第22話 後悔はさせませんわ!

 

「……それがどうした。今まで放っておいたのは事実だろうが」

 ウォルフガングは、既に失った者だ。

 アーシャの言葉が響かないのは、理解できる。

 けれど。

「そうですわね。ですから、これからは放っておかないという話をしているのですわ!」

「今更遅ぇんだよ! アーシャ。テメェを殺せば、皇帝が俺と同じ痛みを感じるんだろ?」

 彼が不穏な空気を纏うのに、アーシャは目を細める。

「くだらないですわね」

「何だと?」

「自分と同じ痛みを他人に味わわせれば、貴方はそれで満足なんですの? 志が低すぎてお話になりませんわ!」

 パン、と扇を広げたアーシャは、口元を隠して顎を上げる。

 ウォルフガングを、見下すように。

「失ったものしか見えないのでしたら、生き恥を晒さず、今すぐに亡くなられたご令嬢の後を追えば宜しいですわ。わたくしはこれから、貴方のような思いをする者を増やさぬ為に、この命を費やしますの。命の価値にあえて・・・・・・・・優劣をつける・・・・・・のなら・・・

 アーシャは、わざと悪し様な物言いをした。

「失われたご令嬢の命よりも、他者を傷つけることを望む貴方よりも、わたくしの命の方が、よほど未来に対して価値がありますわ」

「テメェ……ッ!」

 ウォルフガングが、全身から怒気を立ち上らせて、アーシャに向かって踏み込もうと地面を蹴ろうとしたところで。


「―――言ったぞ、ウォルフッ!」


 その横腹を、シャレイドが蹴り付けて吹き飛ばした。

「ガッ……ァ……!」

「話をする気がねぇなら、引っ込んでろってなッ!」

 そして、地面に転がって呻くウォルフガングから目を離したシャレイドは、アーシャに向き直る。

「が、アーシャッ! お前の答え次第では、俺もお前を殺す側に回る事になるぜッ!?」

「何なりと、お答えいたしますわよ」

「志はご立派なようだが、俺らにそれを信じる価値を示せるのか!? もし示せないなら、俺はお前の身柄を縦に、皇帝に身代金でも要求してみることにするが!?」

 アーシャは、呆れてため息を吐いた。

「シャレイド、貴方、〝獣の民〟を滅ぼしたいんですの?」

「どういう意味だ?」

「結局、貴方がたは陛下の御心を何も理解していないのですわ。この平原に住む者達くらい、陛下であればお一人で滅ぼすことも可能ですし、併呑するのも容易いんですのよ。あなた方は、ただ見逃されているに過ぎませんわ」

「ざれ……ごとを……!」

 転がったウォルフガングが燃えるような瞳を向けるのに、アーシャは冷たく視線を向ける。

「戯言? ただの事実ですわ。シャレイド。貴方、数年前にダンヴァロが住んでいた西の男爵領が、一夜で滅んだ件をご存知?」

「……西でも、特に獣人差別が酷かったところ、だからな……ここでもだいぶ話題にゃなったが……それが、どうした……」

「あれは、陛下がお一人で成されたことですのよ」

 アーシャの言葉に、シャレイドがピクリと眉を動かす。

 ダンヴァロから元々住んでいた場所のことを聞いた時、聞き覚えがある気がしていたのだ。

 そして思い出した。

「彼の地は、獣人を不当に働かせ、皇国法に反する重税を課していたことを理由に罰され、不徳の地として滅ぼされた……と、されていますけれど」

 その真意を、アーシャはもう気づいている。


「彼の地に住んでいた獣人は、誰一人として・・・・・・死んでおりませんの・・・・・・・・


「あ?」

 おそらくきっかけは、ダンヴァロのことだったのだと思う。

 アーシャに、魔剣銃を与える為に探した腕の良い職人。

 彼の妻……ベルビーニの母は、過酷な労働から逃げ出した別の獣人を庇って、殺されてしまったのだと聞いた。

 ダンヴァロは、ベルビーニがいたから、妻を殺されても歯向かうことが出来なかったのだろう。

 だから、陛下は。

「残らず生きておりますのよ。獣人と、獣人に味方していた人々だけが。それ以外の全てが、陛下の御手によって土へと還ったのです」

 ねぇ、とアーシャは首を傾げる。

 陛下のなさることは、アーシャは皇宮の図書館で記録を閲覧し、詳細にその中身を勉強している。

 どういう意図で陛下が選別をなさったのか、生き残った者の一覧と調書を見れば理解できた。

「滅びた領地の男爵は、西の大公の子飼いだったそうですの。汚いことをさせる為の手駒だったのですよ。陛下は獣人を救い、西が力を蓄えるのをお防ぎになられたのでしょう」

 あの件以降、西はさらに動きが大人しくなったように思う。


「ねぇウォルフ。これが陛下のお慈悲でなくて、一体何なのですの?」


 彼の身に起こった悲劇は、本人にとっては決して小さいものではないだろう。

 しかし、陛下が何もなさっておられないという認識そのものは、誤りであると必ず認めさせる。

「自分を助けなかったから、何もしていない、クズも同然だと言うのなら。幼馴染みだというご令嬢を救えず、復讐して逃げただけの貴方も同じように……いえ、生きている間に何も出来なかった分、『貴方の思う陛下』以下のクズですわ。そうではなくて?」

「……っ!!」

「わたくしはこれから、貴方の身に降りかかったような悲劇を減らすために、動きますわ。陛下と同じように」 

 扇を口元から離したアーシャは、次にシャレイドに嫣然と笑みを向ける。

「〝獣の民〟もまた、陛下によって……その『自由を望む』選択を尊重する意図を持って、捨て置かれていること。ご理解いただけたかしら?」

「アーシャ」

 見逃されている、という言葉に矜持を傷つけられたのか、シャレイドが低く呻く。

「もし仮に、そいつが本当だったとして、だ! たまたま気に入らねぇ奴を殺した時の、ただの気まぐれじゃなかった証明にゃならねぇぜッ!? 今をもってまだ、皇帝は大公どもを放置してんだからなッ!」

「シャレイド。……領王、というのがどういう存在か、貴方はご存知?」

 アーシャは彼の疑問に、他の皆にも講義するように、ぐるりと周りの人々を見回す。

「彼らは、元は一国の王でしたの。大半は、初代皇帝によって併呑された国々の王族ですわ。この中にも、領王によって虐げられた者達が多くいるのは存じておりますから、詳しく話しておきますけれど」

 扇を閉じて振りながら、アーシャは笑みを深める。

「皇国の法を守る限りに置いて、彼らには自領……つまり、元の国土を自治する権利が認められておりますの。皇国内での、武力による他領への侵攻禁止や、納税など。そうした決まりを守り義務を果たすことによって、ですわ。そして皇国の外に対する侵攻や開拓は、陛下の許可が下りなければ認められません」

 それが、どういう意味かというと。

「逆に、法を守る限りにおいては、陛下側から不当に罰することも出来ない、ということなのですわ。陛下ご自身が法を守らなければ、他の者に守らせることなど到底出来ないでしょう?」

 法ある限り。

 皇帝陛下とて、無法なことは出来ないのだ。

「いかに強大な力があろうとも、罪なき者を罰することは出来ないのですわ! ウォルフ、貴方が気に入らないというだけの理由で村の者を殺せぬのと、それは同じこと」


 南や西の大公は、皇帝に処罰されるほどの表立った失態を犯していない。


「そして陛下の御心と大公らの振る舞いに関係がないことは、この地が存在し続けていることが証明しておりますのよ!」

 その証拠に、とアーシャは周りを……『魔性の平原』そのものを、両手で示す。

「村長様。陛下が御即位なされてから、この平原が皇国を挙げて侵攻されたことが、ありまして?」

 斥候は西や南から来ているだろうけれど、大きな衝突自体は起こっていない筈だ。

 シャレイドは、アーシャの言葉に嫌そうに頷く。

「確かに、最近は賊や魔獣の襲撃ばっかで、軍が攻めてきたって話は聞かねぇが、それがどうしたってんだッ!?」

「賊の裏に大公がいないとは言い切れないのですけれど、必要なのは、ここを攻めない陛下の御心の有り様を、皆様が理解することですわ!」

 陛下が、アーシャの選択をなぜ尊重してくれるのか。

「『誰もが、己の選択により生きることの出来る国』を、陛下は望んでおられるのですわ! ですからこの平原も、その『自由に生きる』ことの出来る場所として、陛下は留め置かれているのです!」

 皇国の支配を望まない者のことまでも、陛下は理解しておられるのだ。

「そしてその御心に沿っているわたくしの行動は、今まで皆様のご覧になった通りですわ。例えばですけれど、わたくしが来てから、ベルビーニや、他の弱き人々が『大岩の森』に赴いたことがありまして?」

 それに対する返事はない。

 もちろん、そんなことをしなければならない状況そのものが、起こっていないからだ。

「食料の足りなさに飢えて苦しんだことはあって? 資材が足りなくて、困ったことは? それが起こらないようにすること、共に在る者に分け与えることが出来る能力を『治世の才』と呼ぶのですわ! ですが、その手を取らぬ者に対しては、何も与えられはしないのです!」

 アーシャは、転がったウォルフガングに向けて手を差し出す。

 彼は、その手を払って、脇腹を押さえながら立ち上がり、吼えた。

「皇帝に、本当にそれだけの力があるならッ……部下の手綱一つ握れねぇこと自体が、怠慢じゃねぇのか!」

「では、お聞きしますわ。ウォルフは、西や南をなんとかしてやるから従え、と陛下が御手を差し伸べられたら、その手を取りますの?」

 アーシャは、ウォルフガングにたった今払われた右手をヒラヒラと振る。

「今、村の為に尽力したわたくしの手を、出自と立場だけを理由に、振り払った貴方が?」

「ぐ……っ、取らなくて当然だろうが! 俺はもう、皇帝の民なんかじゃねぇ!」

「北と東は、前大公が沈んだ後、民草のために陛下の御手に頼り、陛下はそれに答えられましたわ。そして西と南は振り払った。そもそも、大公や領王に自治を認めたのは初代皇帝陛下であり、現帝陛下ではございませんわ」

「詭弁だろうが!」

「事実ですわ。戯言だの詭弁だのと、自分が信じたくないことを勝手な理屈で否定するのは、おやめなさいな。愚物に成り下がりますわよ!」

 それぞれが『選んだ』のですわ、と。

 アーシャは、ウォルフガングの目を真っ直ぐに覗き込む。

「北と東の今代大公は、苦しんでおりました。北は豊富な鉱物資源があれど、大半の財貨を、厳しい冬を凌ぐ資源とせざるを得なかった。東は、作物が豊かに実る土地でしたが、作物を蝕む病が広がっていたのですわ」

 前大公らは、それを放置した。

 税額は変えず、状況改善もせず、他から奪うことをよしとし、民の苦しみを捨て置いた。

「陛下は刃向かった前大公を処刑した後、恭順を示した北の現大公に、技術を与えましたわ。魔鉱石の加工によって地熱から暖を取る方法と技術を。結果、どうなったか」

 冬場、家の中を温める大量の木やそれを伐採する重労働から解放され。

 陛下に与えられた魔石加工の技術を独占して他所と取引をすることで、工業と民の暮らしを飛躍的に向上させた。

「麦の病に苦しんでいる民を見かねた東の現大公も、同様ですわ。税を下げさせる代わりに、病の解明や、しばらくの間の支援を行った。……現在、皇都は東から安く小麦を仕入れております。しかし民も東の大公も、豊かになりましたわ。ウォルフ、何故だと思われまして?」

「……知るかよ。ウルセェな、俺が何も知らねぇのが、そんなに面白ぇかよ!」

 彼の目は、陛下の功績を聞いて揺らいでいた。

 自分には関係ない、という気持ちがありながらも。

 本来誠実で商売に通じている人物である彼は、その陛下の功績の偉大さを、話に聞くだけで理解しているのだ。

「東の地において陛下は、土を肥やす魔術を広く民に伝授し、麦の病に効く農薬の作り方を教えたのですわ。そして、収穫量は倍になった」

 八割の値で卸しても、税が軽くなっても、今までに釣りが来るほどの収入が、今の東の大公や民にはあるのだ。

「西と南は、陛下の御手を取らなかった。……陛下に、差し伸べる気がないのではありませんわ。差し伸べられたとて払いのけているのです。己が権を守る為に生きるとは、そういう事ですわ」

 シャレイドは嘴の下にある羽毛を撫でて、何事か考えている。

 彼は大雑把で面倒くさがりだが、決して考えることが苦手なわけではないのだろう。

 強さが重要な〝獣の民〟とはいえ、それだけの男に務まるほど、村長の立場は軽くはないのだ。

「西や南の大公とあなた方がやっていることに、なんら変わりはございませんのよ。ウォルフ」

「……あんな連中と俺らを……俺を、一緒にするな……」

 ウォルフガングの瞳に憎悪は宿れど、声にもう、力はなかった。

「己の信じる『自由』を守りたいという一点においては、同じですわ。悪いと言っているわけではありません。ですが、わたくしや陛下にとって、あなた方の自由は許されて良いもので、西や南の大公の自由は、わたくしどもにとっても許されてはならぬ・・・・・・・・もの、なのです」

 アーシャは扇を仕舞い、両手で、脇に差した双翼の魔剣銃を引き抜く。

「ですから、わたくしが来たのですわ! よく、ご覧なさい。そしてわたくしの姿と、行動こそが、陛下の御心であることを、存分に理解なさいな!」

 胸元に下げたネックレスに魔力を探し込んで、アーシャはそれを起動する。

 赤い光が渦を巻き、アーシャの薄汚れた外套が、旅装が、変化していく。

 身に纏うのは、赤いドレス。

 両手に持つのは、竜の翼にも似た二丁の銃。

 誇り高き火傷の痕を顔に刻み、誇り高く在らんと願うアーシャの、本来の色を取り戻したブロンドは、縦ロールに巻かれ。

 その瞳の色は、左目は鮮やかな碧眼。

 右目は、陛下と同じ漆のような黒色。

 変化したアーシャの姿に、驚きを見せたのは〝獣の民〟と私兵団の面々。

 驚いていないのは、本来の姿を知っている、ベリアとナバダだ。

「西と南が、陛下の御手を取らぬのなら。別の誰かが、その御心を民草に届かせる為に動かねばなりませんのよ! それがわたくしですの!」

 両手に魔剣銃を握ったまま、アーシャは聞き入る者達に向かって、完璧な淑女の微笑みを浮かべて見せる。

「わたくしは、あなた方の自由を侵害致しまして? 傘下に降れと強要致しまして? わたくし自身の身をもって、陛下の御心の有り様を示してきたつもりですわ!」


 ―――『誰もが自由に、生き方を選べる世を』。


「わたくしはその言葉に恥じる行いを、一つでも致しまして!?」

 右手の魔剣銃の背で、アーシャはトントンと心臓を叩く。

 そう投げかけられたシャレイドはしばらく黙った後、首を小さく横に振る。

「……いいや」

「皆様自身が、その目で見て、その頭で考え、そしてその心で、理解なさい! 西と南が陛下の御心に沿わぬのなら、わたくしが地の底に降しますわ! そして大公らがあなた方の自由を侵害するのなら、共に引き摺り下ろす決断をするのは、あなた方自身でしてよ!」

 心臓を叩いた右手の銃口と銃剣の先を、アーシャは騎士が剣に誓いを立てるように真っ直ぐ天に向け、振り下ろした。

「自らの願いは、行動で示すのですわ! 自由に生きるとは、そういうことではなくって!?」

 ウォルフガングを見ると、彼はこの後に及んでまだ、呻いて反抗する。

「……西や南の大公の自由を、お前が奪うことは、そのご大層な理想とやらに反してるんじゃねぇのか?」

「あら。それぞれが選んだ・・・結果ぶつかるのなら、叩き潰して当然ではなくって?」

 アーシャは、彼の言葉に冷たくわらう。


「結果に責任を負うこと。それが、〝選ぶ〟ということですわ!」


 西や南の大公が選んだ先に待っているのが『破滅』だったところで、陛下も、そしてアーシャも知ったことではない。

 嫌なら、陛下が手を差し伸べている時に、手を取る選択をすれば良かっただけなのだから。

「そして陛下は、『選ぶ自由』を保証なさっているだけ。その先に配慮して差し上げる必要は、ございませんわ! ですから、恨みで濁るのではなく、これから未来に起こる悲劇を減らす為に。わたくしに協力・・なさいな、ウォルフ!」

 アーシャは堂々と胸を張り、左手の魔剣銃を握ったまま、拳を突き出す。

「わたくしは、〝鉄血の乙女アイアンメイデン〟アーシャ・リボルヴァ! リボルヴァ公爵家の長女にして、陛下の横に並び立つ女でしてよ!」


 ―――ついてきて、後悔はさせませんわ!


 そんな気持ちを込めて、ウォルフガングの選択を促すと。

 彼はしばらく口を引き結んだ後に、ぶっちょ面のままノロノロと拳を上げて……。

 ゴン、とアーシャの突き出した拳に、軽く叩きつけた。

 そして、ボソリと謝った。


「……悪かったよ」

 

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