第3話

「手離して。痛い」

「あっ、ごめん……」


一途は乱暴にオレの手を振り解き、小さく溜息をついた。

正面に向き直り、整った顔をこちらに見せる。


「ひ、久しぶり。まさか、こんな所でアンタと会うとはね」

「それはこっちのセリフだ。お前がこの大学に通ってるなんて全く知らなかったぞ」

「そりゃそうでしょ。誰にも言ってないもん」


このまま立ち話もなんだからと近くのベンチに腰を下ろす。

こうやって隣同士で座るのは四年ぶりだ。当時と比べて少し二人の間に距離はあるが。


「今、何回生?」

「三回生。多分、アンタの一個下」

「一浪したんだ」

「まぁね。ほんとは大学なんて行く気なかったけど」


母親に強く勧められ嫌々、大学受験に挑戦したらしい。さほど勉強はしてなかったが、地頭の良さでうっかり受かっちゃったとか。

羨ましい。


「この後、講義あんの?」

「いいや、2限目でもう終わった。このまま直で家に帰るつもり。アンタは?」

「講義はないけど、直ちに履歴書を書かないといけない」

「ああ、もう就活生か。時が経つのが早いね。感覚的につい此間まで高校生なのに」

「そうだな。オレは高校でずっと止まってるよ」


あれから暫く年数が経ったのに高校時代の記憶が真新しい。行事や授業中で起こった些細な事件が度々、解像度の高い映像として頭の中で流れる。逆に直近の記憶が錆びついて思い出せないまである。


「俺たちが別れたあの日もつい最近のように感じる」

「——っ⁉」


オレの何気なく発した一言が癇に障ってましたようだ。

口元を抑えて視線を逸らし、小動物のように背中を震わす。


「――当然、私のこと恨んでるよね?」

「え?」

「私のこと嫌いだよね?もう会いたくなかったよね?殺したいほど憎いよね?」

「いや、そこまでは……」

「やめて、否定しないで‼」


また変なスイッチが入ってしまった。

自分の髪をグシャグシャに搔きむしり、派手に取り乱す。

昔からそうだが一度、感情が高ぶると人の声が聞こえなくなり、こうやって癇癪を起してしまう。他人を傷つけるような真似はしないが、自分を極端に追い込んで病んでしまう。少し面倒くさい性分だ。


「どうして、私なんかを呼び止めたの?どうして、そうやって普通に私と話せてるの?」

「それは単純にお前と話したくなったから」

「昔のこと問い詰めるため?」

「ちがう、ちがう。純粋に会話したかっただけだから‼」

「手の込んだ復讐とか⁉」

「ちょっと勘繰り過ぎ。オレがそんなことするヤツに見えるか?」

「わからない。しそうで怖い」

「まったく心外だな。オレ達は元恋人以前に幼馴染だろ?お互いのことはよく知ってるはずだ」

「——」


一途はバツが悪そうに自分の足元を睨みつける。オレと全く顔を合わせようとしない。何回も視線が合いそうになったがすぐ逸らされてしまう。


「アンタは気まずくないの?浮気した元カノと一緒にいて」

「別に。もう終わったことだし、ネチネチ引き摺らない」

「そ、そうなんだ……。意外とアッサリしてるんだね」

「あくまでオレ個人の意見だけど、案外フラれたヤツってそこまでショック受けないんだろうな」

「多分、そう言えるのはアンタだけだと思う」

「マジか?じゃあ、オレって実は鋼のメンタル?」

「さあ、知らない」

「ちなみにお前はオレと一緒にいて気まずいのか?」

「うん。めっちゃ気まずい。今すぐ逃げ出したいぐらいに」

「なんかゴメン……」

「アンタが謝んないで。余計に気まずくなって死にたくなるから」


「気まずい、気まずい」と連呼しているが、会話が途切れることはない。それなりに盛り上がり、オレは少しテンションが上がる。顔には出てないが。



「なんか高校の時よりも老けた?」

「なに突然?直球過ぎない?」

「いや、高校の頃と比べて陰気臭が凄いというか、この世の全てに絶望してる雰囲気醸し出してるし」


驚くほど精気が無く、完全に表情が死んでる。自分でも洗面台の鏡で顔を確認する時、たまに恐怖を覚える。


「感情が死んでて能面みたい」

「久しぶりなのに結構言うね」


良かった。なんでもズバズバ言っちゃう癖は未だ健在のようだ。


「ちゃんとご飯食べてんの?」

「不健康から来る顔色の悪さじゃないと思う。ただひたすら人生が退屈で絶望感に浸ってるだけ」

「ゴ、ゴメン……」

「なんかさっきから謝る回数多くない?そんなキャラだったっけ?」


彼女は初めて出会った頃からクールキャラだった。

基本的に何をしても表情筋がピクリともしない。それこそ能面みたいなヤツ。

この世にある物全て恨んでいるような鋭い目つきで憂鬱そうにボーっと虚空を見詰めていることが多かった。


「別に今も昔も大してキャラ変わんなくない?」

「いいや。お前はそこまで口数多くなかったし、ここまで会話が盛り上がることなんて一度もなかった」

「そ、それはゴメン……」

「そう。そんな感じで申し訳なさそうに謝ることもしなかった。あの頃はもっと堂々としてた!」

「いや、浮気してた身で今も堂々としてたらヤバい奴でしょ⁉」

「えっ……。そもそも浮気した時点でヤバい奴なのでは?」

「そうだった、ゴメン。私、とっくの昔からヤバい奴だったわ」


今の一途はなんとなく雰囲気が柔らかくなった。声色に抑揚があり、心の機微が読み取りやすい。高校の頃まで分かりにくかった感情の起伏がこの短い会話の中で何度も見受けられた。

背中を丸め、あからさまに落ち込んだ表情を見せてくれる。


「そういや、あの彼氏さんとはまだ付き合ってんの?」

「ううん。全然付き合ってない。最後に会ったのが遠い昔過ぎてもう顔も声も忘れた」

「ドライだな」

「未成年の恋愛なんてだいたいそんなもんでしょ。アンタも私に浮気されてフラれたくせにこうやって平然と喋ってんじゃん。心がドライじゃなきゃ普通有り得ないっしょ」

「なるほど。じゃあ、俺たちの恋人関係も長く続いてはいたけど、所詮その辺の有象無象の学生カップルとなんら変わらなかったと?」

「さあね。アンタがそう思うならそうなんじゃないの?私は知らない……」


そう言って少し寂しそうにそっぽを向く。その姿がなんだか拗ねた子供のように見えた。


「今日、この後時間空いてる?」

「空いてるけどなに?」

「良かったらオレの家に来ない?」


彼女の顔を見ていると急に誘いたくなった。もっと一緒にいて話したいと思ってしまった。

一途は酷く驚いた様子で呆然とオレの顔を見詰める。空いた口が塞がらない。


「――アンタ、マジで頭おかしいでしょ?」

「至って正常だが?」


オレがとぼけた顔で首を傾げると一途は眉間を抑え、所帯じみた唸り声を上げる。


「行かない。断る」

「ごめん。用事あった?」

「特に大した用事はないけど、行かない」

「なんで?」

「元カレの家に上がりたくない」

「オレ達は元カレ云々以前に幼馴染だろ?」

「その幼馴染が未だに通用すると思わないで」


一途はベンチから立ち上がり、オレに背を向ける。かなりイライラしているようだ。


「オレのことキライか?」

「別にキライじゃない。ただ死ぬ程気まずいだけ」

「そんなに気まずいんなら過去のことは一旦、水に流そう」

「は?それ正気?」

「めっちゃ正気」


ハッキリ言って彼女の浮気について恨んだり怒ったりしていない。なんなら、後悔のあまり自分を責めてるぐらいだ。


「会社の面接練習に付き合って欲しい」

「ヤダ。私、新卒の就活事情とか全然知らないし、他の友達頼めば?それか大学のキャリアセンターに行けば?」

「いいや。オレにはそもそも友達いないし、キャリアセンターの職員さんに嫌われてるから無理」

「そんな堂々と悲しいこと言うな」


一向に履歴書を真面目に書こうとしないため、キャリアセンターの職員さん達の対応が冷たい。最近はいつでも出禁と言いそうな殺気を静かに漂わせている。


「わかった、わかった。今日だけ特別にアンタん家に行ってやる!今日だけだよ」

「おお。神様、仏様‼やっと顔見知りの人と喋れる‼」

「すげえ無邪気に喜ぶじゃん。なんか照れるわ……」


オレのガッツポーズを目の前に一途はほんのり赤く染まった頬を掻く。久しぶりに彼女の照れ顔を拝めた。


「家に行く前に一応、お母さんに連絡しとくわ」

「おう」


一途は首からぶら下げていたスマホを手際よく操作。

母親との会話を聞かれるのが恥ずかしいのか、オレから少し距離を取ってブツブツ小さな声で通話し始めた。今更、気にすることかよ。

ちなみに彼女の母親とは面識がある。

ネオンに包まれた歓楽街を華やかに艶めかしく舞う“夜の蝶”として何人ものサラリーマンを虜にしたとかなんとか。巧みな話術と豊富な知識、均整のとれたナイスバディで大人の色香をばら撒いていた。娘と同じく突出した美貌の持ち主だが、タイプはまるで違う。いつ見てもニコニコしていてとにかく明るい人だった。また会いたいな……。


「——今日はちゃんと家で大人しくといて。昨日の残り冷蔵庫に入ってるからくれぐれも勝手に料理しないように。絶対に、絶対にだよ‼」


一途はスマホに向かって声を少し荒げ、そう念押しする。

確か彼女の母親はかなり手先が器用だったはず。特に昔、作ってもらったオムライスやハンバーグは口に入れた瞬間舌でとろけるほど絶品だった。


「夜にはそっちに戻るから。じゃあ」


半ば一方的に通話を切ってしまった。話の内容はあまり聞こえなかったが、そことはとなく不安や焦燥感が伝わってきた。

一途は再びオレの方へ近づき、ムスッとした顔で睨んできた。


「アンタの家ってこの近く?」

「うん。歩いて五分ぐらい」

「今すぐ連れていって」

「言われなくてもそのつもりだが」


通話前と比べて何故かピリピリしている。

家に歩いて向かっている間、ずっと眉間にシワを作ったまま激情を押し殺すように口を一文字に結んでいた。





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