推し以上になりたくて

小鳥 遊

推したい病のセンパイ

 異動先の先輩、原田はらだ 真奈まなさんは後輩である私、天井あまい 菜瑚なこにめっぽう甘い。というかデレデレしている。菜瑚と接する時だけ態度も違えばIQが下がる。


「先輩は後輩を、甘やかさなきゃダメなの」


「だからってずっと見つめないで!仕事してください…!」


 最初の1ヶ月くらいはその行動が本当に照れくさくて逃げ回っていた。他の先輩や上司は最初こそ声をかけてくれたが、皆が揃いも揃って「彼女の定期的にくる推したい病だ。まあ頑張って」と最終的に見放される。


 どうやら真奈センパイ独特のストレス解消法で、職場で推しを作り推し応援あまやかしをすることで自分のストレスを軽減していると聞いた。


 一時的なものだから大丈夫、そう聞いていたはずなのに、半年経った今も未だブームの熱は冷めていない。毎日のようにセンパイは私のもとへ来てくれる。


 しかし毎日のように降り注ぐ、可愛い、好き、いい子だねぇ、の甘やかしの嵐は日に日に私をダメにした。それはセンパイの甘やかしなしでは1日仕事が頑張れないところまで至っていた。


 普通ならば社会人らしく扱ってほしい、子供扱いするなと怒るところだろうが、子供の特権だと思っていた事柄を大人になってもしてくれる。それも家族でもない他人、ましてや職場の上司に甘やかされるという初めての感覚に完全に溺れていた。つまり底なし沼。


 それが日常化してしまい、いつしか私は真奈センパイを毛嫌いするどころか、憧れの人に昇格する。もうただの職場の先輩ではなくなっており、真奈センパイによって新たな扉を開かれた自覚はあった。


 そんなある日、たまたま誰もいない時間帯に事務所でセンパイがデスクでスマホに向かってボソボソと話している姿を見かける。他の人が来たら悪いと思っての小声であって、なんて気配りの出来る人なのだと、そのまま中には入らずドア越しで静かに見つめていた。


 あまりに真剣に見ていたので邪魔するのも悪いと思い声をかけずに自分のデスクに戻ったけれど、センパイと私のデスクは近い。ふと気になる言葉が聞こえてきた。


『はぁあかあいいなあ菜瑚ち…』

『頬張ってる顔も超絶癒しだし!!』

『眠そうにしてるのもたまんないなぁ!』


 真顔で私の写真を見ながら一人で会話?をしていたのだ。普通ならここで引くと思うけれど私はその逆で。これは話しかけるチャンス!行け、菜瑚…!奮い立たせてセンパイへと向かっていく。


「あ、あの!真奈センパイ…」

「へぁ?!な、ななんですか!?」


 センパイは慌ててスマホを仕舞おうとして手が滑り、画面はついたまま床へスマホは落下する。目の前に映っているのは見間違いじゃなく私の写真たち。そして目の前にはこの状況に青ざめているセンパイ。泣きそうな顔で逃げ出そうとするセンパイの手首を掴む。


「ひぇ、ま、ま、って、菜瑚!」

「待ちません」

「でも、ほら、顔近…い…」

「お話ししやすい距離ですね?」


 センパイは必死に目をつぶっている。どんな罵詈雑言ばりぞうごんが飛び出すだろうと怯えている。不安そうなセンパイを安心させるように、そっと手を重ねる。ひゃっ、と小さく声が聞こえた。


 狭い机の下にしゃがむと必然的に互いの顔が近い。心臓が口から出てしまいそうなほどドキドキしていた。もう言ってしまおうか。そう決心を固めたときだった。


『な、菜瑚…!今まで言えなかったけど…』


 目をつぶったまま重ねた手にギュッと力がこもる。


「こ、これは、推し活の一種といいますか…!」

「…はい。ほかの方から聞きました」

「マジか!恥ずかしいな…」


「あーー…菜瑚、ほんとかわい…」

「ちょ、何言って…」


 私に頭を少し傾けながらセンパイは目を閉じる。互いの距離が近すぎてまるで囁かれたような感覚に陥る。ふわっと優しく笑ったセンパイの瞳はキラキラしていて、本当に嬉しそうだ。


 さっきまで不安そうにしていたのが嘘みたい。本人を前に写真を指差しながら魅力を語り出している。


 一方私はというとぼうっとセンパイの笑顔を眺めてニコリとする余裕もなく、ギュッと手を握られながら泣きそうだった。狭い所で2人きり、いつもと違う空間と雰囲気は期待値を上げるには十分だった。それでもなんとか声を絞り出しセンパイへ問いかける。


「推し、なんですよね」

「あ、ごめん…迷惑だよね!」

「いえ、違うんです…嬉しくて。戸惑ってしまって」


 私は力なく笑顔を作る。困り顔ながらも伝えられて良かったと、安堵した様子だ。癒されていたのも束の間、落胆と羞恥の嵐。メンタルが限界を迎えていた。


「菜瑚…?引いちゃった…?」

「ツーショット!せっかくだし…撮りましょうよ!」


「え、」


 驚くセンパイから勢いよくスマホを奪いカメラアプリで何枚か撮影する。その間、目は合わせていない。撮影後、 サッとセンパイの元へ戻す。


「あとで送っておいてくださいではさようなら!」


 間髪入れずに言い切り、いよいよいたたまれなくなって勢いよく手を振り払う。そして机の下ということも忘れて立ち上がろうとするも、案の定思いきり頭をぶつけてよろけながらその場を去った。


 あくまで私はセンパイの推しで、好意の方向性が違う。自分の気持ちとは違うことを目の当たりして改めて壁の厚さを感じる。


「かわいい!」「すき!」「いい子いい子」


 センパイはきっと明日からも変わらずたくさん甘やかす。私がそれをいつまでも受け入れていたら何も進展はないだろう。


 ***


「センパイが悪いんだぁ…。毎日可愛いとか好きとか甘やかすから…っ!」


 気持ちをぶつける当てもなく家で1人、チューハイを開ける。完全なるヤケ酒だ。せめて推しじゃなくて友達として仲良くなりたい。酔っ払っているのか、もはや期待のハードルは下がりきっていた。


 結局至った結論は真奈センパイを遊びに誘うことだった。まずは友達として認識してもらうことが第一歩。徐々に距離を縮めることから始めようと決意する。まるで中学生の恋愛のようにスローペース。私の忍耐力も試されるけれど。


「すき、なっちゃった…」

「真奈さん…」


 呂律が回っていないなか呟いた言葉は相手には届かない。5缶めに突入しようかというところで、プツンと意識が途切れる。


 かくして推し以上友達未満の関係を脱することに決めた。これから毎晩のようにSNSを巡回し徹夜をして、翌日には真奈センパイに甘やかされるループが始まることを、眠りこけている私はまだ知らない。


【写真ありがと!!そして今日は驚かせてごめんね。本当に伝えたかったのは…】


 そして真奈センパイからのメッセージに気がつくのはもう少し先のこと。朝起きてとびきりの叫び声をあげることになる。


【今度、デートしませんか?】


 あぁ、もう!これからも真奈センパイしか勝たん!

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