第15話 闘技場での悲劇




「一体どんな言葉をかけたら、あんな熱心な信奉者を作れるんだい?」

「は? 信奉者?」


 ファムファロスの闘技場――その一番見晴らしのいい特別観覧席に案内されたマリアージュは、席に着いた途端やや不機嫌そうなルークに尋ねられた。


「一体何のことでしょう、殿下」

「先ほどの男子生徒だよ。随分とマリアージュを慕っているみたいじゃないか」

「そうですか? でも彼とは一昨日一度会ったことがあるだけですわ。特別な言葉をかけた覚えもありませんし」

「ふーん……」


 ルークはさらに不機嫌の度合いを強め、ジト目でこちらを見つめている。

 だが浮気者(ルーク)の機嫌などさらさら知ったことじゃないマリアージュは、素知らぬ風に闘技場を指さした。


「それよりも殿下、わたくし魔法の試合を見るのは初めてなんですの。ルールを説明して下さらない?」

「簡単だよ。一対一でお互いの魔法を駆使して戦い、どちらかが対戦相手のオーブ(宝玉)を破壊するか、もしくは降参したら試合終了さ」


 ルークが視線で合図すると、脇に立っていたオスカーが今日のトーナメント表を目の前に差し出した。表を見ればユージィンはAブロック、デニスはBブロックに配置されている。二人が対戦するとしたら、決勝戦になるだろう。


「魔道士の試合は騎士の決闘同様、厳正な審判の下行われます。試合時に選手は20センチ大のオーブ・ネックレスを首にかけます。魔法を駆使してこのオーブを破壊することが目的となります」

「ふむふむ、なるほどね……」


 オスカーの説明に、マリアージュは相槌を打った。

 そうこうしている間に、いよいよ最初の試合が始まる。闘技場に登場した選手は確かに首から赤のオーブと青のオーブをぶら下げていた。


「当然近接武器・遠隔武器などの使用は禁止。それから精霊やクリーチャーの召喚も禁止されています。試合ゆえ多少の怪我は付き物ですが、闘技場脇には治癒士が控えております。そもそも対戦相手を死に追い込むまでの攻撃も禁止されているので、安全面には充分配慮されていると言って差し支えないでしょう」

「まさにスポーツマンシップならぬ魔道士シップに則ってるわけですわね」

「すぽ……? すぽー何とかって、なんだい、マリアージュ?」

「私の独り言など、適当に聞き流して下さいませ」


 またまたルークの質問を無視し、マリアージュは観覧席から少し身を乗り出す。

 と、すぐ下の席でぴょんぴょん跳ねている影があることにに気づいた。マリアージュに向かって猛烈アピールしているのは……満面の笑顔のコーリーである。


「ふふ、今日も元気ね」


 マリアージュはコーリーに向かって軽く手を振った。コーリーの隣には試合を控えているであろう仏頂面のユージィン、それから別の入り口から入場できたエフィムの姿もある。


 この時、まだマリアージュも、多くの観客も、ルークでさえ気づいていなかった。

 伝統あるこの魔道大会で目にするのもおぞましい、悲惨な事件が起きてしまうことを――




              ×   ×   ×




 予定通りに大会は進み、昼に一旦休憩が入った後、15時過ぎにいよいよ決勝戦が行われることとなった。

 下馬評通り、決勝に進んだのは『月氷のユージィン』と『炎帝のデニス』である。


「それでは二人とも、前に」

「………」

「………」


 審判の言葉を合図に、一歩前に進み出るユージィンとデニス。対峙する二人の間には、並々ならぬ闘志が漲っていた。


「ユージィン、頑張ってーーー!」

「デニス様、ユージィンなんかに負けるなぁぁーー!」


 コーリーの応援にかぶせるように、闘技場のあちこちからデニスを支持する者の声も聞こえる。けれど審判の「始めマッチ!」を合図に、歓声は全て掻き消された。


「雄大なる神の名の下、大地を氷刃で埋め尽くせ――”ゲ・フリージ・レン”!!」

「その名は火の蛇、創生より全てを焼き尽くすもの――顕現せよ!”ザ・ラ・ランダー”!!」


 二人の詠唱はほぼ同時。ぶつかり合う魔力は、闘技場全体を揺るがすほどの大きな衝撃波を生んだ。


 ユージィンの氷魔法によりデニスのローブは瞬く間に凍り。

 逆にデニスの炎魔法によってユージィンのローブが、じりじりと熱く焦げていく。


「こ、これはすごいですわね……!」

「へぇ……」


 それまで大人しく試合を観戦していたマリアージュも、今までとは桁違いの試合に驚き、息を飲んだ。珍しくルークまで、


「今年の卒業生には、随分と有望な者が揃っているじゃないか……」


 と、前のめりになって試合の行方を見守っている。


 それからさらに激しい魔法の攻防が続く。

 轟音を上げて渦巻く灼熱の炎を、真っ白な氷霧が瞬く間に凍らせていく。かと思えば、その氷の下から再び炎の竜が現れ、闘技場の空気さえも焼き尽くしていくのだ。


 まさに上級魔法と上級魔法のぶつかり合い。

 ファムファロス史に残るほどの、名対決。

 だがしかし、連続での魔力行使が重い負担となり、やがて力の均衡が崩れ始めた。


 心臓をぎゅっと掴まれる感覚にユージィンは呼吸を荒くし、その向かいでは、ほぼ同じ量の魔法を行使していたデニスも頽れそうになっている。

 二人は不敵に笑い合った後、最後の呪文を詠唱し始めた。




 ――紅蓮の炎よ、舞え。 

 我が敵を焼き尽くせ。


 神より賜りし力、虚ろの刃となりて

 今、悪しき者に滅びの道を与えん――

 

 “ズ・スクワーナ”!!






 ――大地の底に眠る氷の覇王

 

 刹那と無限をたゆたいし 全ての力の源よ

 今、我が手に触れる敵を凍える森の深みへといざない給え――


 “ク・ルメール”!!





 ユージィンとデニスの全力の魔力がぶつかり合った瞬間、闘技場全体に嵐のような強風が渦巻いた。観客の間からは多くの悲鳴が上がり、誰もがユージィンとデニスを直視できない有様だ。


「マリアージュ!」

「で、殿下!」


 特別観覧席まで届いた強風からマリアージュを咄嗟に守ったのは、他でもないルークだった。マリアージュは必死にその腕に捕まりながら、闘技場の二人に目を向ける。


「け、決着はついたんですの!?」


 気づけば闘技場の真ん中で、膝をついた状態で俯いているのは――デニスだった。彼が首からぶら下げていた赤のオーブにも大きなひびが入り、今にも砕け散りそうだ。


「勝負あり! 勝者――」


 審判が手を挙げ、ユージィンの勝利を告げようとした。


 ――が、その時。

 異変は起こる。

 

 敗者であるはずのデニスが立ち上がり、よろよろと大きく体を揺らしたのだ。


「ユージィン……ユージ………アー………ィン………」

「デニス?」


 満身創痍のユージィンも、デニスの目の焦点がおかしなことに気づいた。

 デニスは握りこぶしをゆっくりと前に差し出し、何かもの言いたげな表情だ。


「あ……ああ……あぁぁぁぁぁーーーーっ!」

「デニス!?」

「デニス=ドレッセル、それまでだ! すでに勝敗は決した! 戦闘態勢を今すぐ解きなさい!!」


 審判は焦りながら試合の終了を告げるが、それを無視してデニスの全身が一気に炎に包まれた。

 それはまるで爆弾――

 一歩間違えれば闘技場全てを吹き飛ばしかねないほどの熱量だ。


 観客席から悲鳴が上がる。

 マリアージュもまた、目の前で起きていることが信じられず見守ることしかできなかった。

 身体の芯が怯えてすくみ、凍りつく。

 デニスを包む炎はおさまるどころかやがて青……黒へと変化していった。

 

「デニス、やめろ!」


 ユージィンは必死に叫ぶ。

 勝負はすでに決したというのに、デニスの魔法の暴走は止まらない。

 ユージィンは青ざめた自分の肌が、恐怖で粟立つのを感じた。

 それほどまでにユージィンの周囲に降り注ぎ始めた炎の勢いは激しく、憎しみを具現化したような真っ黒な炎は、すぐに大気を焼く暴龍と化していった。


「……くっ!」

「やめろ……やめなさい、デニス! 試合相手を殺傷するほどの強い魔法の使用は禁止だとわかっているのか!?」

「きゃあぁぁぁぁーーーっ!」


 審判の叫び声が呼び水になり、観客の恐怖と混乱は波紋のように一気に広がった。

 それほどまでに、今のデニスの姿は異様だった。

 まさに敵を焼き尽くすまで止まらない炎帝そのもの。

 散々魔法を行使してきたユージィンも、今は防戦一方だ。


「まずいな……あれは――禁呪だ」

「禁呪?」


 観覧席から事態を見守っていたルークも、デニスの異常さに気づいて低く舌打ちする。マリアージュの質問に答える暇もなく、彼女をオスカーの手に託すと、風のように闘技場に向かって走りだした。


「急遽大規模の魔法障壁を張る! 氷魔法の使い手よ、君もできるだけ障壁を展開して自分の身を守りなさい!」

「は、はい!」


 闘技場内に飛び降りたルークは、ユージィンに変わってデニスと対峙した。

 デニスはすでに正気を失っているのか、光さえも飲み込む闇のような最上位魔法を展開している。

 大量殺人が可能な魔法は、当然術者であるデニスの体さえも燃やしていた。

 人の肉が焦げる臭いが辺り一帯に立ち込め、その場で嘔吐する者も現れた。





 ――開け……古の宮殿の門。


 聖なる壁、其は全ての障害を退ける


 我が声に応じ光の門で愛し子達を護れ―――

 


 “シャ・ト・ラ・ニグウォール”!!





 ルークの魔法障壁が展開するのと同時に、闘技場全体に光の柱が立ち上った。

 暴走する黒い炎は光の障壁によってユージィンにも観客達にも届かず、逆に術者のデニスへ呪いのように跳ね返っていく。

 当然地獄のごとき業火は、デニスの命さえも燃やし尽くしていった。


「あああああ、なんてことだ……」

「もういやぁ……」

「伝統ある試合で、なぜこんなことが……」


 生徒だけでなく教員の多くが青ざめ、恐怖で絶句する中――



 やがて黒の炎は主であるデニスの体を燃料として――ゆっくりと鎮火していった。




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