第3話 科学捜査の壁



「ひっ!」

「か、解剖!?」

「な、何を言ってるんだ、この女はっ!?」


 マリアージュが「解剖」の二文字を口にした瞬間、その場にいる聖騎士達は揃って顔を青くした。まるで化け物を見るかのような視線を一斉にマリアージュに向けてくる。

 そこまでの過剰反応ではないものの、ルークやオスカーも珍しく驚きの表情を露わにしていた。

 針の筵に座りながら、マリアージュは一つ嘆息する。


(あー、やっぱりこういう反応されるわよねー。なんせこの世界の舞台設定は中世ヨーロッパ。科学捜査のかの字もない時代だもんねー……)


 自分の要求がいかに無謀なものであるか、マリアージュは再確認する羽目になった。

 これが現代日本とゲームの中の異世界の大きな違い。

 まず大前提でこの世界の科学はさほど発達しておらず、長距離移動は車ではなく馬か馬車。照明はLEDではなく蝋燭の火、良くてもランプ止まりというレベル。

 もちろん医学も似たり寄ったりで、感染症の概念さえない。衛生管理も杜撰で、そういう意味ではかなり不便な時代にタイムスリップしてしまったと言えるだろう。


 けれどそれを補って余りあるのが『魔法』というチートスキルだ。

 『CODE:アイリス』の舞台となる異世界では、魔法を使える人間が一定数存在する。もちろんそんな人間は少数であって、その割合は1000人から2000人に一人と言われている。

 実際、公爵令嬢であるマリアージュには素質がなく、魔力ゼロで一般人と変わらない。


 ではどんな人種が魔法を扱えるかというと、王族や貴族が高確率で魔法の才能を有する。また一般市民の中でも、稀に魔法を扱える者が出現することがある。

 そのいい例がヒロインのアイリスだ。彼女は庶民でありながら、複数の属性の魔法を使いこなすスーパーヒロインとして華々しく登場する。彼女は16歳の時に女神の祝福を受け、魔法の力に芽生えたのだ。魔道士は早い者で生まれてすぐ、遅くとも18歳までには魔力を発現させると言われている。


 このような事情から魔法を扱える者――魔道士の処遇は、国で厳重に管理される。

 18歳未満の国民には毎年魔力検査が義務付けられ、魔法の才能が発現した際は王立魔道研究所や学校の所属になる。そこから使える魔法の属性や種類によって、細かくランク付けされるのだ。


 そして魔道の存在が、人々の生活を現代とさほど変わらないほど豊かにしていた。

 冷暖房などは炎や氷の魔法が使える魔道士が設備管理しているし、回復魔法が使える者は治癒士と呼ばれ、多くの患者の治療に貢献している。

 魔道士の少なさから、それらの恩恵を直接受けられるのは上流階級に限られるが、それでも『魔法』というチートスキルが有益なのは変わりがない。


 また魔法は戦時の際には圧倒的な軍事力へと変貌し、容赦なく他国を蹂躙する。

 ヴァイカス王国は近隣諸国と比べても魔道士の輩出が多く、それ故に強国として成り立つことができているのだ。


(魔道士の実態については私も詳しくはわかってないのよね。今度しっかり調べなくちゃ……)


 マリアージュは世界の仕組みを頭の中で反芻しながら、これからどうやって解剖の意義をルーク達に納得させようか悩んでいた。

 魔法というチートスキルに慣れ切ったこの世界の住人に、法医学の有用性をどれだけ説くことができるだろう?

 だがやらねば、マリアージュの未来は早急に閉ざされる。

 やれるのか?ではない。やるしかないのだ。


「んー、何を言い出すかと思えば、解剖……か。解剖とは医術士が行うあの?」

「左様でございます」


 周りがドン引く中、ルークだけが素早くいつもの調子に戻り、小首を傾げながらマリアージュに尋ねた。

 医術士とは魔法を使えない一般の医療従事者のこと――つまり医者を指す言葉である。


「確かに回復魔法を使えない医術士は、研究のための動物実験で解剖を行うことはあるらしいが……。それを君が? 亡くなったローザに?」

「左様でございます」


 マリアージュは努めて冷静に、言葉尻に力を込めながら答えた。

 魔法を使えない医術士は、治癒士に比べて社会的地位は低い。だが病気や怪我が悪魔の仕業だとされていた時代ほど古い考えではない。

 中世ならばすでに検死や解剖が一般的に行われ、法医学の基礎の基礎が確立されているはずなのである。


「先ほども申しました通り、亡くなったローザ嬢の遺体には犯人が残した証拠が必ずあると思われます。殿下はローザ嬢の遺体をその目でご確認いたしまして?」

「……いや、まだだ」

「そうですわね、例えば私が握っていたとされる凶器……」

 

 マリアージュは犯行現場で目覚めた直後のことを思い出しながら、人差し指で軽くこめかみをトン、トンと叩いた。

 あれは休憩室の暖炉の上に飾ってあった彫像だろう。高さはおよそ50センチくらいだったか。女神ベロニカをモチーフにした細長い像で、おそらく材質は青銅だったように思う。


「でもあの彫像はのでしょうか?」

「……なんだと?」

「………」


 思わせぶりなマリアージュの言葉に、今度はルークではなくオスカーのほうが素早く反応した。現場に誰よりも早く駆け付け、容疑者マリアージュと凶器を確保したのは他ならぬ第一聖騎士団だ。だからこそあれが本当に凶器だったのかと問われ、自分の仕事を侮蔑されたような気分になったのかもしれない。


「あの彫像には被害者の血がべっとりとついていた」

「血など後からつけることだってできましょう。そもそもオスカー殿、あなたはローザ嬢の殴打痕をその目ではっきりと確かめまして?」

「……いや」


 意外にも強気なマリアージュの口調に、オスカーは思わず言葉を濁した。

 聖騎士団の事件捜査は、これまでの目撃証言や状況証拠が重視されている。逆に言えば、マリアージュが確実に犯人であるという物的証拠は、凶器以外まだ発見されていないのだ。


「ならばやはりローザ嬢の殴打痕をしっかり調べる必要がありますわね。まず傷の形状が本当に凶器とされる彫像と一致するのか。一致しなければ円形・楕円もしくは棒状なのか。表面に凹凸はあるのか。また殴打されたのは一回なのか、それとも複数回なのか。もしも複数ならば何回目の殴打が致命傷となったのか。本物の凶器を特定する要素はいくつもありますわ」

「………」

「それから傷の位置が真正面なのか、もしくは側頭に受けたのか。ローザ嬢が直立していたと仮定する場合、傷の位置と角度を測ることで武器の入射角および力の加わった方向も判明するでしょう。おそらく犯人の身長も計算できると思います」

「………へぇ」


 昔取った杵柄。

 気づけばマリアージュは手に汗握りながら、生き生きと法医学の知識を語っていた。

 対するオスカーや聖騎士団達は、猟奇的とも言える公爵令嬢の発言に再びドン引きしている。


 そんな中、ルークだけがなぜか柔和に微笑み、エメラルド色の双眸を怪しく光らせていた。


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