第28話 衛兵隊VS法医術士





 ドナ殺害現場から走り去る姿が目撃されたことで、フリッツが最も疑わしい第一容疑者となった。彼の行方を追うために、衛兵隊士が町のあちこちへと散らばっていく。


「フリッツが犯人だと決めつけるのは早計じゃないかしら? まだ凶器も見つかってないんだし」

「あぁん?」


 しかしアルフの推理に異議を唱えたのは、他ならぬマリアージュだ。

 アルフは不機嫌そうに振り向き、ペッと唾を吐く。


「素人は黙ってな」

「あいにくと素人じゃありませんわ。私、こう見えても法医術士ですの」

「法……医術士?」


 聞き慣れない言葉に、アルフはさらに機嫌を悪くする。

 

「まだ世間にはあまり知られていないけど、遺体を調べて犯人を特定する医術が法医術だよ。マリアージュ様はその知識を活かして、いくつかの事件を解決してる」

「こんな嬢ちゃんが? 本気で言ってるのか、ユージィン」

「俺がこの手の冗談言うと思う?」

「………」


 マリアージュ自身のことは怪しむものの、ユージィンのことは信頼しているのか、アルフが一瞬沈黙する。


「で、ドナの遺体から何がわかるっていうんだ」

「それをこれから調べるんですのよ。ユージィン」

「了解。記録を録るよ」


 ユージィンはバックからクリスタルを取り出した。いついかなる時も、司法解剖に必要な道具は持ち歩く。これはメメーリヤ分院の職員全員に課せられたルールである。


「死因は刺し傷による失血性ショックで間違いなさそうね。特に体前面の胸部から腹部に傷が集中してるわ」

「分析してみるよ。――”リブラル”」


 ユージィンが手をかざすと、クリスタルに刺し傷の画像解析が現れた。


「傷は全部で20……24か所にわたるわね。おそらく凶器は刃渡り20センチほどの鋭利なナイフ。こっちの傷は肺の奥深くまで達していそうね」


 マリアージュはドナの右手を取り、まじまじと観察する。


「防御創もかなりの数ある。ドナは必死に抵抗したんでしょうね」


 防御創とは犯人の襲撃から身を守る際に腕などにできる切り傷のことだ。

 マリアージュはドナの爪の間に挟まっている、ある物に気づく。


「皮膚片だわ。ユージィン、ピンセット」


 マリアージュは慎重にドナの爪の間から皮膚片を取り出した。それをユージィンの魔法で保存してもらう。


「おい、なんだってんだ」

「おそらく犯人と揉み合う内に、ドナは犯人の体の一部を引っ掻いたのよ。この皮膚をDNA鑑定すれば犯人を特定できる」

「え、本当かよ!? つか、なんだ、そのディー何とかってのは?」


 驚きのあまり、アルフは大きく身を乗り出した。が、マリアージュは残念そうに肩をすくめる。


「理論上はそうなるけど、残念ながらまだDNA鑑定の魔法は確立されていないの」

「……ごめん」

「ユージィンのせいじゃないわ。無茶を言ってるのはこっちの方だもの」

「おいおい、なんだかよくわかんねぇけど、ぬか喜びかよ」


 ユージィンは悔しそうに下唇を噛んだ。

 DNA鑑定の重要性はわかっていたつもりだが、実際必要になった時に使えなければ意味がない。

 ユージィンも新しい術式を考えるのに苦心していたが、こうして知人が被害者になってみれば、己の怠慢を認めざるを得ない。

 絶対近いうちにDNA鑑定の術式を完成させてやる――と、ユージィンは改めて誓った。


「じゃ、もう遺体からわかることはないのか?」

「そうねぇ。とにかく犯人は激しく抵抗されたにも関わらず、我武者羅にドナを刺している。かなりの力が必要だったはずよ」

「じゃやっぱり犯人はフリッツなんじゃないか? あいつは男で力もあるし、ドナに捨てられたことを恨んでた」

「ええ、怨恨による殺害は否定できない。それに快楽を目的とした猟奇殺人の場合も、こんな風にめった刺しになるわ」

「……けっ、胸糞悪い」


 ドナの遺体を見下ろしながら、マリアージュとアルフは考察を続ける。


「でもね、時には犯人がすごく気の弱い人間だということもあるのよ。普段は虫一匹殺せない温和な人物だったりね」

「は? んなわきゃないだろ。こんなに何か所も刺されてるんだぞ」

「普通はそう思うわよね」


 マリアージュはドナの遺体を再び見て、その痛ましさに目を細める。


「こんなひどいことができるんだから犯人はきっと残忍な性格だ。容赦のない奴だ。そう考えがちなんだけど、改めて想像してみて? たとえ犯行の動機が怨恨だったとしても、人ひとりを殺すのよ? しかも今回のケースのように真正面から揉み合えば相手も必死に抵抗するから、殺すか殺されるかの修羅場になる。だから犯人も必死よ。どこを刺せば死ぬのか……なんてことは頭の中からすっぽ抜けて、とにかく闇雲に刺し続ける。そして被害者が倒れた後も、本当に死んでいるのか不安になって、二度と立ち上がれないように何度も何度もとどめを刺す。その結果、めった刺しになるの」

「……なるほど。確かにそれは気の弱い人間がしそうなことかも」

「おい、嬢ちゃん、あんた何者だ」


 アルフの質問に、マリアージュはニヤリと口角を上げる。


「だから言ってるでしょ、私は法医術士。死体を診るプロだって」

「………」


 アルフはまじまじとマリアージュを見つめ、深く考え込んだ。

 どうやら彼の中で、マリアージュの評価が少し変わりつつあるようだ。


「隊長、フリッツの姿がオックスの酒場近くで目撃されたそうです」

「いたか」

「現在2班と3班で該当区域を包囲しています。捕まるのは時間の問題かと」

「……わかった」


 ドナの検死を続けていると、別の衛兵隊士が再び報告にやってきた。

 アルフはてきぱきと指示を出し、ドナの遺体を運び出す段取りをつける。


「ドナの遺体は1班に衛兵隊兵舎まで運ばせる。嬢ちゃん、あんたの言うことを全て信じたわけじゃねぇが、俺だって何も好き好んで冤罪を生みたいわけじゃない。もし新たに分かったことがあったら、遠慮なく俺に報告してくれ」

「あら、話が早くて助かるわ」


 ――まぁ、もしアルフの許可が得られなくても、ドミストリ公爵家の威光を笠に、無理やりにでも捜査には参加していただろうけど。


 ………とは、敢えて口に出さず。

 マリアージュもまた頑固なだけじゃない、アルフの柔軟性を評価した。

 そしてアルフがフリッツを捜しに向かったと同時に、マリアージュは別の手掛かりを求めて再び店内へと戻ることにした。











「あああぁぁ……ドナ……」

「ひどい。ひどすぎる。一体誰がこんなことを……」


 ドナの遺体は戸板に乗せられ、白いシーツがかけられた状態で外へと運び出された。

 店主とその妻は青ざめながらドナを見送り、店の外で屯っていた大勢の客も啜り泣いている。


「あの、マリアージュ様……」

「あら、コーリー」


 店主達に話を聞こうとカウンター席に向かう途中、外で待っていたはずのコーリーが小走りで近づいてきた。コーリーはバツが悪そうに、しょんぼりと項垂れる。


「……申し訳ありませんでした。メメーリヤ分院の職員なのに、いざって時に全く覚悟ができていなくて」

「………」


 すでに散々泣いたのだろう。コーリーの目は赤く腫れ上がっていた。

 遺体を直視できない職員など、メメーリヤ分院には必要ない。

 ましてや恐怖のあまり腰を抜かすなどと……。

 

 ――私ってば、ファムファロスを卒業しても落ちこぼれのままだわ。


 コーリーはこんな不甲斐ない態度はマリアージュに叱責されて当然だと思った。

 しかしマリアージュの唇から零れた言葉は……少し違った。


「仕方ないわ。いきなり死体に慣れろって方が無理な話だもの」

「………」

「いえ、むしろ慣れて欲しくない。人の死を当たり前だと思うようになってしまってはだめよ、コーリー。理不尽に迎えた死はいつだって残酷で悲しい。だからこそ、私達はその憤りを絶対に忘れてはならないの」

「マリアージュ様……」


 コーリーは目を瞠り、マリアージュの言葉に真摯に耳を傾ける。

 ぎゅっと強く手を握り、その意味の一つ一つを自分の胸の中で咀嚼した。


「なかなかできない――そんなの当たり前よ。それが出来たら、ようやく一人前。あなたがプロの域に到達するまでには、たくさんの年月と経験が必要となるでしょうね」

「はい。私……努力します。ユージィンに負けないように」


 コーリーはマリアージュの隣に立つユージィンに視線を送った。

 コーリーと違い、すでに魔道解析士として第一線で活躍できる彼はやっぱりすごい。




 けれど恥ずかしいのは転ぶことではない。

 

 起き上がれないことだ。




 だからコーリーは初めて事件に遭遇した今、本当の意味で決心する。

 どれだけ失敗や失態を繰り返そうとも、必ず自分の魔法を事件解決に役立たせてみせる。

 それが友人だったドナを弔う――唯一の手段なのだから。




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