ブルース
お餅。
ブルース
流れ着いた貧しい町で、俺はギターを引っ提げて一儲けするつもりだった。
だが天候に見放されたらしい。この雨じゃ、誰も出歩いていやしない。じめじめした無人駅のベンチに腰掛ける。ギターが錆び付いてしまいそうだ。
電車が通るには通るが、乗客は少ないしみんなイライラしている。まともに聞いてはもらえないだろう。それどころか八つ当たりを受けるかもしれない。以前にも、「おい若えの。うるせえんだよ」と言ってギターを蹴り上げられたことがあった。それは見事に俺の顎に命中した。連中、みんな嫌な顔で笑っていたっけ。
電車が目の前で止まった。乗客たちが降りてきて、傘の雫が、通り過ぎざまに俺の服にかかる。ギターを構えて歌ってはみたが、聞いたり立ち止まる者はいない。みな、早く帰りたいんだろう。この調子でいけば今晩も宿無しだな。ふと目線を下げると、ベンチの影に小さな黄色い花が咲いていた。雨はますます強くなる。音はさることながら、視界がぼんやりとしていた。一人、嵐の中に放り出されたみたいだ。
仕方がないのでブルースを弾くことにした。これは俺の癖のような者だった。もう何百回も鳴らした音を指で辿っていく。声を乗せる。雨のせいで微かにしか聞こえないものの、いくらか気分はマシになる。
歌詞は、非力な自分を社会のせいにしているものばかりだ。酔うわけじゃないが、こういう歌を歌っていると居心地はいい。
「悲しいうたね」
俺はびっくりして顔を上げた。すぐ耳元で声がしたのだ。見ると、黒髪の少女がいた。猫のように大きな目が2つ並んでいる。いつの間にか雨は、少女の声が聞こえるぐらいには落ち着いていた。
「お、お嬢ちゃん。客かい?聞くならここにコインを入れてもらおうかい」
ハットをベンチの上に置き、示した。少女は少し嫌な顔をする。気に障ったらしい。
「私は雨宿りしてるだけよ。聞く気はないわ」
と、優しそうな見かけに合わずピシャリと言った。
「そうかい」
俺は声を口の中で転がした。歌を再開する。少女の視線を感じながら。
「コインは払わないわよ?」
「知ってるさ、客じゃないんだろ」
「・・・じゃあなぜ、うたうの?」
少女の問いは、えらく本質的に思えた。
「歌いたいから」
まどろっこしくなってそれだけ返してから、ギターを一音ずつ鳴らした。
「・・・あきれた」
少女は眉を顰めて俺から目を離した。
犬っころは今夜も 一人ぼっちで
野原を行く 咲いた花にも
見てもらえないまま
歌にとびきりの寂しさを込める。すると子犬は、目を閉じた俺の奥で生き始める。ふと目を開けるとまだ少女が俺を見ている。段々、気になってくる。
「なあお嬢さん。やめてくれよ」
「どうして」
動物みたいに汚れのない瞳が俺を見ていると考えたら、いい気持ちはしなかった。どう言い表せばいいかわからないが、なんとなく、間違ってると言われてるような気になるのだ。
「雨宿りしてるだけなんだろ。客じゃないなら俺を見ないでくれないかな」
我ながら少し無理がある論理に、少女は案の定渋い顔をする。
「すぐ隣でうたっておいて、見ないでくれなんて、勝手よ。そんな・・・寂しいうた」
少女は空を見上げる。雨はまだ終わらない。
少しこの少女と話してみたくなった。もしかしたら俺と似てるんじゃないかと感じたのだ。横顔が眩しかった。
「お嬢さん、ブルースは嫌かい?」
静かに問いかけると少女は首を傾げた。ブルースという言葉を知らないらしい。
「ブルースってのは、人生さ」
俺はなんだか誇らしい気分になって、説明する。
「生きてることの証明さ。痛みなんだ」
ブルースはガキの頃から身近にあった。俺は捨てられていたオンボロギターを手に、人から人へと伝わる歌を、毎日繰り返し歌っていた。母親が出て行った日も、ひとりぼっちになった日も。
ブルースだけだった。
ずっと俺の側にいたのは。
俺はいつの間にか、この少女に、ブルースを好きになることを求めていたらしい。今度は愛する人との別れの歌を歌う。
もうどこにもいない あなたは消えてしまった
私をおいて 私の心を殺して
声で音の階段を駆け降りる。
「もうやめて」
すると、少女は立ち上がって叫んだ。
「もう聞きたくないの」
少女は自分の身を抱いていた。怯えさせてしまったのだろうか。俺は少女のかたい表情に申し訳なくなってきて、ギターを弾く手を止めた。
「・・・悪かったよ。聞きたくもないのに聞かせちまって」
俺はハットを髪に押し付けて立った。なんとなく惨めな気になって、ここから出ていこうと思った。
「ブルースというのが嫌なんじゃないの」
すると少女はまるで俺をひきとめるみたいに囁いた。声が雨の湿気で濡れていた。
「あなたって、痛々しいのよ」
清らかな目が合った。どういうことなのかわからなくて何も言えないでいると、少女は戸惑ったように額を抑えた。
「まるで捨てられた子犬みたいで。見てると、その・・・なんていうか・・・!」
びっくりした。少女の、苦しさに必死で耐えている顔に。彼女は俺の腕をとった。支えていたギターが危うく落ちそうになる。電流が走ったみたいで動けない。
「ああもう、うまく言えないわ」
少女は言葉を諦めたらしく、苦しさの末に、少し顔を赤らめてにっかりとした。上品な姿だが笑うと活発な印象になる。不思議な人だと思った。
ぎゅ、と指を握られる。
あなたみたいな子犬、拾って帰って、いっぱいご飯をあげて、お風呂に入れて、あったかい布団でぐっすり眠らせてあげたくなるの。
少女はものすごい早口で。一息でそう言った。
「・・・え」
初めて、言われた。というか、何を言われてるんだかわからなかった。
「・・・俺のこと子犬だと思ってんの?」
「た、例えの話よ」
自分が変なことを言っているという自覚があるらしく、少女は困った顔をした。でも目だけは逸らそうとしないのだ。まるで俺を、捨てないと伝えているみたいだと思った。
「くふ・・・っ」
いつの間にか笑いが込み上げてきた。俺の顔をした子犬が、この少女に寝かしつけてもらっているところを想像すると、もうだめだった。似合わなさすぎる。どこかの金持ちの犬ならまだしも、俺って。
少女は大笑いする俺を、じとっと見つめている。無表情だが耳の先が赤い。
「あんた、面白いな」
お嬢さんと呼ぶには面白すぎるこの少女のことが、俺は段々好きになってきた。もうじき雨は止んでしまうだろうか。
「・・・そんなに笑うならもっとはっきりと言ってあげるわよ」
少女は俺の肩をガシリとつかんで言った。
「あなたを守りたいのッ!」
そのプロポーズみたいな言葉は俺の腹筋を崩壊させるには十分だった。
「ぎゃははは!」
「なんで笑うのよ!」
頭をこづかれる。
こういう痛みなら、悪くなかった。
ブルース お餅。 @omotimotiti
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