タートル・インプレッション【後編】

「いてて……、勝負? ……あー、『かけっこ』のことか」


「思い出したのね……え、思い出した? じゃあ忘れてたんじゃん!!」


「すまん」

「あ・や・ま・る・なしぃっ!!」


 ウサギの少女が地団駄を踏んでいると、浜辺に転がっている子供たちに気づいた。


「……なにこれ」

「お前には関係ない」


「あたしとのかけっこの途中で子供たちと遊んでいたわけ!?

 ッ、こっちは必死に走っていたのに!!」


「昼寝してたんじゃねえのかよ……」


 そもそも、亀とウサギでは勝負にならないだろう……、ウサギが遅い亀をバカにしたいがために始めたことである。それに正面から堂々と付き合ってやる亀でもなかった。


「遊んでたわけじゃねえ。悪ガキを粛清しただけだ」


「あぁ……、なら、仕方ないか。あたしも色々とイタズラされたことあるし」


 顔を赤くするウサギだった……、なにをしたんだ、悪ガキ共。


「もう勝負なんていいだろ……今更、再戦するつもりもねえし」

「いや、あたしの勝ちだし。もうゴールしてるから」

「ああそうかい」


 亀が冷たくあしらう。


 ウサギが、むむむ、と納得のいっていない様子だ。


「ここから! また競争かけっこしようよ!!」

「嫌だっつの。なんで勝てない勝負に乗らないといけない……、俺が不利じゃねえか!!」


「じゃあっ、ゴールは竜宮城でいいから!!」


 ぴたり、と亀が止まった。

 にやり、と笑い、


「言ったな?」


「え? ――あ、」


「泳げないお前が、ゴールまで辿り着けるのかよ!!」


 海に飛び込んだ亀が、すいすいと、あっという間に見えなくなってしまう……


 深海の、さらに奥へと――。


「うぅ……」


 取り残されたウサギと……、完全に蚊帳の外である宇良嶋であった。


「えっと……まあ、がんばれ」


 釣り竿を拾い、倒れた子供たちを介抱していると、背後から足音。



「……あの、良かったらお手伝いしましょうか?」



 宇良嶋が振り向く。

 そこにいたのは、絶世の美女だった。


 一度も日の下に出たことがないような白い肌――、そんな女性が、暑い今日の、しかも浜辺にいるなんて……――せめて日傘くらいは差してほしいと焦る宇良嶋だった。


「い、いえ! 綺麗なお嬢さんに手伝わせるわけには――」

「ふふ、綺麗だなんて……お上手ですね、宇良嶋さん」


「え、どうして、私のことを……?」

「よく知っていますよ、ええ、よく、ね――」


 意味深なセリフだ。

 含みを持たせた彼女は、一体――、



「あ、その人の正体、鶴だから。あなたがどこかで助けたんじゃないの?

 そのお礼で人間に化けて、近づいただけだから――遠慮しないで手伝ってもらえば?」


「ちょっ、こんのウサギっ! どうしてばらすんですかっっ!?」


「亀に逃げられたあたしはもう……生きる目的がないもの……」


「逃げられたなら追えばいいじゃない!

 海の底だろうと空の上だろうと! 人に八つ当たりしてないで動きなさいよっ!」


「人じゃなくて、鶴に八つ当たりしたんだけど」


 意外と冷静なウサギである。

 そして、鶴であることをばらされた美女は……、


「……はい、そうです! 私が鶴です! 恩返し、させてもらいますけどいいですね!?」


「あ、はい……。

 とりあえず、倒れている子供たちの介抱をお願いできますか……?」



 子供たちの介抱をしていると、海の向こう側から、ぷかぷかと浮いて流れてくる緑色の物体があり……――浜辺に流れ着いた『それ』は、さきほど別れた亀だった。


「え!? ちょ、亀!? 亀、だよね……?

 なんでこんなに、歳を取ってるのっ!?」


 分かりにくいが、しわが多く、鼻の下の髭も、白くなっている……。


 立ち上がる体力もなく、もうすぐ天寿を全うするような歳の取り方だった。


 ウサギが亀を抱える。

 甲羅分の重さしかなく、亀の体はほとんど体重がない。


「がぁ、は……」


「自業自得ですよ。勝手に玉手箱を開けるからです……あなたに渡した景品でもないのに……

 ――あら、お久しぶりですね、ウサギちゃん」


「お、乙姫様……」


 水面に上がってきたのは、より巨大なクジラの一部と、装飾過多の乙姫である。


 水中から出てきたにしては、衣服が濡れていない……、水を弾くのだろうか?


「乙姫? この人が……」

「初めまして、宇良嶋さん」


「え、あ、はい。初めまして……」


 広がっていた扇子が、ぱたり、と閉じられた。

 乙姫が言う。


「今回は亀が悪いことをしました。その子供たちの怪我は、私が治してあげましょう。

 しかし、亀のさきほどの発言は、彼個人のものではないことは、ご理解くださいませ」


 波が子供たちを攫う。

 飲まれた彼らが再び浜辺に転がった時、怪我が全て治っていた……。


 怪我を全て、洗い流したのだ。


「同時に、汚い心も洗い流しておきましたので。

 ……子供らしさの欠如こそ、彼らに与えられた罰としましょう――」


 それでは、と、乙姫が去っていく。

 嵐が去ったように、静けさを取り戻した。


 むくり、と起き上がった子供たちが、周囲を見回し――、宇良嶋を見つける。

 全員が正座をし、深々と、頭を下げた。


『――この度は、誠に申し訳ございませんでした』


「は? いや、そこまでかしこまらなくてもいいが……」


『責任を取らせてください』

『どんな罰でも受けますので!』


 この状態こそが罰なのだが、本人たちは知らないし、このままでは気が済まないらしい。

 今の彼らに望むことと言えば……、


「子供らしく、元気にはしゃいでくれればいいんだけどな……」


 もちろん、人に迷惑をかけない上で、だが。



『宇良嶋様の身の回りのお世話を致します。

 困ったことがありましたら、いつでも私共をお呼びください』


「き、気味が悪い!! 見た目は子供でも中身は大人じゃないか!!」


 大人を越えて老人かもしれない……、

 これはこれで、効果は開けてしまった玉手箱に近いか?


 汚い心を流され、失っただけだが……。

 乙姫が言うには、子供らしさがなくなり、形式的な大人の振る舞いをするようになってしまった――……なので、厳密には汚い心がまったくないわけではないのだが――


 だって、子供よりも大人の方が、よっぽど汚い心を持っている。


 分かりやすく見えないだけで、心の内は、誰もが真っ黒なのだから。



 ―― おわり ――

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