柏駅のハルキシさん2

「そうかも。それって、私のせい? ……神くんは、その、おこがましい言い方だけど、私のことを応援してくれてるんだって思ってたから、私能天気にそれに甘えてて……」


「思ってたもなにも、応援してるぞ。……どうした?」


「神くん、ハルキシさんとはどういう関係なの?」


いつも大振りな神くんの動作が、心なしか固くなった。


「私の知ってる範囲だと、ハルキシさんと神くんて、あまり良好な関係じゃないでしょう? でも、ハルキシさんは、神くんのことを下の名前で呼んでたの」


最後にあった日の柏で、確かに、「瀬那と巳一郎」と言っていた。


「聞いてる限りでは、ハルキシさんと神くんの初対面の場に沖田くんが居合わせた時、少しかしこまって話した神くんに、ハルキシさんが変なしゃべり方だって言ったんだよね? ……前からの知り合いだったの?」


神くんが、指先で頬をかいた。


質問の形にはなったものの、反応をうかがいながら話すようなことはしたくなかったので、私の方がしゃべり続ける。


「私と一緒にハルキシさんのお店に行った時も、場所を知らないはずなのに、今思えば結構範囲を絞って、あっさり見つけてた。あの時は、凄いなとしか思わなかったけど……。その後、私を心配してくれて沖田くんと三人で合流した時も、勘がいいなって思ってた……でも、あのタイミングで三人揃うっていうのは、運がよすぎるなあって」


神くんが、深く息をついた。


「ああ。あの時の瀬那は本当に偶然に君を見つけたけど、おれはズルしたよ。ハルキシのスマホにアプリ入れて、GPSで場所分かるようにしてあったんだ。で、少し離れたところから、ずっと様子を見てた」


「スマホに……? それじゃ、かなりハルキシさんとは親しく……」


「おれはあいつの弟だ。疎遠ではあるんだが、別に仲が悪いわけじゃないから、用事があれば会える。あいつとの連絡も、まあ瀬那よりは取れる。住所なんかは知らねえけど、それでもスマホにいたずらするくらい余裕だ。まさか、あいつと瀬那がつながるとは思ってなかったから、知った時は仰天したけどな」


弟。


じゃあ、お兄さんのハルキシさんが、沖田くんになにをさせてるか知ったまま……


「言い訳にしかならんがな、おれなりになんとか瀬那に足を洗わせようとはしてたんだ。でも、ただやめろと言ってやめるなら苦労はねえよ、余計に意固地になるだけだ。あいつなりの目標があるならなおさらに」


「その目標のことは」


「……それがハルキシの手術代だって知った時は、本物のばかだと思ったよ。ハルキシともできるなら手を切らせたかったが、おれと瀬那が打ち解けたころは、あいつもうあっちの仕事にどっぷりだったからな。下手に小言を言えば、おれの方が切られかねない」


「そんなこと」


「あるさ。去年のあいつの目には、ハルキシしか映ってなかった」


沖田くんの言葉を思い出す。


――でも、出会いたいとは思ってた。誰かと――初めてハルキシに会った時、これがそうなんだろうなと思ったよ――


間近で見ていた神くんがそう思ったのなら、きっとその通りだったんだろう。


「私は、神くんほど勘がいいわけじゃないけど、一つだけ、思ったことがあるの。……訊いてもいい?」


神くんは、すっと目を細めた。口元はほんの少し笑っている。


「どうぞ」


「神くんは、沖田くんのことをとても大事にして、思いやってると思う。……それは、友達として?」


「というと、ほかになにが?」


「前、沖田くんに中庭でキスしてたのは、本当にふざけてのことだったの?」


神くんが視線を外した。


「おれは、ふざけて友達にそんなことをする人間に、」


「見えないよ。特に、沖田くんの仕事を知っていて、その上で大切に思っているなら。神くんは、そんなことしない」


再び目が合う。


「……そうだな。ふざけてキスなんかしない。友人なら、なおさらに」


神くんの体のこわばりが解けていく。


「まさかエリーに看破されて、おまけに白状させられるとは思わなかった。君、なかなかしたたかになったな。正妻の余裕か?」


いたずらっぽい神くんの視線から、今度は私の方が目を逸らす。


「ち、違うよ。ごめん、私も悩んだの。凄く悩んで……それでも、訊いた方がいいような、気がして」


涙腺が熱を持ってくる。ひどいことをした、という痛みが、目元を小さな針でつつくように集まってくる。でも、私が泣くわけにはいかない。


「いや、今のはおれの意地が悪かった。……なにか、心境の変化か?」


「ハルキシさんと、この前、最後に会った時――」


「おう?」


「――ハルキシさんの秘密を聞いたの。沖田くんには内緒で。どうして私に教えてくれたのかって訊いたら、この世に一人くらいは、沖田くんの周りで、本当のことを知ってる人がいてほしかったんだって。でないと、ハルキシさんがかわいそう過ぎるからって」


「それを自分で言えるのが、あいつの大したところだな……。ま、おれは縁遠き弟だからな。『本当のことを知っていてほしい人』にはエリーの方が選ばれたわけか」


「えっ!? い、いや、そんなことは」


「あるさ。あいつがなんて言ったかはしらんが、ハルキシはエリーに会いたくて、会いに来たんだよ。それに、あいつの意見はごもっともだ。瀬那の近くにいる誰かに、知っておいてほしいと、おれもそう思う。本人でも、無関係の他人でもない、……おれと瀬那の信頼してる人間に」


屋上に風が渡った。


にじんでしまった涙で、目元がひやりとする。


「おれはそうそう一途なたちじゃないから、すぐまた別の人間を好きになるだろう。それまでは、おれの気持ちを、エリーだけは知っておいてくれよ。おれの頭蓋骨の外でも、それを事実として知ってくれているやつがいたら、そうしたら、まるで、本当のことみたいだもんな」


「嘘なんかじゃない」


「ありがとうよ。しんどいだろ。ごめんな」


かぶりを振る。


涙は拭かなかった。


瞼を腫れさせずに、沖田くんに会いに行こう。


いくつかの内緒を抱えて。


それはガラスの膜でできた球のように、あまりに脆くて、今はまだ私が表に出していいものじゃない。


誰かを愛しく想うということは、その誰かの周りの人たちも守りたくなる、ということなのかもしれない。


言葉にすれば当たり前のようなことが、この時、ようやく私には理解できたようだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る