第一章・第一話 それは、前触れもなく

「俺達、別れよう」

 お互い、無事に大学四回生に進級した、四月の春の日。いつもの楽しいデートの終わり。美味しいコーヒーを、お気に入りのお洒落なカフェで向き合って飲んでいると、突然彼が、そんな事を言った。


「……え?」

 それを理解するのには、かなりかかった。

「今、なんて?」

 空耳であることを願って聞き返してみたのだけれど、やはり愛しの彼は、全ての世界線に散らばる無数の苦悩をかき集めたような、苦渋に満ちた顔で繰り返した。

「だから、俺達はもう、終わりにしよう。征美まさみ

「そっ……!?」


 正しく、絶句した。一体なぜ? 私のどこが悪いの!?

 せめて、理由が知りたかった。何も知らされないまま、

「終わりにしよう」

 と言われて、

「ああそう、じゃあさよなら」

 なんて気楽に言えない。

 けど、あまりの唐突さに、言葉を絞り出すには、やっぱり時間がかかった。

「どう、して……?」

 声が震えていた。なまじ思い当たる節がないだけに、できれば「冗談だよ」とか言って欲しかった。


 でも彼――武尊たけるは、今まで浮かべていた笑顔が、あたかも途方もない無茶振りだったかのように、疲れた様子で言った。

「征美、君は俺には、重すぎるんだ」


 彼の答えは、前衛芸術のように難解だった。

 と言うか、そんな事を急に言われても困るレベルだった。

「どこが、どう?」

 理不尽さに激昂してもおかしくないのだけれど、奇妙なまでに、淡々と言った。

「うん。たとえば……」


 それから武尊は、具体例を挙げてくれた。

 一つ目に曰く、束縛が強すぎること。武尊が自分以外の異性と話す。そこに何らの他意もないのに、逐一嫉妬すること。

 また、彼にLINEを送って、十分以内に返信がないぐらいで怒ること。


 二つ目に曰く、几帳面すぎて息苦しいこと。例えば、武尊がゴミをキチンと分別しないだけで、すぐに機嫌を悪くしてしまうこと。


 三つ目に曰く、気分屋に過ぎること。一例として、美術館へデートに行ったのに、途中で急に「やっぱり映画が観たい」などと言い出すこと。またあるいは、デートのディナーで和食を選んだにも関わらず、食べている最中に「中華の方がよかったな」と言うなど、振り回されるこっちの身にもなってくれ、と言われた。


「疲れたんだよ、もう。じゃあね。あ、最後にここの会計だけは二人分済ませておくから」

 はあ、と、まるで、甘い過去を跡形もなく吹き散らかすような重たいため息を吐いて、武尊は伝票を手に席を立ち、レジで会計を済ませて、カフェを出て行った。


 一人、残された。

 確かに、武尊から理由は聞けた。

 けど、唐突であることには変わりがなかった。前触れもなかっただけに、なおさら悪い冗談のようにしか思えない。


 要するに、たった今、フラれたんだ。いともあっさりと。話し合いの機会すら与えられず。


 茫然自失。まさしく、その状態。視線を落とす。後一口、コーヒーが残っていた。ぐっと飲み干した。


 苦くて、途方もなく、泥水よりも不味かった。


 ……それはまるで、今の気分を究極まで濃縮したような味だった。

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