第2話 金のルーク
マリアージュは今、混乱の只中にいた。
この17年間、蝶よ花よとわがまま放題に育てられた公爵令嬢としての記憶。
それとは全く別の、法医学研究所で働いていた頃の、くたびれた理系女史の記憶。
学者としての理論的な思考回路と、愚かな悪役令嬢としての感情が頭の中でごちゃごちゃになっている。
(とりあえず落ち着け。落ち着きましょう、私。このままだと、私はローザ殺害の犯人にされてしまう……)
マリアージュは口を閉ざしつつ、自分を疑う聖騎士団の面々の顔を盗み見た。
殺害現場で凶器を握っていた以上、彼らは自分のことを果てしなく黒に近いと思っている。
だがマリアージュは、本当にローザを殺してなどいない。王太子・ルークに近づく彼女を激しく疎んではいたけれど、さすがに殺すほど憎んでいたわけではないのだ。
(そもそも私は舞踏会で踊り疲れて、少し休憩を取ろうと広間から離れただけよ。たまたま奥の部屋に足を踏み入れて、そうしたらクローゼットの中から何か音がして…)
改めて考えれば、取り巻きの一人も連れずに単独で行動していたのは迂闊だった。だがまさか誰が想像するのだ。国で一番安全なはずの王宮内で、背後から何者かに襲われる……など。
(私が部屋に入った時、ローザの死体はどこにもなかった。クローゼットの中を確かめようと足を向けた瞬間、後ろから殴られて気を失ったのよね。つまり犯人はすぐ近くにいた……)
もしかしたらクローゼットの中にローザは隠されていたのかもしれない。死体を発見されることを恐れた犯人は、咄嗟にマリアージュを襲ったのだ。
さらにマリアージュのローザに対するいじめは、王宮内でも噂になるほどひどかった。偶然とは言え、スケープゴートととして祭り上げるには、マリアージュほどふさわしい人物はいない。
(全く、なんなのよ、このマリアージュと言う女は。王太子を愛するあまり、やることなすことが全部マイナスに働いている。もちろん王宮内での評判は最悪。恋敵を闇に葬るくらいのことは当たり前にやりそうだと周りから思われているし……。いや、実際ゲームの中ではそういうキャラクターだったけど……)
マリアージュは大きくため息をつき、とにかく一つ一つ頭の中で事実を整理していった。高飛車な公爵令嬢が急に口を閉ざしたのに業を煮やしたのか、オスカーが威圧的に話しかける。
「マリアージュ殿、そのように不機嫌になられても事態は変わらない。ここは大人しく自分の罪を認め……」
「ちょっと黙って下さらない?」
「!」
強気にもマリアージュはオスカーの言葉を遮り、深い思考の沼に沈み始める。
――まず大前提。
自分はどうやら『CODE:アイリス』の世界に転生してしまったらしい。
しかも最後は処刑される悪役令嬢として。
だがそれならば、おかしい。
今回殺されたのはヒロインのアイリスではなく、子爵令嬢のローザだ。
深くやりこんだわけではなかったけれど、マリアージュが早々に殺人犯として逮捕されるシナリオなどなかったはず。
というか、そもそも今のマリアージュは17歳なのだ。だがゲームに登場したマリアージュはアイリスより二つ年上の18歳だった。
(つまり今の時間軸って、アイリスが天才魔道士として王立魔法学園に入学する一年前……ってこと? まだ『CODE:アイリス』の物語は始まってもいない……)
そこでマリアージュは閃いた。
まだアイリスが登場していない時間軸ならば、悪役令嬢としての破滅フラグを回避できるかもしれない。これからの行動次第で、最悪のEDを迎えずに済むかもしれないのだ。
(というか、今のこの状況がすでに破滅フラグに片足突っ込んでる気がしないでもないけど……。このまま何もしないでいたら、私は無実の罪で極刑を食らってしまう。何とかしないと……!)
そうマリアージュが決意した刹那、
コン、コン。
不意に室内にノックが響いた。
そのすぐ後、衛兵を連れてドアを開けて入ってきたのは、この国の王太子――金のルークである。
「やぁ、取り調べは進んでいるかい? オスカー」
「………っ!」
その甘い声を聞いた瞬間、マリアージュの心臓がドクンッと大きな音を立てて跳ねた。
今の今まで意識の隅に追いやられていた『悪役令嬢マリアージュ』としてのときめきが、大きく心をかき乱す。
(あー、ダメダメ、ダメよ、私! この男の甘い態度に惑わされたらダメ!
マリアージュは思わず俯き、ぶんぶんと大きく頭を振った。
ルーク=フォン=ヴァイカス。
『CODE:アイリス』の中で、最も人気があり圧倒的なチート能力を持つ王太子。
さらさらと流れる金の髪と、目元をふわりと緩めた甘い印象の端整な顔立ち。
エメラルド色の瞳は本物の宝石ように輝いていて、彼に一瞬でも見つめられた女性はすぐさま恋に落ちてしまうと噂されている。
事実、マリアージュと言う正式な婚約者がいながら、ルークは数々の女性と浮名を流してきた。乙女ゲーには必須の、いわゆるフェロモン系色男キャラなのだ。
当然マリアージュもそんな『金のルーク』に夢中だった。
この国の王位第一継承者でありながら、誰とでも気さくに話す人懐こさ。
成年男子でありながらも、時折少年のような笑顔を見せる無邪気さ。
それでいて公務はきっちりこなし、魔道士としての実力も超一流と言うのだから非の打ち所がない。
そのルークがわざわざ殺人事件の取り調べにまで足を運んだ。
おそらく王族代表として様子を見に来たのだろう。
「やぁ、ごきげんよう、マリアージュ」
あんな悲惨な事件が起きた直後だと言うのに、ルークはいつものように柔和な笑みを浮かべながらマリアージュの向かいに座った。肩まで伸びた金髪がさらりと揺れるたび、マリアージュは心の中でしたくもない舌打ちをしてしまう。
「あいにくと気分は最悪ですわ。殿下が軽々しく貴族の子女にお声をかけられるせいで、
「………。ふーん………」
いつもとは様子が違うマリアージュに、ルークは軽く目を瞠る。
前世の記憶を取り戻す以前のマリアージュなら、彼が部屋に入ってくるなり派手に取り乱し、媚を売りながら己の無実を訴えただろう。
けれど今のマリアージュには半分以上日本のアラサー女性の魂が乗り移っている。
『顔がいいだけの男に人生めちゃくちゃにされてたまるか!』
――そんなプライドと根性が、マリアージュをギリギリのところで支えていた。
「なんだか誤解しているようだけど、僕とローザの間には何もなかったよ?」
「ええ、存じ上げておりますわ。どんな艶めいた噂が流れても、それは女性のほうが一方的に殿下にお熱を上げているだけ。いいですわね、王太子という身分に守られ、いとも簡単に事実を隠蔽・捏造できるお方は」
「………」
「お言葉が過ぎますよ、マリアージュ殿」
マリアージュ渾身の嫌味に眉を顰めたのは、ルークではなく脇に立つオスカーだった。
『金のルーク』と『銀のオスカー』。
全く逆の個性を持つ二人は、親友でありながら固い絆で結ばれた主従でもある。
「それでオスカー、取り調べのほうは?」
「はっ。マリアージュ殿は一貫して、無実を主張しておられます」
オスカーが視線で合図を送ると、部屋の隅で記録を取っていた書記官が素早く椅子から立ち上がり、ルークの前に調書を差し出した。
それをざっと流し読みしながら、ルークは再びマリアージュに話しかける。
「つまりマリアージュ、君も犯行現場で何者かに襲われ、犯人に仕立て上げられた……という訳だね?」
「その通りでございます」
「しかし証拠は? 証人は? 君がローザのことを嫌い、憎んでいたことは王宮内では誰もが知っている。それに感情が爆発しやすい君の性格も……ね」
「ですから、それは……!」
「それに君が凶器を握っている姿を、多数の貴婦人が目撃している。状況は圧倒的に不利だよ? もちろん僕としては、婚約者である君を信じてあげたいけれど……」
「………」
「もしも無実を主張するならば、何か強い根拠を示さないと君が犯人であるという状況は覆せない。君の父上・ドミストリ公爵も先ほど王の私室に呼び出されていたしね」
「………」
恐ろしいことに、ルークはいつもの優しい口調を変えず、笑顔のままマリアージュを淡々と追い詰めていく。
まるでネズミの死体で遊ぶ猫のような所業に、マリアージュは強く下唇を噛み締めるしかなかった。
「わかりました。無実の証拠を示せば、公爵家にもお咎めなしということですわね?」
「もちろん。我が王家だって、ドミストリ公爵家を敵に回したいはずがない」
「………」
ルークはまるでいたずらっ子のように軽く肩をすくめた。
だが彼の瞳は本当の意味では笑っていない。ルークの心の奥底は冷え切っていて、マリアージュの言葉など欠片ほども信じていないのだ。
「では公爵家の長女・マリアージュ=ドミストリの誇りに懸けて、ルーク=フォン=ヴァイカス殿下に要求致します」
マリアージュは今度こそ、顔を上げまっすぐにルークを見た。
それは自分の運命に抗うために。
破滅エンドなど全て覆してやるために。
王太子・ルークに恋する愚かな悪役令嬢は、今この瞬間に新しく生まれ変わったのだ。
「証拠ならば殺されたローザ=サスキア嬢の遺体に残されているでしょう。ローザ嬢の遺体の解剖のご許可を、賜りたく存じます」
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