ミス・コネクション【第一話 B】
「おい、ニタドリ!!」
と、怒声に近い呼びかけが聞こえ、意識を明後日の方向へ飛ばしていたタチバナがはっと我に返る。
上司の岸が、新人編集者を呼びつけたのだ。
「わひ!? はひっ!?」
肩を跳ねさせながら自席から立ち上がったのは、背中の白い羽根が特徴の少女だった――新人編集者、まだ二十歳になっていない新入社員である。
ニタドリ、と呼ばれた彼女は、金色のポニーテールを揺らしながら、岸の元へ近づいてきた。
彼女が歩く度に白い羽根が落ち、ちょっとだけ周囲が明るくなる。雰囲気が、ではなく、本当の意味で光るのだ。薄暗い部屋では彼女がいれば
忙しかったので顔を合わせることが少なかったせいか、ちょっとした変化でも分かりやすかった。彼女、薄いけど、口紅をつけている……仕事に慣れてオシャレをし出していた。
服装も、きっちりとしたものからゆったりとしたカジュアルなものに。
緊張がなくなったのはいいことだけど、それでミスが多くなっては本末転倒だ。
実際、岸に注意を受けている……、声のトーンは大きいけれど、口調は怒っていないので、注意というか、事情聴取みたいなものだったけど。
「な、なんですか……?」
「オオアゴ先生から俺のところに企画書……まあ原稿なんだが、送られてきた。お前、もしかして読んでないだろ?」
「…………はぁ(あの人、また書いたんですか……)」
「ニタドリ、さてはお前、面倒くさがって読んでないな?」
「う。だ、だってっ、量が多いですし早いんですもん! わたしだって仕事してますしっ、なのに読む時間なんてないですよ!!」
「ある程度は優先して読めと言っただろう。うちの看板作家、三人の内の一人だぞ? 出せば売れるんだ、一通りは目を通しておけって」
「か、活字ノイローゼになりますよぉ……」
たくさんの字を読むのは疲れるものだ。実際、タチバナはそれで目を悪くしている……、紙の本ではなく画面で長く読んでいれば、当然の結果だった。
それでも、今でも読むのが日課だ。仕事柄、読まなければいけないのだが――それでも苦ではない。だって好きだし、楽しいから。
内容が面白くなくとも、それをどう改良すれば面白くなるのか、それを考えるのもまた、面白い。
タチバナのような『好き』という気持ちがなければきつい作業になるだろう……新入社員にはきつかったようだ。特にニタドリは、ノベルが好きなようでもないらしいし。
なら、どうしてこの会社に? と聞きたいところだった。
ニタドリは、「他になかったので」と言いそうだけど。
「嫌です、読みたくないです!!」
「それは……つまらないからか?」
言いにくいことだが、編集者は言うべきことを言わなければならない……でないと、なんのための編集なのだ。
感想が多少辛口でも、岸はニタドリを咎める気などなかった――けど。
「……分かりません。面白さとか、良いのか悪いのか、分からないんですよ。看板作家なら、そりゃ面白いってフィルターがかかっちゃってますし……」
人気作家の新刊は面白いに決まっている、と思い込んで読んでみれば、つまらないとは感じないようなものか。
たとえつまらなくても、面白い部分を無理やり探し出し、自分の解釈で『面白い』を構築してしまう。客観的な良し悪しの判断ができなくなっているのだ。
それは岸も、気持ちは分かると言った風に頷いていた。
「俺もそれがあるから、担当を変えてもらったんだが……そうか、お前もそういう段階か」
いや、そういう段階か?
彼女の言い訳が、上手いことはまっただけの気がする。
「実際、面白い作品が多いですけど……。あの人、ほんとなんなんですか!? 休んでくださいと言っているのに仕事ばかりして、頼んでもいない作品を作って送り続けてきて……――これはもう嫌がらせですよ! わたしを働き殺すつもりですか!?」
「でも、先生は『読むのはいつでもいい』って言ってるんだろ? オオアゴ先生は勧めてはくるが、強制はしてこないからな――こっちからの内容の指示にも従ってくれるし、だから扱いやすい作家ではあるんだがなあ……」
「まだ一作も読み終えていないのに、二作も三作も送られても、次があるプレッシャーがストレスになるんですよ……。しかも、仕事中じゃなくてもメールがきますし……あの人、寝てます?」
「寝てはいると思う。それでも数時間だとは思うが」
単純に、好きだから作っているだけなのだ。
働かないと死んでしまうような、追い詰められた上での行動ではなく。
元担当の岸は、それをよく知っている。
「――岸さん、その原稿、あたしが読んでもいいですか?」
と、タチバナ。
アカバネ先生の原稿がまだまだ届きそうにないので、別作家の商品前の作品を読んで目と脳を鍛えておきたいから、という理由だった。
他のレーベルの編集者ならまずいが、同じレーベル内なら問題はない。
「そうか? まあ、いいぞ」と気軽に答えてくれた。
「タチバナ先輩っ、いいんですか!? じゃあ――わたしのパソコンに残ってる原稿の全部、渡しますね!!」
「最低限、二作くらいはお前がちゃんと読めよ……オオアゴ先生が可哀そうだろ……」
読むのを嫌がられて――と言って傷つく素振りを見せない作家ではあるが、内心ではやっぱり傷ついているだろう……それも含めて作品にしてしまう人ではあるが。
「いいよ、あたしが全部、読んでおくから――講評はニタドリに送ればいいよね?」
「いや、直接オオアゴ先生でいいと思うぞ。タチバナの苦労を、ニタドリの手柄にすることもないだろう。評価されるべきだ。会社からも、作家からも」
「そうですか? まあ、そうですね……ニタドリのためにもなりませんしね」
「そういうことだ」
聞いていたニタドリは、「ちぇー」と不満そうだが、文句を言う気はないようだ。
さすがに他人の手柄を横取りして報告する、というやり方には抵抗があったようだ。そこで小さくとも抵抗を見せてくれたのだ、彼女はまだまだ、編集者としては成長できるはずだ。
「タチバナ」
「はい? もちろん、自分の仕事はしますし、アカバネ先生にも書かせて、」
「それは分かってるんだが、あまり根を詰めたりするなよ? お前のことだから、寝る間も惜しんで読みそうな気がしてな……。仕事ばかりでプライベートがないって状況は避けたいからな」
「あたしは、仕事に追われたいです」
仕事なのかプライベートなのか、分からないくらいに浸かっていたい――だって、この仕事が好きだから。
「無理はしますけど、それは望んだ無理ですから……大丈夫です、心配しないでください」
「そ、そうか……まあ、体調にさえ気を付けてくれるなら、言うことはないが……」
「はいっ、では、失礼します」
タチバナが自席に戻っていく。
席についてすぐさま画面に顔が近づいたところを見ると、早速、読み始めたらしい……。
最近のタチバナとは思えないほど、顔が活き活きとしていた。
「……やっぱ、逆にした方がいいのかもな……」
岸の呟き。
タチバナもニタドリも、その呟きに反応することはなかった。
〇
残業を終え、タチバナは自宅に戻り、お酒を開けながら、一時間だけテレビを見る。録画だ。
お笑い番組を見て、ひとしきり笑ってから、ノートパソコンを開いた。
後輩から受け取った、担当作家ではない作家の作品を読む――。
日付が変わったことにも気づかず、朝日が昇ってもタチバナは読むことをやめなかった。
単純に時間を忘れて没頭してしまっていた……幸い、今日は休みなのでこのまま夜の帳が下りるまで読むことができるが、さすがに眠気がやってきたので眠る。
お昼ごろに起き、また読む。
ニタドリは長期間、原稿を溜め込んでいたようで、長編ノベルが六つほど――同時に、今日もニタドリの元には新たな原稿が届いていたようで、彼女からまた一作、送られてきた。
ペースが早過ぎる。
呼吸をするかのように書かなければ、このペースは維持できないだろう……。
過去に書いていたものをブラッシュアップして作っているなら――だとしても膨大な量のストックがあるということだ。
書き続けられる体力、もしくは膨大なストックがある――どちらにせよ、作家として大きな武器になる。
「面白さは……さすがに波はあるけど……でも――うん、編集が手直しすれば、どれもこれも使える原稿ではあると思う……」
担当作家が爆発的な面白さの作品を一年に一作ほど出している……それを読んでいるせいか、やはり比べてしまえば劣るものの、それでも一枚二枚、落ちるくらいの評価だ。
爆売れ作品の一枚二枚ほど落ちる作品なら、普通に売れる評価である。
比較対象が凄いだけで、面白さの及第点以上の作品が一週間に一作ペースで制作できるなら――オオアゴ先生も充分に凄い作家だ。
レーベルの看板作家として、作品単体として見れば弱いかもしれないが、こうして内側に入ってみればその凄さがよく分かる。
ちなみに看板作家の三人のうちの最後の一人は女性作家である。
なのでラブコメ要素が多い……、そのため、バトルやサスペンスを売りにしているレーベルとしては、ちょっとだけ合っていなかった。
それが悪いというわけではない。色々なジャンルの作品があってもいいだろう……ただ、あくまでも少年が好むバトルが主流。そう、アカバネ先生が書くような作品が理想である。
「オオアゴ先生のは、そう考えると、ちょっとひねくれているというか……小難しい?」
大したことないことを難しくしていると言えばいいのか。
大人なら読み解けるが、十五、十六歳ではどうだろう? 読後、ちょっと頭が良くなったかも!? なんて錯覚させることはできそうである。
バトルあり、サスペンスあり――ミステリ要素も盛り込まれている。
それでいながら、物語の入口は分かりやすく、入りやすい……、そして単純に、面白い。
こんな作品たちが、ニタドリのサボりで埋まっていた……? これらがずっと埋まっていたかもしれないと思うと、もったいなさ過ぎてゾッとする……。
「……ニタドリに教えて、早く商品にしてもらわないと――」
担当作家ではないから、タチバナがオオアゴ先生にコンタクトを取るわけにもいかない……講評は送るが、それ以上はニタドリを通さなければ。
オオアゴ先生の担当は、ニタドリなのだから。
「あ、もう夜……」
気づけば休日の一日を読書で潰してしまっていた。
空腹も忘れて……今になって、腹の虫が訴えてくる。
集中力が途切れ、やっと体の反応が脳に届くようになったのだろう。
久しぶりだった。
ここまで充実した休日は。
「…………いいなぁ」
ぼそっと漏れた言葉は、自覚がなかった。
第一話 C へつづく
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