青い血の少年は狙われる
ユキハラチウヤ
第1話-奪われた放課後
大通りを人にぶつからぬよう走る少年が一人。
「なんなんだよ……!」
悪態を吐きながら、浅くなった呼吸を整えることもせず、ひたすらに駆ける彼は何者かに追われていた。上がりに上がった心拍数は、背後に迫る足音を聞き、なお走れと少年を急がせた。
「待って!……話だけでも!」
背後からそう叫び少年同様、ひたすらに駆けている男は少年の知り合いでも家族でもない。知らない男、それも自分よりずっと体格の良い男に追われている、という事実だけで少年が逃げるに至るには十分だった。
少年が追われるのは今日が初めてではない。幾度も駆けた大通り。そこから離れようと、少年はすぐそこに見えた曲がり角を入る。行き着いた先は人通りの少ない飲み屋街だった。やってしまった、と思ったに違いないが、引き返すより走る事を選び、少年はなお駆ける。
「ヤバイ……脚、もつれ——っ!」
急降下した少年の身体はそのままドサッと音を立てて転がり、それを認めた男は少年へと駆け寄った。その所作は体格の良さからは想像出来ない程柔らかく、害をなそうとしている人間とは思えない。
「大丈夫ですか⁉︎……ああ、そんな……」
男は少年のワイシャツから伸びる白い腕に傷を認め、悲嘆の声を漏らした。
「アンタが、追ってきたから、だろ!」
肩で息をしながらも、声を荒げ抗議する少年の眼光は鋭く、見ただけでも不快感に溢れていると分かる程だ。
「それは、君が逃げるから……」
が、そんな少年を前にしても男は、自分は悪くない、と主張する。これに少年は額に青筋を浮かべ再び声を荒げようと口を開くが、チャリン、とドアチャイムを鳴らして現れた美女によって、それは遮られた。二人を見て咥えていた煙草を細い指で摘み、美女は艶やかな紅で縁取られた唇から白く濁った煙を吐き出す。
「ちょっと、ここは君達みたいなお子ちゃまが来ていい場所じゃないよー」
早く帰んな、とふたりに告げる美女は再び煙草をふかしながら看板に灯を点す。バーやパブ、スナックといった店が建ち並ぶそこでふたりは確かに異質だった。少年の背に男が手を添え支えようとするが、少年はそれを払いすっくと立つ。
「触んな」
「すみません……その、せめてお話だけでも……」
「い、や、だ」
間髪入れず拒否をした少年は大きなため息を吐き、ガシガシと雑に頭を掻く。と、色素の薄い髪までも、それに倣って揺れた。
「そんな……ハルトくん……」
「しつこいな……関わんな、名前呼ぶな」
少年へと手を伸ばしたままの男を一瞥し、吐き捨てた少年は大通りへと歩みを進める。その足元は覚束ないものの、男への拒否を示す為にのみ、しかとアスファルトを踏み締める。その小さな背は段々と男から遠去かり、先程曲がったばかりの通りへと消えていった。
少年、
***
人の溢れた廊下をその流れに逆らわず歩く晴翔は、並び立って歩く友人らと比べても背が低く、その腕脚、胴や首に至るまで細く色が白い。筋肉などないように思える程薄い身体も男というには頼りない。
「晴翔ー、なんかお前探してる奴いるって」
廊下の先、周囲の同級生と比べて頭ひとつ高い晴翔の友が手を振り呼び掛ける。
「……俺?」
訝しげに眉を顰め、なぜ俺に、と今にも言い出しそうな顔のまま、晴翔は友、
「真っ白な少年を知らないかー、って。多分晴翔のことだろ」
「ざっくり過ぎない?もっと白いヤツいるかもじゃん」
「いやぁ、そんな白い奴なかなかいないっしょ」
苦笑し、青白い静脈の浮いた腕に手を伸ばす謙吾だが、晴翔によってそれは叩き落とされた。いた、と口を尖らせ晴翔へと抗議の目を向ける。
「好きでこの色じゃないんだけど」
「ごめんってー。てか、明日部活オフなんだけどさー」
「はーるるん、早よ行こ」
んー、と気の抜けた返事をし、晴翔は謙吾に別れを告げようとその肩を叩き、横を通り過ぎた。
「あすみんバイバーイ」
「バイバーイ」
晴翔の連れに手を振りつつ、謙吾は内心舌打ちをした。誰にも知られぬよう溜息を吐き、ガシガシと雑に頭を掻く。
「安海、部活行かねぇの?」
「行くよー」
「……なん?なんかあったん?」
「んー?フラれたの」
「あー、木崎?まだやってたん?」
謙吾は背後から話し掛ける友へ向き直るようにくるりと身を翻し、ヘラリと笑ってみせる。
「まだも何も、振り向いてくれるまでずっとやるけどー」
間延びした声で宣言すると、肘辺りまでずり落ちたバックパックのショルダーを担ぎ直し、謙吾は友の隣へと駆ける。それを追ってさらに別の友人が謙吾の隣に立った。
「いや、さっきの会話に振り向いてもらえる要素なくね」
「うーわ、言っちゃったー。俺悲しいー」
「あざと。その図体でそれはねぇよ」
「図体て、健康的な細マッチョだしー」
と、謙吾はその顔に不機嫌さを滲ませながらも、いつも通りを演じた。
一方、謙吾と別れ、いつも連んでいる男女五人組で歩く晴翔は、生徒用玄関の前にいる一際背が高く、日本人らしからぬ身体付きの男を見て察した。
あ、コイツのことか、と。
「晴翔?どした?」
「なぁ、アイツ」
「アイツ?」
知っているか、と問うより先に友は晴翔の視線の先へと顔を向ける。
「あー、アレが謙吾が言ってた奴か?」
「……多分。すんごい、」
見てくる、と晴翔が呟くと、下駄箱から靴を取り出した女子が顔を上げ、晴翔とその友、
「え、イケメンじゃん。やばー」
「はーい、お前の彼氏は俺ねぇ」
「わかってるし、ゆーやうざ。つか、あすみんが言ってたのってアレ?」
「多分」
ゆっチは冷たいねぇ、と薄っぺらく笑いながら、三人に倣って『ゆーや』こと、
「ハーフ?」
「多分」
先程から同じ言葉だけを繰り返す晴翔を、勇哉に『ゆっチ』と呼ばれた
「ん、行くか」
「よいせ」
と、それぞれ手に取っていた靴を置き、足を捩じ込む。爪先をフロアにカツカツと叩き付けると、そのまま校舎から逃げ出そうと歩き出す。
「ちょー、置いてく気かよ」
「違うて。のん、ごめん」
一際口が悪い女子が四人を呼び止める。典昭が振り返り、彼女を待った。
「のんのん早くー」
「結衣が早いんでしょ。てか、なに。なんか居んの?」
先程までの話を一切聞いていなかったらしい彼女、
「晴翔の追っかけらしいよ」
「へー。まぁ、ソッチ方面にはモテそうだもんね」
「嬉しくないんだけど」
閑架の言葉に眉根を寄せ、晴翔が前を向いた次の瞬間、差し込んでいた陽は遮られた。
「間違いではなかった……!」
「うぉおっ⁈」
ずいっと近付いた男は、遠慮することなく晴翔の手を握りその顔を綻ばせる。薄い褐色の肌は晴翔の肌の白さを強調させ、大きく骨張った手は晴翔のコンプレックスを刺激した。
「な、んですか」
上擦った声で尋ね、晴翔は大きく見開いた目を薄く細める。が、次に男が口を開いた時には、それは不信感に塗れるのだった。
「ずっと、探していたんです」
「は?……人違い、だと思います」
不信感と不快感と、様々な負の感情を煮詰め焦がし固めた目を向けられようとも、男は一歩も引かず怯まず晴翔を歓喜の目で見詰めた。
「僕の目に狂いはない」
「話聞いてる?」
顔を引き攣らせ、手を振り解こうと力を込めるも、非力な晴翔ではそれは叶わない。見兼ねた典昭と勇哉が男と晴翔の間に腕を差し込むと、それまで晴翔しか見ていなかった男の目が細められ二人へと向けられる。
「邪魔しないでいただけますか?」
「そっくりそのまま返すわ」
「俺らこれから用事あんだよね」
「僕も、彼に用があるんです」
晴翔程ではないものの、男の言葉に二人は顔を引き攣らせた。結衣と閑架は目で会話をし、タイミングを見て教師を呼ぼうと決めたらしい。
「へぇ?どんな」
男の身なりに気が付いた事があるらしい典昭は、隅々までその服を観察しつつ詳細を尋ねる。男と晴翔の間に伸ばしていた手で勇哉の腕を柔く叩くと、そこを退けるよう促した。勇哉は抵抗するでもなんでもなく、促されるまま一歩下がり、そのまま晴翔を自身の身体で隠す。
「へぇ、随分いい仕立てのもん着てんのな。どこの?」
「……分かるんですか?」
「親父がテイラーやってんだよ。てか、そんだけいいもんなら嫌でも分かる」
「そうか……君のことはどうでもいい、早く退いてください」
溜息を吐き、男は典昭を押し退け晴翔へと手を伸ばす。が、荷物を捨て置いた勇哉に背負われ、晴翔はその場から一気に遠去かった。
「残念だけど、晴翔はやめとけ」
コレ親切な、と付け加え、典昭は勇哉が置き去りにした二人の荷物へと手を伸ばす。少し離れた位置に立っていた結衣が駆け寄り、勇哉の分を手に取った。
「どういうことだ」
晴翔がいなくなった途端、男の纏う空気は鋭く重いものへと変化した。それに典昭は冷や汗をかくが、このまま足止めをできるのならば、と腹を括る。
「おお、怖。そのまんま。アイツには優秀なセコムがいんの。かなり独占欲強めの」
「僕の知る限り、彼の近くにいるのは君達四人と、幼馴染の男だけ、だが」
「すーんごい調べてんね。マジで恐怖」
と、茶々を入れた結衣を一瞥した男は片眉を吊り上げる。が、彼女の様子を見た彼はすっと結衣から視線を外し、懐からスマートフォンを取り出すと男はそれを操作した。そのまま晴翔を担いで消えた勇哉を追うように、なんの躊躇いもなく校門を抜け左へと曲がった。
「ちょ、どうすんの」
「とりま落ち合うしかなくね。のんは?」
背と胸にバックパックを二つ担いだ典昭は、キョロキョロと辺りを見回し閑架を探す。それを見た結衣は、あー、と思い出したように口を開いた。
「進路指導室の窓叩いてる。そろそろ割るかも」
「それは止めねぇと」
「のりー、呼んできたよ。って、いねぇじゃん」
パタパタと足音を鳴らしながら駆ける閑架は、男がそこにいないことを認め眉間に皺を寄せる。典昭はそれに苦笑し、頭を掻いた。
「逃げられた。俺らも走るぞ」
「うちはゆーやのチャリ乗るー」
「二ケツしよ」
「コケるからやめとけ」
と、それぞれ言いながらも男を追うため、走って校門へと向かうのだった。
***
いくら体力があるといえど、限界は存在する。まして、軽いとはいえ五十キロはあるであろう男を抱えて走るのは、筋力と体力が自慢の勇哉にとっても当然苦行だった。
「ちょ、もういいって!」
「動くな!……マジ、まだイケる!」
テンポよく走っていたのは最初の二、三分までだった。その後は確かに歩くよりは速いものの、どう考えても効率的ではなく、晴翔の中で罪悪感が積もりに積もっていた。晴翔は周囲の人の目も気になって仕方ないのだ。
「勇哉、止まれって!大丈夫だから!」
「ホント?マジ?……ちょ、待った……」
段々と失速し、背負っている晴翔をゆっくりと降ろす。勇哉はそのまま腰を折り、両膝に手を突くと肩を大きく上下させた。息はゼェゼェと切れている。
「今、ここ、どこ?」
「商店街の近く。これもう二本くらい大通りに向かって歩けばゲーセンあるよな」
確か、と息も絶え絶えに晴翔に答え、勇哉はやっとのことで疲弊した身体を起こした。
「……ダイジョーブ?」
「ダイジョブ……あー、明日筋肉痛だ」
「なんで担いだんだよ」
「晴翔は女子より体力ねーじゃん」
「分かってたけどムカつく」
手ぶらの男子高校生二人は、ゆったりとした歩調で通い慣れた商店街を歩く。それは先程までの慌ただしさとはかけ離れた、彼らの日常そのものだった。
もう少しで商店街を抜ける——と、いう時。黒塗りの外車がふたりのいる通りの対岸に着けた。それを見たふたりは本能的に足を止め、重心は後ろへと下がる。ザリッ、と靴底がアスファルトと擦れる音が小さく響いた。
後部座席のふたりからは隠れたドアが開いた。現れた影を見た勇哉は晴翔を背に隠し、小声で彼に言う。
「晴翔、走れ……!」
追い付かれない、など無理と分かっている。百も承知で晴翔は駆けた。街頭CMも、肉が安いと客を引く店員の声も、全てを聞く前に流れていき、晴翔の頭の中を“ゲーセン集合”と誰が決めたのでもない言葉が埋め尽くした。
「待って!」
晴翔が逃げる張本人の呼び掛けに応えようともせず、晴翔は懸命にその少ない体力を削るのだった。
これが晴翔が初めて男に追われた日の一部始終だ。
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