第18話 真実を探せ




 ユージィンの言葉は、高原を走る風のように会議中の人々の心にく染み渡っていった。

 今回誰よりも恐ろしい思いをし、被害を被ったであろうユージィンが、デニスの殺意に疑問を持っている。

 この事実は膠着していた議論を大きく動かし、事件そのものを再検証するきっかけとなった。


「君がデニスと決勝戦で対戦したユージィン=バロウズ君……だね?」

「はい」

「我が息子がしでかしたこと、父として心よりお詫びする。お詫びした上で、なぜ我が息子にそこまで肩入れしてくれるのだろうか? 理由を聞いてもよいだろうか?」

「はい」


 ドレッセル伯爵は、被害者であるユージィンに心よりの謝罪の意を示した。普段重たく口を閉ざしがちのユージィンも、この時ばかりは必死に自分の気持ちを語りだす。


「確かに俺とデニスは仲が悪かった。というか、一方的にデニスから敵視を向けられている状態でした。それをいじめだと言う奴もいるでしょう。まぁ、俺はあまり気にしてませんでしたけど」

「………」

「………」

「………」

「………」


 訥々と響くユージィンの声に、誰もが真剣に耳を傾ける。


「でもデニスは魔道士としては最高の才能の持ち主でした。いや、才能だけじゃない。あいつが発表した炎の術式の研究レポートや、今までの試験結果を見てもすぐにわかる。デニスは魔法に関しては真の努力家で、最高の魔道士になることを夢見てた。あいつは何となく惰性で魔道士になろうとしていた俺とは根本的に違う。本物の誇りを持った奴だったんです」


 なんとなく惰性で魔道士になろうとして、それだけ人並外れた実力があるんかーい!

 ――というマリアージュの心のツッコミはさておき。

 ユージィンの言葉にドレッセル伯爵も、会議室に集う職員数人も、辛そうに顔を歪ませた。デニスをよく知る人こそ、心が動かされつつあるようだ。


「だから例えどんな状況下でも、あいつは自分の意志で魔道士としての品格を落とすようなことはしない。辻褄が合わないんです。もしあいつの遺体に真実とやらが隠されているなら……見つけてやりたい。俺はデニスの名誉を回復してやりたいです」

「よく言ったわ!」


 まさに鬼の首を獲ったかの如く。

 マリアージュはユージィンに近づき、両肩をバンバン叩いた。

 そしてルークのほうを振り向き、鼻息荒く交渉を再開する。


「私もユージィンと同意見です。確かに彼はユージィンと長年確執があったかもしれません。ですが試合の前、彼は自分の行いを心より反省しておりました」

「息子が、そんなことを……」


 次々とデニスを擁護する意見が出てきて、不覚にも伯爵の目尻に熱い涙が滲んだ。先ほどまで勢いづいていたテレシアでさえ、今は神妙な面持ちをしている。

 ユージィンの意見を後押しするように、職員の中からも声が上がった。


「確かにデニスはとても優秀な生徒でした。負けず嫌いなところはありましたが、反面クラスメイトの面倒もよく見てくれて、多くの者に慕われておりました」

「短所もあるが、長所も多い生徒でしたね。改めて考え直すと、決勝戦での彼の行動には多くの疑問点が残ります」

「ここで彼に厳しい処罰を下すことは簡単でしょう。ですが学園内で起きた事件だからこそ、真相を有耶無耶にしたままでは、未来に禍根を残すことになりかねません」

「私も事件の原因を徹底追及すべきという意見に賛同します。もう二度と同じような過ちを繰り返さないために」


 こうして場の流れは一気に逆転した。

 ルークはエメラルドの双眸を眇める。


「デニスの遺体の解剖を希望する……ということでいいのかな? ユージィン=バロウズ。だがもし解剖したとしても、君が望んでいるような真実が得られるとは限らない。もしかしたらやっぱりデニスは君を憎んでいた――という結果が出るかもしれないよ?」

「それならばその時です。どんな結果も甘んじて受け入れます」


 神妙に答えるユージィンの次に、声をかけられたのはドレッセル伯爵だ。


「とはいえ、遺族の意思が最重要だ。ドレッセル伯、一個人としてのあなたに問おう。ご子息の遺体をどうされたい?」

「私……私は……」


 とうとう堪えきれず、伯爵は口元を手で押さえて小さく嗚咽し始めた。感受性豊かなコーリーなどは、もらい泣きしているほどだ。


「私もできれば息子を信じたい。自慢の息子が最期に何を思っていたのか、知りたいと存じます。マリアージュ様、それは今からでも可能でしょうか?」

「ええ、もちろんよ!」


 ルークに続き、マリアージュもまた確信の笑みを深めた。

 皆の期待を帯びた視線が一斉にマリアージュに集中し、ルークはパチンと小粋に指を鳴らす。


「……じゃ、決まりだね! デニス=ドレッセルの遺体は、王立医術院メメーリヤ分院に運ぶように」

「はっ」

「それから治癒士・テレシア=フォン=レイン」

「は、はいっ」

「デニスの解剖の結果が出た後、問題がなければ遺体を治癒院へと転送する。それまで遺体の復元の準備を整えておくように」

「………畏まりました」


 こうして紆余曲折はあったものの、デニスの遺体の解剖が決まった。

 この決断は多くの人を巻き込み、恐怖に震わせた大事件を解決へと導く――大きな一手となるのだった。




               ×   ×   ×




 メメーリヤ分院にデニスの遺体が到着し、解剖が始まったのは19時を少し過ぎた頃だった。

 解剖台の上に乗せられた焼け焦げた少年の遺体。それから目を逸らすことなく、マリアージュは静かに黙祷する。


「必ずあなたの死の真相を見つけ出してみせますわ、デニス」


 傍らに助手として付くエフィムもまた、死者を悼んで深くこうべを垂れる。

 ただ一人、不平を漏らすのは場に似つかわしくない伊達男――ルークであった。


「あのさ、マリアージュ。前回に引き続き、どうして僕が君の部下みたいな役目をしなきゃいけないのさ?」

「仕方ありませんでしょ! 我がメメーリヤ分院にはまだ正式な魔道士の職員がいないんですの! 解剖の記録や分析諸々……事情を熟知している殿下にしか頼めないじゃないですか!」

「へぇ、それが人に物を頼んでいる態度なんだぁ……。へぇ~……」

「………ぐっ!」


 デニスの解剖が正式決定した後、マリアージュは有無を言わさずルークの手を引っ張って同行させた。ちなみに検分役として、聖騎士であるオスカーにも立ち会いを頼んでいるので、解剖のメンツは前回とほぼ一緒だ。

 また事件の関係者であるドレッセル伯爵やユージィン・コーリー・ファムファロスの職員数人は、メメーリヤ分院の待合室に控えている。

 エフィムは悔しがるマリアージュにこっそり耳打ちした。


「ここはホレ、いやでも下手に出て、何とか殿下の協力を取り付けなくては」

「むぅ……」


 屈辱を感じながらも、マリアージュは無理やり微笑を浮かべてみる。


「もしも今回の解剖をお手伝い下さいましたら……」

「下さいましたら?」

「一つ、殿下のお願いを何でも聞いて差し上げますわ」

「何でも?」


 刹那、ルークの瞳がきらりと輝き、マリアージュはゾゾゾと悪寒を感じた。

 しかし覆水盆に返らず。

 口から出た言葉はもう取り消せない。

 マリアージュからの返答が満足のいくものだったのか、ルークはたちまち機嫌を直し笑顔になった。


「仕方ないなぁ。可愛い婚約者がそこまで言うなら、何でも手伝うから言ってみて?」

「……ありがとうございます」


 ――ああ、後日どんな無茶難題をお願いされるのやら!


 マリアージュは大きなため息をつきながら、改めてデニスの焼死体と向き直る。


「――では始めます」


 素早くスイッチを切り替え、マリアージュはまず遺体の外見から観察することにした。

 その様子をルークが魔法で記録し、検分役のオスカーも静かに部屋の隅で作業を注視している。


「遺体は全身が炭化しておりますわね。あの短時間で燃え尽きるなんて、どれだけ苦しかったことでしょう」


 不覚にもマリアージュの瞳が少し潤んだ。


 人の死に方には病死、事故死、失血死、縊死、窒息死、溺死……など様々な種類があるが、その中で最も苦しい死に方が焼死だ。

 焼死は火傷によるもの、酸欠によるもの、有毒ガスによるものに分類されるが、今回のケースは一酸化炭素や有毒ガスによる中毒死ではない。あくまで全身に負った火傷が原因の『焼死』である。


 想像してほしい。意識があるまま、自分の全身が焼かれていく様を。

 人は指先をほんの少し火傷した程度でも、激しい痛みを感じる。それと同じように人体が焼かれた場合、体中に張り巡らされた痛感神経が一斉に悲鳴を上げるのだ。

 全身の筋肉が激しい熱で損傷し、しかし逃げたくても身動きは取れず、意識も残っている。だから一秒でも早くこの苦しみから逃れたい、死にたい……と願っても、すぐには死ねない。そんな最悪の状態に陥った時、絶望を感じない人間などいるだろうか。デニスが死の直前に味わった地獄は、あまりに壮絶なのだ。


「こらこら、マリアージュ、しっかりせんか」

「!」


 ついついデニスの死に際に思いを馳せていると、向かいに立つエフィムから声をかけられた。

 いけない、いけない。あまりにもデニスに共感して、当初の目的を忘れる所だった。

 法医術士に必要なのは、あくまで俯瞰的な視点。

 死者の死を悲しみに涙を流すのは、解剖が終わった後にしなければ。


「熱傷深度は最も重いⅣ度に相当しますかしら。気道を切開しますわね。メス」

 

 次に調べたのは気管支の中に煤が付着しているかどうか。

 煤の吸引の有無は焼死を鑑定する上で、重要な生活反応だ。気管支の奥深くにまで煤が吸引されていれば焼死と診断される。逆に煤の吸引がなければ、体が焼ける前に、何らかの原因で死亡していたということになる。つまり他殺の可能性が高くなるのだ。

 ただし何事にも例外があり、焼身自殺などガソリンなどを使ったことで急速に死に至った場合には、気道内に煤が付かないこともある。デニスはこのケースに当たった。


「やはり気管支も激しく焼かれていますわね。口腔や咽頭の粘膜に熱作用による乳白色の偽膜が見られますわ……」


 調べるべれば調べるほど、典型的な焼死体だとマリアージュは思う。

 だがまだ調べる所は沢山ある。次にデニスの右手に注目した。


「これは何を握っているのかしら?」

「んん?」


 焼け焦げた遺体は何かを握りしめたまま硬直している。

 ここでルークやオスカーが、思い出したように口をはさんだ。


「そう言えば闘技場で黒い炎が出現する直前、デニス=ドレッセルは握りこぶしを対戦相手に向かって突き出していたかのように思います」

「そうだね、そうだった。てっきり挑発の類かと思ったけど……」


 四人は顔を見合わせ、再び握りこぶしに視線を落とす。

 マリアージュは慎重にメスを操り、固く閉じた拳の指一本一本を開いていった。

 すると――


 ―――カチャン。


「あ!」

「これは……」


 デニスの手の中からある一つの物体が床に落ちて、小さな金属音を立てた。

 それこそがまさに、デニスがユージィンに対し殺意を抱いていなかったという、物的証拠になった。



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