも飽きてたようだし、いい気晴らしになるだろさ」

 周央はそう言いながら桜の向こうの空を見た。


 吾妻橋と言問橋の間には、東武スカイツリーラインの隅田川橋梁きょうりょうがある。その橋梁の横にはウッドデッキの歩道があり、人々が行き交っている。2020年に完成した『すみだリバーウォーク』だ。

「あれが新しい歩道橋か。コロナでご無沙汰の間に便利になったもんだな」

 橋を見つめる康史郎に椿が答える。

「ここからスカイツリーまで続いてるんですよ。通りにお店も出来て賑やかになりました」

「後でここから隅田川を渡りましょう。父さん達もいいわよね」

梨里子の呼びかけに皆はうなずいた。

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