第29話 誰が聖母を殺したか
事件の手掛かりを得るため、マリアージュは店主とその妻から話を聞くことにした。
第一発見者である店主はかなり憔悴している。あれほど惨い死体を目撃したのだから、精神的ショックも大きいだろう。
「少し話を聞かせてもらっていいかしら?」
「話せることは衛兵隊の皆さんにお話しましたけど……」
「悪いけどもう一度お願いできる?」
「は、はい、公爵令嬢様のお言いつけとあらば……」
店主はとにかくマリアージュの機嫌を損ねないようにと、平身低頭だった。
庶民が権威に弱いのは、今も昔も同じである。
「ドナが路地裏に出たのは何時かしら?」
「店仕舞いをしている時だったから21時を少し回ったくらいです。ゴミの片づけを頼んで……」
「誰かが争う物音や悲鳴は聞かなかった?」
「それが俺と家内は大量の食器を洗ってたから……。外からは花火の打ち上がる音が鳴ってましたし……」
マリアージュはカウンターから通用口へと出るルートを確認した。確かに多少距離が離れており、ドアは鉄製で分厚い。ドナが悲鳴を上げたとしても、雑音にかき消されてしまったかもしれない。
「ドナを恨んでいるような人物に心当たりは? あ、フリッツ以外でね」
「いません。いるはずがありません。ドナはそりゃあ働き者で、うちとしてもすごく助かってたんです」
今度は店主の妻が涙ながらに訴えた。
「ドナは下町のみんなに慕われていました。美人で明るい上に、病気の娘の世話を甲斐甲斐しく見ていて。うちにも子供がいるから、子育ての苦労は痛いほどわかります」
「じゃあ、やはり彼女を恨んでいたのはフリッツだけだったのかしら?」
「多分。フリッツもドナと付き合ってた時は、まともだったんだけど……。ドナはフリッツに感謝しているくらいでした。ニーナのことを受け止めてくれる男性は、フリッツが初めてだと嬉しそうに笑って……」
「………」
マリアージュは腕を組んで、うーん……と考え込む。
「ドナがあれだけ器量よしだったのに再婚しなかったのは、やっぱりニーナが原因?」
「でしょうね。ニーナがほぼ寝たきり状態なので、ドナは再婚を諦めていました。でもフリッツが熱烈にドナにアタックしたんです。実はフリッツにも別れた女房との間に娘がいまして」
「娘?」
「でもその娘が何年か前に流行り病で亡くなったんです。それからですよ、フリッツが酒をあおり、荒れるようになったのは」
娘を亡くした悲しみを克服できず、乱暴的になったフリッツは妻と別れた後も暴力沙汰を繰り返した。
けれど似たような境遇のドナと出会って、以前のような落ち着きを取り戻したと言う。
「フリッツはドナに出会ってから禁酒してました。それにニーナのことを実の娘のように可愛がって。最初は人見知りしていたニーナも、そのうち笑顔を見せるようになったんですよ」
「あのニーナが!?」
マリアージュは驚いた。昼間会ったニーナは、まるで人形のように生気がなかった。とてもじゃないが彼女の笑顔など想像できない。
「あ、それなら俺も見たことある」
そこでユージィンが挙手して、自分の目撃談を語りだす。
「いつだったか用があって下町に立ち寄った時、ドナとフリッツがあの乳母車にニーナを乗せて表通りを散歩してた。三人とも笑顔で……。まるで本物の親子みたいだった」
「そんなに仲が良かったの……」
それなのに今、ドナ殺害の容疑者としてフリッツが追われている。
一体二人の間に何があったのだろう?
「フリッツは禁酒していたと言ったわね。でもさっきドナと揉めていた時、お酒が原因で口論していた」
「お酒の誘惑に抗えなかったのかな、フリッツ……」
今度は悲しそうに、コーリーがぽつりと呟いた。
話を聞けば聞くほど、やはりフリッツ以外に犯人はいないのでは?――という気がしてくる。それほどまでにドナの評判は良く、彼女に殺意を抱く人物など皆無に等しかった。
「ありがとう、時間を取らせたわね。大体二人の関係は把握できたわ」
「いいえ、お役に立てたなら何よりで」
聞きたいことを凡そ聞き終わって、マリアージュは聞き込みを切り上げることにする。だがもう一つ確認したいことがあって、スッと人差し指を前に差し出した。
「それとあと一つ。従業員用のロッカーとかあるかしら? ドナの私物、一応確認させて頂きたいんだけど」
「ああ、そう言えばそのことなんですけど!」
「!?」
そこで突然店主が大声を上げる。
「さっき衛兵隊が休憩室を調べていって、わかったことがあるんですよ。実はドナの私物が、誰かに盗まれたようで」
「なんですって!?」
マリアージュは反射的に問題の休憩室へと飛び込んだ。
すると部屋の窓が割れ、ドナの私物が置かれていただろう机が倒れているのが見えた。さらに割れた窓に近づくと――
「足跡だわ」
木の窓枠には、そこを踏み越えていっただろう人物の足跡がくっきりと残っていた。
――足跡の色は……赤。
ドナの血の色である。
「この大きさからすると、ドナの私物を盗んだのは成人男性ね」
「な、なんでここに血の跡が……」
「ドナの血を踏んだんだろう。彼女を殺した後、その足でまっすぐ私物を盗みに来た」
「………」
マリアージュ・ユージィン・コーリーの三人は、顔を見合わせながら窃盗の現場を入念に調べた。
店主の話では、ドナはいつも四葉飾りが特徴的な革のショルダーバッグを使っていたらしい。盗まれたのはそのバッグのみで、踊る仔兎亭の備品は一切なくなっていなかった。
「これはもう、犯人はフリッツでほぼ決まりじゃないかな」
「フリッツだとして、ドナの何を盗んでいったのかしら?」
「さぁ、それは本人に聞いてみないと……」
捜査が進めば進むほど、フリッツに不利な証拠が次々と出てくる。
そこに、アルフの部下が息を切らせてやってきた。
「あ、いたいたユージィン! オックスの酒場の裏でとうとうフリッツが捕まったぞ」
「もう? 早いな!?」
ユージィンと顔見知りなのか、衛兵隊士は気安い口調で話しかけてくる。
先ほどアルフが踊る仔兎亭を出ていってから、まだ30分も経っていない。
さすがアルフ。さすがのスピード逮捕である。
「で、フリッツはアルフ隊長直々に兵舎に連行したよ。一応お前と……連れの公爵令嬢様にも伝えろって命令されてさ」
「そっか。ありがとう。………マリアージュ様」
「ええ、衛兵隊の兵舎に向かうわ。案内お願いできる?」
マリアージュは迷うことなく、フリッツの拘留場所へと向かった。
すでにドナ殺害事件の捜査は犯人の身柄を確保し、終焉に向かっていると言っていい。
だがこれほどの状況証拠が揃っているのにも関わらず、マリアージュは何か不自然な違和感を感じて仕方なかった。
× × ×
衛兵隊の兵舎はパーム区の中央に位置し、赤い煉瓦造りの建物だ。地区の治安を守るため真夜中でも隊士が数名常駐し、何かあれば各隊連携しながら事に当たることになっている。
その兵舎は今、物々しい空気に包まれていた。残忍な殺人事件を起こした犯人の取り調べが、今まさに始まろうとしていたからである。
「ごきげんよう、私はマリアージュ=ドミストリ。アルフ=ローレン第14隊長にお取次ぎ願えるかしら?」
「申し訳ありません! 今からアルフ隊長はフリッツの取り調べです。公爵令嬢様には待合室で待機して頂きたいと伝言を承っております!」
「………ちっ」
しかし通りすがりの部外者が取り調べに参加できるはずもなく。
兵舎に駆け付けたマリアージュは、廊下の途中で隊士に呼び止められた。
仕方ない。ここでも伝家の宝刀を抜くしかないかと、すわ身構えた刹那――
「マリアージュ様、待って。とりあえず中の様子が分かればいいんだよね?」
「ユージィン? 何か手があるの?」
今にも怒鳴り散らかしそうなマリアージュを制止し、ユージィンは「しー」と人差し指を唇に押し当てた。そして「関係者以外立ち入り禁止」の看板を無視し、ずかずかと待合室のさらに奥――曲がり角のそのまた先を進んでいく。
「この辺りかな」
ユージィンは勝手知ったるが如く、ある場所で立ち止まった。
そこは取調室が並ぶ一角のちょうど裏手。
人目を盗み、小声で一つの呪文を唱える。
「”
それは壁を隔てた声を、まるでスピーカーを通したかのように響かせる特殊魔法だ。
言葉を濁さず言うと、盗聴するのに非常に便利な魔法だったりする。
コーリーは、
「もう、ユージィンったら。魔法を悪用しちゃだめじゃない」
と、呆れていたが、ユージィンは、
「悪用じゃない。有効活用さ」
と、したり顔。
そしてマリアージュ達が今いる場所の壁の向こう側の声が、リソードの魔法のおかげで漏れ聞こえてきた。
『じゃフリッツ、認めるんだな?』
『………、――ああ』
苦渋に満ちた重々しい声は、アルフとフリッツ、二人のもの。
もっとよく聞き取ろうとマリアージュが耳を澄ますと、その瞬間は意外にもあっけなく訪れる。
『俺がドナを殺した。犯人は――俺だ』
それは――自白。
フリッツはどう足搔いても無駄だと諦めたのか、潔くドナ殺害を認めたのだった。
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