第23話(一途との馴れ初め②)
あの事件があった翌日から一途は家に引きこもるようになった。いわゆる不登校。
欠席が二週間続いたところでオレは痺れを切らした。
「誰か桜庭の宿題プリント持っていてくれる人いる?」
「はい、オレが持っていきます!」
放課後に入る前のホームルームで高らかに手を挙げる。
いつもなら近所に住んでいるクラスメイトが持っていく決まりだが、今回ばかりは譲れない。
「でも晴斗君は家から遠いし、そもそも場所も知らないんじゃ……」
「遠いといっても歩けない距離じゃないと思うし、それに場所は後で教えてもらいます!」
「べつにそこまでしなくても……」
「絶対持っていきます‼」
クラスメイトから奇異な目で見られるが構わず自分の意見を押し通す。
担任はオレの異常な熱量に根負けし、彼女の宿題プリントを受けることができた。
「——オマエ、桜庭ちゃんのことがスキなん?」
「ス、スキとかまだ分かんねぇよ……」
友人の質問にそう答えると、クラスメイト達が一斉に歓声を上げる。冷やかしのような声と歓喜の声が同時に——。
■■■
一途の実家に行くと母親の真由紀が優しく出迎えてくれた。
そして快く一途との面会を許してくれた。
"いちず"と書かれたプレートが目印のドアを軽く3回ノック。中からの返事を待つ。
「おかあさん?」
「新島晴斗です!」
「――えっ、だれ……?」
すぐに返事が来た。
しかし声を聞いても、相手が誰だか分かっていないようだ。
まだ彼女にとって覚えるに値しない存在なのだろうか。
「いつも休み時間、話してるヤツ」
「ああ……、分かった。いつも騒がしい人ね……」
オレが誰なのかすぐに認識し、溜息混じりにそう呟く。
「なんで来たの?」
「今日の分の宿題プリント持ってきた」
「あっそ、わざわざありがと。じゃあ、その辺に置いといて。後で取るから」
「う、うん……、わかった……」
当時の一途は今以上に口数が少なかった。
たった数秒、事務的な言葉を交わした程度で満足し、暫く沈黙の時間が流れる。
「一途ちゃん」
「なに?」
「もうちょっとお話しない?」
「なんで?」
「オレが一途ちゃんとお話したいから」
「イヤだ。ことわる」
抑揚のない無機質な声で断られた。
まあ、今覚えば不登校になった女の子と普通に話そうするのはおかしい。
断られるのは当然だ。
しかし当時のオレは謎に食い下がった。しかも図々しく平然とドアノブを回す。
「ちょ、ちょい……‼勝手にドアを開けようとしないでくれる⁉」
「ゴ、ゴメン……‼」
「ドア開けようとする前に、まず許可取りな⁉ジョーシキないの⁉」
ここでこのまま大人しく帰ってしまったら一生彼女と会えない気がする——。子どもながら余分に不安を感じてしまった。
謝りながらもドアの隙間からひょっこり顔を出す。
「部屋きれい……」
「勝手に見るな、バカヤロー‼」
ファンシーなものはどこにも見当たらないが、隅々まで掃除が行き届いたお部屋。
一途は何をする訳でもなく、ちょこんとベッドの上に座っていた。
「ゲームとか、ぬいぐるみとかないの?」
「私はそういうの全然キョーミない。くだらないわ」
「でも漫画はたくさん置いてある……」
「こら、ゴソゴソ棚を漁るな‼」
棚の奥底に大量の漫画が眠っていた。表紙の絵柄と華やかな色合いから少女漫画だと気付く。
「オレのおかあさんもこういうの読んでる。おもしろい?」
「さぁね、きっとアンタには合わないわ」
一途はオレの手から漫画を急いで取り上げ、元あった場所に戻す。
漫画の話をされるのがイヤだったのか、一段と不機嫌になった。
眉間のシワが一つ二つと増えていく。
「で、話ってなに?なるべく早く済まして」
「一途ちゃん、なんかコワい……」
「それを言うなら無許可で、ズカズカと、他人様の部屋に入ってきたアンタもコワいよ」
一途は呆れたようにもう一度ため息。後頭部を搔きむしり、凄い目力でこちらを睨む。
「もしかして、私がなんで学校に行かなくなったのかの話?」
「それは、なんとなく分かるからいい……」
「べつにイジメられたから行かなくなった訳じゃない。単純に学校自体がおもしろくない」
「えっ……、オレがいるのに⁉」
「“オレがいるのに”ってなに?自分のこと過大評価し過ぎ」
「かだいひょうか……?なにそれ?」
「やっぱ、なんでもない。今のは忘れて」
一途は度々難しい言葉を使う。当時のオレは理解するのに苦しんだ。
恐らくあの頃の彼女は早く大人になろうと背伸びしていたのだろう。所謂、一般的な“おませさん”だった。
「ねぇねぇ?あそこにある紙はなーに?」
「ちょ、ちょっと、それはマジで見たらダメッ……‼」
なんとなく辺りを見回していると、机に置かれたある物が目に入る。
間近で見ると画用紙らしきものが大量に積まれてあった。
一途は焦ってオレを止めに入る。だが——、
「「あっ」」
一途は途中で足を絡ませ、派手にコケてしまう。そのコケた風圧で画用紙達が宙に舞った。
「うわっ……すごい……」
大量の画用紙達があちこちに散らばる様子をジッと観察。その際に画用紙に書かれていたある絵を見て、思わず感嘆を漏らす。
「今のはなに⁉ひょっとして一途ちゃんが描いたヤツ⁉」
「ち、ちがう。ちがうから‼」
今更否定してももう遅い。
床に散らかった用紙には丁寧にコマ割りされた可愛いイラストの数々。しかもイラストの隣には吹き出しもあり、短いセリフも入っている。
「これってマンガでしょ?」
「私はそんなの知らない!お母さんが勝手に描いたヤツだから‼」
「でも、絵柄が一途ちゃんの絵とそっくりだよ?」
「んぐっ……⁉」
流石にシラを切るのは無理がある。
一途は諦めて首を縦に振る。
「一途ちゃんってマンガ家になりたいの?」
「いいや、ただの趣味」
「じゃあ、あの封筒はなに?」
机の引き出しから少しはみ出して見える大き目の茶封筒。その茶封筒には住所と名前、出版社の名前らしきものが拙い字で記載されていた。
「コイツ意外に目聡いな……」
一途はそんな独り言を呟き、小さく舌打ちした。
再び後頭部を搔きむしり、イライラを全面に出す。
「そ、そうだよ‼私はマンガ家になりたいの‼なんか悪い⁉」
「ううん。凄くカッコイイと思う」
「お、おお、ありがと……」
オレが素直に褒めると、一途は頬を赤らめてたじろぐ。動揺のあまり、またも足を絡め尻餅をついた。
「これってどんな漫画?バトル系?」
「一応、恋愛物」
「れんあいって男女のアレ……?」
「そう。男女のアレよ」
オレがたまたま手に取った用紙には可愛い女の子がイケメン男子に壁ドンされていた。
“オレはオマエのことが好きだ”などとテンプレの文言が吹き出しに綴られている。
他の用紙も読んだが、少女漫画でありがちなシチュエーションの数々が凝縮されていた。
作者の前でだいたい全部目を通したが、まだまだガキなオレには難しい内容だった。
「この漫画、本屋に並ぶ?」
「ううん。この前、編集社に送ったら即刻突き返されたわ。小3は相手にされないのかも。まあ、そもそも内容がプロに見合ってないのもあるし」
「そうなの⁉これって面白くないの?」
「アンタはそれ読んで面白いと思った」
「正直わかんない」
「ほんとに正直だな……」
一途は散らかった用紙を拾い集めながら鼻で笑う。
鼻で笑った直後、また一瞬だけ悲しそうな目をした。そして、悔しそうに唇を真一文字に結ぶ。
「オレも一途ちゃんみたいに絵描けるかな?」
「は……?」
オレはそんな彼女を元気づけようとある事を思いついた。
たまたま近くに落ちていた白紙の用紙を拾い、ローテーブルの上に置く。
「鉛筆かクレヨン、なんでもいいから描けるヤツちょうだい‼」
「これってどういう状況?マジで意味わかんないんだけど……」
小さく文句を垂れながらも、すぐに鉛筆を渡してくれた。
渡される否や、オレは勢い良く鉛筆を走らせる。
「良かったら桜庭ちゃんも一緒に描いたら?」
「なんで?」
「一緒に描いた方が楽しいから‼」
「えぇ~」
一途はそこはかとなく鬱陶しそうに目を細めた。
嫌々だが、オレの正面に座り別の白紙の用紙を置いて鉛筆を走らせる。
「なに描くつもり?」
「ナイショ!」
「私はなに描けばいいの?」
「なんでもいい‼」
「テキトーだな」
「そもそも遊びってテキトーじゃないの?」
「急に正論言うな——」
くだらない会話を続けるも、手を止める気配がない両者。真っ白だった紙が見る見るうちに、黒い線で埋まっていく。
「私がマンガ描いてるとかダサくない?」
「どういうこと?」
「なんかそういうのってカッコ悪いイメージあるから」
あの頃はまだギリギリ、サブカルチャーに抵抗があった時代。特に思春期前後の小学生は無意識に“オタク”を軽蔑する文化が根付いていた。
一途はそんな周りの声を気にして、オレにバカにされると怯えていたようだ。
「どこがカッコ悪いの?好きなことに夢中になれるのって悪いこと?」
「そ、そうね……。また正論言われたし……」
正論かどうか分からないが、純粋な意見を述べた。
今も昔もオレは夢のある人間が大好きだ。
それがどんな夢であれ、全力で応援するのが性分。元々、好意的な相手なら尚更応援したくなる。
「みんながダサいって言っても、オレは絶対に言わない。ウソ吐けないもん」
「う、うん、わかった。なんか言い出したこっちが恥ずくなってきた……」
ふと正面を向くとほんのり顔を赤くした一途が座っていた。片手で口元を抑えて、なんとか絵の方に集中しようとしている。
「気分悪いの。だいじょーぶ?」
「全然大丈夫‼心配しないで‼」
一瞬だけ指の隙間から緩んだ口角が見えた。口元を隠していたのは照れ隠しのようだ。
オレはその姿を見て無性に嬉しくなる。
■■■
「できた‼」
「私もちょうどできたわ」
描き始めてから十分程。両者ともに絵が完成した。
「アンタ、意外と時間かかったね。なに描いたの?」
「さぁ、なんでしょう」
「まだサプライズ?」
「うん。先に一途ちゃんから見せて‼」
「はぁ……。はいはい」
一途は不承不承な表情をしつつも、こちらに描いた絵を見せてくれた。
「うぉ~、ダレこれ⁉」
彼女が見せてくれたのは小さな男の子の絵。今まで描いてきた絵と比べるとかなりタッチを変え、限りなくリアルな感じに仕上がっている。
「よーく見なさい。すぐに誰か分かるから」
「——あっ‼もしかして、オレの顔⁉」
「そう、正解」
なんとこの短時間でオレの自画像を描いてくれた。
眉毛の形や目の大きさ、少し跳ねた髪型など細かい部位まで忠実に表現されている。とてもじゃないが、小学生が描いた絵には見えない傑作だ。
「けっこう雑に描いちゃったけど……、どう?」
「うんうん‼チョー上手い。チョー嬉しい‼ほんとありがとう‼ずっと大切にするね‼」
「あっ、これ貰うんだ……」
勝手にオレへのプレゼントと解釈し、上機嫌に受け取ってしまった。
一途は別にプレゼントする気はなかったようだが、オレの浮かれた様子を見て快く渡してくれた。
「次はアンタの見せて」
「うん。でも、ちょうど一途ちゃんと被っちゃったな……」
そう言って自分が描いた絵を一途へ渡す。
「あの~、ええっと、これは……?」
「一途ちゃんの顔」
「私の……かお……?」
ほんと偶然だった。
オレも一途の自画像を描いていた。しかも真剣に絵を描いている最中のワンシーン。
出来栄えは一途と比べてかなり劣るが、自分の中では傑作だと思う。
しかし一途はオレの絵を凝視したまま固まってしまった。
「どう?上手かな?」
「上手か下手かで言ったら、フツーに下手。素人が十秒で描いたアスキーアートみたい」
「えぇ~」
「でも、ちゃんと想いは詰まってる」
「おもい……?」
作品の講評は願ったものではなかったが、厳しい言葉を吐くわりには表情はどこか柔らかい。特に嫌がる訳でもなく、好意的に絵を受け取ってくれた。
「ありがと。これ貰うね」
「う、うん……。ほんとにそれでいいの?」
「アンタが良いって思うなら外野がつべこべ文句を言う資格はない。自分で納得いく作品ができたのなら、それは全て傑作だよ」
最後に「極論だけどね」とにこやかに笑う。
この時、初めて見た素の笑顔。
当時はまだ幼くて彼女が言ったことはイマイチ理解できなかったが、その笑顔を見た瞬間心が大きく揺れ動いた。
一発の破壊力が凄まじい。普段大人びた態度を取り続ける彼女が突然、年相応の女の子に戻りドギマギする。
「ゴ、ゴメン‼なんか用事思い出しから帰る‼」
オレは無性に恥ずかしくなり、急にこの場から離れたくなる。
ランドセルを拾い上げ、そそくさと脱兎のごとく部屋から逃げ出した。
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