第14話 本当に冤罪なんです!!

「レイさん、こんにちは!」


 干し終わった洗濯物を籠いっぱいに抱えて和館に戻ろうとする最中、澄まし顔で散歩するレイとすれ違う。蒼葉の挨拶は完全に無視された。


「わっ!!」


 嫌な予感がした次の瞬間、蒼葉は何もないはずの場所で何かに躓き、前のめりに倒れ込む。

 その拍子に吹き飛んだ籠は洗濯物を撒き散らしながら、草抜きをしたばかりの地面を転がっていった。


「ふん、鈍臭いわね。行雲様はこんな女のどこが良いのかしら」


 レイは紅茶色の髪の毛を手でばさりと払い、地面に跪く蒼葉を見下ろす。折角の可愛らしい顔は醜く歪んで台無しだ。


(こうも簡単に足を引っ掛けられるとは……私ってば確かに鈍臭い)


 蒼葉は小さな溜め息をつく。


 一緒に夕食をとった日から蒼葉はどうやら目の敵にされているらしい。

 行雲がレイの会話をばっさり断ち切ったにも拘らず、蒼葉には話しかけたことが気に食わなかったようだ。あれは偶然だと言っているのだが、彼女は聞く耳を持たなかった。


(ああ……また洗い直しだ……)


 憂鬱な気持ちで土に汚れた洗濯物を拾い集める。

 ただでさえ失敗することが多いのに、最近はレイに邪魔され、それによりお義母様に怒られるという負の連鎖が続いているのだ。


 昨日はレイがわざと床に紅茶をこぼしたことで時間内に掃除が終わらず、罰として残飯を食べるようお義母様に言われた。

 ――蒼葉にとってはそれでもご馳走だったのだが、残念ながら夏帆に止められてしまった。


 一昨日に至っては庭掃除中、レイに池に突き落とされた。

 ――お義母様にひとしきり怒られた後、夏帆がこっそり風呂を準備してくれたので、ぬくぬくのんびりできて結果的には良かったのだが。


 お義母様はレイの暗躍に気づいておらず、いつも彼女の味方だ。もしかしたら、蒼葉を追い出そうとレイと結託しているのかもしれない。

 真実を告げても「言い訳無用」と怒られ、いつも決まって蒼葉が悪者にされるのだった。


 今日もまた「洗濯物はどうした」と怒られるのだろうと思いながら、蒼葉は井戸へ行き、汚れた衣服を洗い直す。


(ふぅ。一度綺麗に洗ったんだから、ざっとで良いよね)


 このくらいで良いかと一息ついていると、和館に向かって庭を歩く人影が見えた。

 行雲だ。蒼葉は言いそびれていたお礼を言おうと、仕事を放って駆け寄る。


「旦那様、お帰りなさい! 今日は早いですね」


 行雲は無表情のまま蒼葉の背後にある洗濯板とたらいに目をやり、問いかけた。


「……今から洗って乾くのか?」

「あ」


 さあっと血の気が失せる。

 乾くわけがない。日は傾き、これから夜が訪れるのだから。


 しかしながら、洗濯物を地面に落とした時点でお義母様に怒られることは確定している。

 今から明日の昼まで干しておけば乾くだろう。大きな問題ではないと自分に言い聞かせた。


「洗濯など、使用人に任せておけば良いだろう」


 行雲は淡々と言う。彼の目はしゅっと切れ長で、軍人らしいピシッと雰囲気を纏っていることもあり一見怖いが、実は動物好きな優しい人であることを蒼葉は知っている。

 どんな態度をとられても、何を言われても怖くない。


「そうはいきません。立派なお嫁さんになるには必要なことですから頑張ります」


 蒼葉が笑顔で答えると、少しだけ行雲の顔色が曇った気がした。


「そんなに結婚したいのか」

「はい!」


 行雲には結婚の意思がないようだが、甘辛い卵焼きが上手に作れるようになれば、きっと彼の気も変わるだろう。


(目指せすろーらいふ!)


 蒼葉はまだ諦めていなかった。


◇◆◇


「ちょっと」


 腰に手をあてたレイが蒼葉の前に立ちふさがる。洗濯物をひっくり返された日の翌日、洋館の階段を上から下へと掃除している時のことだった。


「はい……何でしょう?」

「貴女、行雲様に私の悪口を吹き込んだでしょう!?」


 彼女は随分ご立腹のようだ。鼻息荒く、きんきん耳に響く声で青葉を責め立てる。


(はて、何のことやら)


 思い当たる節のない蒼葉は「そんなことしてませんよ」と答える。悪口を吹き込むことはおろか、レイを話題に上げたことすらない。


「昨晩言われたもの! 俺に構ってる暇があるなら蒼葉を手伝ったらどうだって。貴女が私のことを怠け者だとか言ったに違いないわ!」

「……それは、旦那様がただそう感じただけでは……」

「〜っ!!」


 事実その通りなのだろうが、レイの気に障ったらしい。彼女はその場で地団駄を踏むと、階段下に飾られていた高そうな花瓶を持ち上げる。


 華奢な彼女が持つには心許ない大きさの花瓶で、今にも落として割ってしまいそうだ。


「レイさん? 何をしているんですか?」

「こっちに来なさい、すぐに分かるわ」


 レイは花瓶を抱えたまま、和館の方に向かって歩く。踵の高い靴のせいで足元がおぼつかない様子を見て、蒼葉は慌てて階段を駆け下りた。


「レイさん、私が運びますよ」

「それでは意味がないわ。だってこうやって使うんですもの」


 和館の廊下にやって来たレイは愉しそうに言うと、不意に花瓶を投げ捨てた。


「あっ」


 がしゃん。


 床に落ちた花瓶は粉々に砕け散る。そして、レイは急に儚げで可愛らしい少女へと雰囲気を変えて言う。


「……ひどい。私に花瓶をぶつけようとするなんて」

「え? ええ?」


 花瓶を投げ割ったのはレイなのに、彼女は涙を滲ませ、怯えた様子で体を小刻みに震わせている。


(これは一体どういうこと!?)


 蒼葉が事態を呑み込む前に、奥のふすまががらりと開く。鬼婆――お義母様の登場だ。


「一体何の音だい?」

「私の存在が邪魔だって言って、この子が花瓶を投げつけてきたんです」


 レイが涙声で指差すと、お義母様の鋭い眼光が蒼葉を射抜く。


「ええ!? 今レイさんが自分で投げたじゃないですか!」

「何てことを!! 言い訳は聞きたくないといつも言っているだろう!!」

「お義母様、誤解です!!」


 今日もお義母様はレイの味方だ。怒りの鬼婆は蒼葉の主張を無視してずんずん近づいてくる。

 袴の襟を掴まれたと思ったら一瞬のうちに床に倒されていた。武術の達人なのだろうかと思うほど華麗な技である。

 

「今日という今日は我慢ならないね! 引きずってでも追い出してやる!!」


 お義母様の宣言通り、蒼葉は百鬼家の立派な門の外に捨てられた。『かふぇー』を摘み出された時と同じ事象だ。


(ついに追い出されてしまったみたい……?)


 あまりに急な出来事に、閉まる門の前で蒼葉はぽかんとすることしかできなかった。

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