第24話 疾風のアルフ



 パーム祭が行われる当日、空は雲の底が突き抜けたような快晴だった。

 朝早くから準備し、祭りに備えていたマリアージュは、下町の入り口からやや離れた場所で馬車から降りる。


「さ、いざ出陣よ! ユージィン、コーリー、案内頼むわね!」

「はいお任せ下さい、マリアージュ様。それとそのグレーのワンピース、とてもお似合いです!」

「ええええ、本当に行くんですか……」


 マリアージュは部下二人を従え、意気揚々と歩きだした。公爵令嬢という身分を伏せるため、今日は地味目のワンピースを身に着けている。

 一方、お付きのユージィンはと言えば、これからどんなトラブルが起きるのかと気が気でなかった。本来なら頼りになるはずのエフィムは、


「さすがに老いぼれになると、一日中人混みを歩くのはきつくてのぅ……」


 と言う理由で、今回は文字通り休暇をとっている。

 つまり世間知らずの公爵令嬢の気まぐれに振り回されるのは、主にユージィンの役割となるわけだ。

 もちろんマリアージュもユージィンの懸念には気づいていて、だからこそ自信満々に言い放った。


「そんなに心配しなくても大丈夫よ、ユージィン。こう見えても私、元庶民だった経験がありますの」

「何それ。全く笑えない冗談なんですけど」


 ――えー、冗談じゃなくて事実なのにぃ……。


 マリアージュは唇を尖らせながらも、自分の言葉を裏付けるようにポーチから小さな革袋二つを取り出し、コーリーに手渡した。


「じゃ、今日のお祭りを楽しむため資金を渡しておきましょうね。金貨や銀貨ではなく、ちゃんと銅貨を用意してあるから安心してちょうだい。予算は一人1万ゼニーよ」

「え、マリアージュ様。本当にお祭りの相場、わかってらっしゃる……」

「あと、その呼び方」


 マリアージュは一つウィンクして、悪戯気に微笑む。


「私のことを様付けで呼んでたら、貴族だと周りにバレてしまうでしょう? だから今日は私のことは”マリア”と呼んでちょうだい。敬語も不要よ」

「え? マ、マリア……様?」

「様はいらない! マ・リ・ア! はい、復唱して!」

「マ、マリアさ……。マリア!」

「大変よくできました」


 にっこり。


 こうしてマリアージュはユージィンとコーリーの友人という設定で、下町に繰り出すことになった。

 パーム区に繋がる通りはすでに多くの人で溢れていて、華やいだ空気は楽しい一日を約束しているかのようだった。




             ×   ×   ×




「よぉ、ユージィン、久しぶりだな、元気だったか?」

「コーリー、特別におまけするからうちのミートパイ、買っていっておくれよ!」

「おう、今日はすげぇ美人を連れてるな! お嬢さん、うちのアクセサリー、ちょっと見ていかないか?」


 パーム区に入ると、狭い路地のあちこちから一斉に声がかかった。

 下町出身の魔道士・ユージィンとコーリーは、町内では超が付くほどの有名人で、しかもその二人が美人の供を連れてる。これで人目を引くなという方が無理な話だ。


「この紅珊瑚のネックレス、素敵ね。でも3000ゼニーは少し高いんじゃないかしら?」

「そうは言ってもゼルコバ地方からの輸入品で質はいいんだぜ。でも美人の姉ちゃんにねだられたら仕方ない。2800ゼニーでどうだい?」

「もう一声!」

「おや、これは意外に交渉上手だねぇ。じゃあ負けに負けて2500ゼニーでどうだ!」

「もう少し勉強できるはず!」

「えーい、こうなりゃ大出血サービス。2000でどうだっ!?」

「よし、買ったわ!」

「いやぁ、お嬢さん値切りの天才だねぇ。毎度あり♪」

「うふふ、ありがとう。いい買い物ができましたわ」


 マリアージュは狭い路地に所狭しと並んだ露店の一角で、買い物を楽しんでいた。ユージィンの心配は当てが外れて、今のところ異様に下町に溶け込んでいる。


「あの人、本当に貴族かよ……」

「むしろ今のマリアー……じゃなくてマリアのほうが生き生きしているように見えるよね」


 ユージィンとコーリーは苦笑しながら、マリアージュの後ろに付き従った。

 すると不意に、路地裏から現れたある一団に声をかけられる。


「よぅ、ユージィンにコーリーじゃねぇか。珍しいな、里帰りか」

「こんにちは、アルフ」

「里帰りのほうが、どれほど気楽か」


 二人に声をかけてきたのは青の軍服を着た衛兵隊だった。

 王宮を守るのが騎士の役目なら、都の治安を守るのは衛兵隊の職務だ。ただし騎士に比べ衛兵隊には庶民出身の者が多く、それ故にやや規律は緩めである。

 そしてアルフと呼ばれた体格のいい黒髪の青年は、マリアージュを見るなりヒュウ♪と口笛を吹いた。


「へぇ、コーリーにこんな美人な知り合いがいるとは意外だな」

「何よー、その言い方。マリア、こちらはパーム区を守る第14衛兵隊のみんなだよ」

「初めまして。コーリーとユージィンの友人のマリアですわ。第14衛兵隊隊長のお噂は二人からかねがね。”疾風のアルフ”――下町のゴロツキはその名を聞いただけで震えあがるそうですわね」


 マリアージュは先ほど買った飴細工を手に、にっこりと微笑んだ。

 逆にコーリーとユージィンは、マリアージュの言葉にギョッとしてしまう。


「(え、なんでこの人アルフの異名、知ってんの……)」

「(こ、これももしやメメーリヤ様の祝福のおかげなんじゃない!?)」


 ユージィンとコーリーは、マリアージュの背後でヒソヒソと小声で話し合った。

 ちなみにマリアージュがアルフの情報を知っているのは、彼が『CODE:アイリス』の中に登場する攻略キャラだからだ。

 現在28歳の彼は人気投票の順位こそそこそこだが、『兄貴系orワイルド属性』がツボなプレイヤーにはガツンとはまるタイプのキャラだった。それにしても『金のルーク』やら『月氷のユージィン』やら、やたら異名が多いゲームである。


「へぇ、あんたのような美人に名を知られているとは光栄だ。でも気をつけな。こういう大きな祭りには悪党も群がってくる」

「うーん、つまり酔っぱらいやスリなんかが多いと言うことかしらね?」

「その通り。ユージィンがそばにいるなら大丈夫だろうが、あんまり危険な区域には近づかないようにしてくれ」

「了解しました。忠告感謝致しますわ」


 マリアージュがそう礼を口にした矢先――



 ガシャーーーン!!



 近くの酒場の窓が、突然大きな音を立てて割れた。

 驚いて振り返れば、衛兵隊の一人がアルフめがけて走ってくるのが見える。


「隊長、オックスの酒場で大乱闘が起きてますー!!」

「ったく、仕方ねぇな。みんな祭りだからって浮かれ過ぎだ! じゃあまたな、ユージィン、コーリー。せっかくの祭りだ。楽しんで帰れよ!」


 まさに疾風の如く。

 アルフは踵を返したかと思うと、部下を連れて近くの酒場に駆け込んでいった。

 辺り一帯に響くのは、天地を轟かすような勇ましい怒声。


「てめぇら、いい加減にしろ! これ以上酒かっ食らって暴れるなら、営業妨害で全員牢屋にしょっ引くぞ!!」


 中ではアルフが酔っぱらい相手に大格闘しているのだろう。

 酒場の外に群がる野次馬が、やんややんやと大騒ぎしていた。

 アルフは腕っぷしが強く、喧嘩では一度も負けたことがないという設定だ。

 しかも正義感が強く人情にも厚い。

 パーム区に住む庶民らはそんな彼の人柄に好感を抱き、全幅の信頼を置いているのだ。


「――ま、事件が関わらなければ大丈夫……かな?」

「マリアージュ様?」

「何でもないわ、こっちの話」


 そんなアルフの活躍を遠目に見ながら、マリアージュはポツリと呟いた。

 酒場の乱闘騒ぎは衛兵隊に任せ、再び祭りの中心へと足を向ける。


 ルークやユージィンに比べて、アルフに対するマリアージュの警戒心が薄いのには理由があった。


 まず一つ。公爵令嬢である自分と衛兵隊では、そもそも接点が薄いこと。

 さらに一つ。そもそもアルフルートでは悪役令嬢・マリアージュはほとんど登場せず、アイリスとの恋愛シナリオも下町内で完結すること。


 この二つの事実を知っていたので、マリアージュはあまり過剰にアルフを意識をしなくても大丈夫だろうと結論付けた。





  ――そう、この下町で事件さえ起こらなければ。





 運命とは常に皮肉で、やはり思い通りにはいかないものだ――と。

 この日、マリアージュは思い知ることになる。





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