第25話

長々と喋り過ぎてしまった。

外はすっかり暗くなり、綺麗な満月が顔を出す。

真由紀はオレが話している間、無言のまま顔を俯かせていた。


「何気に全部初耳だわ。初耳過ぎて頭が追い付かない……」

「アイツから何も聞いてなかったんですか?」

「あの子はそういう大事なことは全然話さないから」


一途が遺書を書いていたこと、一途からオレに告白してきたこと——新しい情報が矢継ぎ早に登場し、軽く混乱状態に陥っていた。真由紀は頭を抱えたまま、一つ一つ情報を整理している。


「晴斗クンと一途が描いてた絵とか、書き溜めてた遺書とか、まだどこかにあるのかな?」

「さあ、どうでしょう。オレの下手くそな絵があったということはまだどこかにあるかもしれません。出来ればあの遺書達は全部捨てておいて欲しいのですが……」


真由紀の許可の下、その辺の引き出しや棚を漁って闇雲に探す。


「晴斗クン……」

「なんでしょう?」

「ありがと。一途ちゃんと付き合ってくれて」

「オレは特に何もしてませんよ。あっちから告白されなかったら、たぶん付き合ってませんし」

「それでもありがと。貴方がいなかったら、あの子はもうここから離れて行ってた。私に何も言わずに、どこか遠くへ。手の届かない場所まで——」


真由紀はベッドの上で深々と頭を下げる。瞳に涙を溜め、心の底から感謝の言葉を告げられた。


「オレは今も昔もただ欲望のままに動いているだけです……」


真由紀の背中を優しく擦り、頭を上げるよう促す。

そこまで感謝されるとなんだかムズムズする。


■■■


「絵、見つかりました‼」

「えっ、どこどこ⁉」


探すのにそこまで苦労しなかった。

昔、遺書が保管されてあった引き出しにたくさん溜まっていた。


「うわ~、どの絵も壊滅的だ~」

「すみません。絵心が無くて……」


自由帳から切り離された紙がほとんど。だいたい全部で三十枚近くある。

画家は全てオレ。見るに堪えない駄作が目に飛び込む。


「まさか、全部残していたとは驚きです。素直に嬉しいです」


そこそこ年月が経ち、僅かに色褪せているが特に気にならない。どれも大切に保存されている。

プレゼントしたものとはいえ、とっくの昔にゴミ箱へ捨てられていると思っていた。


「捨てるわけないじゃない。彼氏から貰ったプレゼントは全部宝物よ」

「でも、オレはもうアイツの彼氏じゃないし、こういうのは捨てるものじゃ……」

「分かってないな~。まだ、あの子は晴斗クンのことが大好きよ。未練タラタラ〜」


頬に伝う涙を拭い、再びニコニコと穏やかに笑う真由紀。

陽気にオレが描いた絵をヒラヒラさせる。


「一途から聞きませんでした?別れた理由を?」

「う~ん、本人から直接聞いてはないけど、噂である程度知ってる。たしか一途ちゃんが浮気したんでしょ?」

「はい」

「浮気相手は名の知らない学校のイケメン君。晴斗クンはたまたま一途ちゃんとその謎のイケメン君が抱き合ってる姿を見ちゃったとか」

「そうです」

「んで後日、屋上に呼び出してそのことについて問い詰めたら、アッサリ浮気を認めたと」

「事細かく知ってますね」

「あら、あの噂は事実だったかしら?」


一途の浮気話は学校だけではなく、ママ友の間でも広がっていたらしい。


「本当にあの子は浮気を認めたの?」

「申し訳なそうに謝られたので……たぶん」

「あらあら、ただ謝っただけで浮気確定させちゃったの!とんだ早とちりさんね」

「でも、実際に男と抱き合ってる姿を見て——‼」

「それはお互いの合意の下でちゃんと抱き合っていたのかな?相手の男が強引に抱きついた可能性も否めないよぉ~」

「うっ……」

「そもそも晴斗クン自身もあの子の浮気信じてないでしょ?」

「それは……、はい。正直信じてないです……」


もし浮気を信じていたら、ここまで一途と積極的に関わろとしない。

今更だが、彼女が弱々しく吐いた“ゴメン”の本当の意味に気づいてしまった……気がする。


「もう一回言うけど、あの子は晴斗クン君のことが大好き。昔も今も、この先もずっと、ずっと、晴斗クン君のことが好き」


念押しするように繰り返し、そう諭す。

変わらず口角は笑っているが、目は真剣そのもの。真っ直ぐな視線を正面から受ける。


「恥ずかしいことに、娘についてまだ分からないことだらけ。正直、あの子が何を考えているのか想像できない。それぐらい私はバカで鈍感で不器用で……誰がどう見ても不出来な母親。だけど不出来な母親でもこれだけは分かる。あの子が“一途”だってことは——」


「だから私を信じて、あの子を信じて……」と真由紀は涙ながらに熱く訴えた。

ほんの数秒前まで笑っていたのに、今は顔をクシャクシャにして赤く腫れた瞼を擦っている。


「すみません。こうなったのはアイツを信じ切れなかったオレの落ち度です。上辺の情報に翻弄されるなんてほんとバカ過ぎる……」


あの時の自分は浅はかだった。少し考えればすぐに気付くことを感情的になり、見失ってしまった。

今あるのは別れた後悔だけ。彼女と久しぶりに再会して、より後悔が増幅した。

オレは手に持っていた用紙を力強く握り締め、歯を食いしばる。


■■■


絵を元あった場所に仕舞ったあと。真由紀を抱えて階段を降り、車椅子に座らせる。


「そろそろ家に帰ります」

「あら、もう少し居ていいのよ。まだ一途ちゃん帰って来ないと思うし」

「いや、流石に帰ってくるでしょ」


時刻は夜の九時。ちょうど一途のバイトが終わる時間帯だ。

長話したせいで予定より長居してしまった。

急いで荷物を持って玄関で靴を履く。


「また遊びに来てくれる?」

「それは……ちょっと分かりません。今後の動向次第です」

「——たしかに、そうだね」


本当は即答で“イエス”と答えたい所だが、その前に一途との関係をどうにかしないといけない。


「またここに来れるように頑張ります」

「うん。応援してる‼」


玄関をドア開ける前に、軽くお辞儀。

真由紀は元気よく手を振り、見送ってくれた。


「真由紀さんはホント変わんないな……」


普段は子どもっぽいけど、時折見せる母親の一面が荒んだ心に突き刺さる。

見た目は変われど、中身はずっと昔のままで安心した。


■■■


「うわっ……、雨かよ」


玄関のドアを開けると、ほのかに感じる梅雨の香。

篠突く雨が地面にぶつかり、辺りが騒々しい。


「今、傘持ってないし……」


朝のワイドショーによれば、今日は晴れ一発の予報。スマホの天気予報も晴れマーク一つで表示されている。

恐らくこの天気は通り雨だろう。


「——は?」


ここは一度桜庭家に戻って傘を借りるか、全力疾走で駅まで駆け抜けるか――。

そう悩んでいた時、正面に人の影。不機嫌そうな声が耳元まで届く。


「あっ、一途……」


正面を向くと、そこには赤い傘を差した一途が真っ直ぐ佇んでいた。

例のごとく眉間にシワを作り、こちらを鋭く睨み付けてくる。


「なんで、アンタがここにいんの?」

「いや、これは、その……真由紀さんに誘われて……」

「お母さんと会ったの?」

「うん、ゴメン……。偶然会っちゃった……」


一途はトゲトゲしい口調で問い詰めてくる。

オレは彼女のただならぬ雰囲気に気圧され、口調がたどたどしくなってしまった。

頭が真っ白になり、上手く日本語が喋れない。


「お母さんとどこで出くわした?」

「午後に一途とご飯食べた、あのファミレスの前」

「お母さんと何喋った?」

「懐かしい思い出話、かな……」

「私のことなんか話してた?」

「可愛い娘だって惚気てた」


一途は怒るわけでもなく、淡々と矢継ぎ早に質問してくる。


「お母さん、私のことキライとか言ってた?」

「は?突然どうした?」

「ちゃんと答えて。キライとか言ってた?」


途中で変な質問が投げられた。

当然、真由紀が一途のことを嫌う訳がない。常に彼女の念頭にあるのは一途ただ一人だ。


「真由紀さんはずっと一途のこと大切に想ってる。あの感じだと嫌いなったに瞬間なんか今まで一度もなかったと思うよ」

「あっそ……」


表情は暗くてよく見えない。声色もぶっきらぼうで変わらない。

オレの返答を聞いて喜んでいるのか、それとも落ち込んでいるのか分からない。


「てか、そういうのは真由紀さんに直接聞けばいいじゃん」

「聞くわけないでしょ」

「なんで?」

「べつに」

「べつにってなんだよ!」

「べつにはべつによ‼もうアンタには関係ない‼」


一途はオレの横を通り過ぎ、雑に傘を閉じる。


「ガチの話、一回真由紀さんとゆっくり話したら?このままだと——」

「いちいち言われなくても分かってる。そのつもりだから」


一途は傘を閉じたあと、軒下からオレのすぐ隣で物憂げに真っ暗な空を見上げる。


「オレが家に来たこと怒んないの?」

「今更怒っても仕方ないでしょ。もう既に来ちゃって帰ろうとしてるんだから」

「ゴメン……。お母さんのお誘いは流石に断れなくて……」

「謝んなくてもいい。昨日とは違ってマジで怒ってないし」


確かに昨日みたいにそこまで殺気立っていない。機嫌が良いとまではいかないが、比較的今日は穏やかな方だ。


「アンタ、もしかして傘持ってないの?」

「ああ。まんま天気予報に騙された」

「ダッサ」

「ダサいは失礼だろ——って、ん?」


横から突然グイッと傘を差し出された。一途の顔を見ようとしたが、そっぽ向かれる。


「一途さんや。この傘はなんだい?」

「アンタに傘を贈呈する」

「贈呈……?“貸してあげる”ではなく?」

「その傘安いからわざわざ返さなくてもいい。自由に貰ってけば、ほら‼」

「ちょ、ちょい……⁉」


一途はオレの手を掴み、強引に傘の取っ手の部分を握らせる。

乱暴に握らされたせいで生地に付いてた雨粒が思いっ切り顔にかかり、余分に濡れてしまった


「どうした、お前……誰かに悪い薬でも飲まされたか⁉熱でもあるのか⁉」

「少し親切にしただけで大騒ぎね。普段、私のことどう思ってんの?」

「短気」

「怒るわよ」

「冗談、冗談」


今日の一途は優しくて、どこか懐かしい。付き合っていた頃の楽しい思い出が蘇ってくる。


「ありがとう。この傘は貰う。遅めの誕プレとして」

「余計なこと言うな。キモい……」


早速もらい受けた傘を差し、彼女から離れる。


「バイバイ、晴斗……」

「えっ……」


下の名前を呼ばれて、思わず後ろを振り返る。

視界に映ったのは胸元で小さく手を振る一途の姿。


「気を付けて帰りなね」

「あっ……」


しかも、ただ手を振っただけじゃない。なんの混じり気のない飛びっきりの笑顔がセットで付いてきた。

オレはその笑顔を目の前にして言葉を失い、暫く静止する。


「——うっ。やっぱ今のはナシ‼忘れて‼」


途中で恥ずかしくなったのか、急いで手を下げ玄関のドアを開ける。そのまま逃げるように中に入ってしまった。


「なんだよ、それ……」


オレは誰もいなくなった玄関先を見詰めたまま、暫くその場に立ち尽くした。



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