優し鬼、人(やさしき、ひと)~シルバームーン・ブルーライト外伝~

@nanato220604

第1話

……梅の木が、その鋭く尖った爪を露にして、空に掴みかかろうとしている。



「ふぅ……」


 ボクは、自分の部屋の窓から神社の境内の景色を眺めて、小さなため息をついた。


 暦の上では、季節は冬から春へと移り変わろうとしているけれど、今年は暖かくなるのが例年より遅いみたいで、今は冬でも春でもない曖昧な時間が続いている。


 いや、「曖昧」だと感じるのは多分ボクだけで、他の人たちならば「もう、すっかり春だね」などと言いあえるに違いない。


「ずうっと冬が続けばいいのに」


 ボクは、ぽつりと、呟いた。


 ――ボクは春がキライだ。


 真っ白に全てを覆い隠してくれていた雪が消え、単なる一面の真っ茶色だった地面にちらほらと緑が混ざり始め、やがて、「目に痛い」だの「鮮やかなる」だの、「生命力に溢れた」だのと褒めちぎられる緑が世界を埋め尽くしていくのだ。


 そんなもの、見たく、ない。


「はぁ……」


 ボクはため息をついて、窓ガラスにコツンとおでこを預けた。いつも被っている帽子もギュッとガラスに押し付けられる。


 この帽子はボクのお気に入りだ。


 今はここにはいない母さんからの贈り物で、すっぽりとボクの頭が納まるサイズなのでとても重宝している。最近になって、ようやく、ぴったりになったのだけど。


「はぁぁ……」


 ボクはガラスに額を押し付けたまま、うつむいた。名も知らぬ草が地面のところどころに生え始めているのが目に入る。

 ボクが望まないことなんかおかまいなく春は来てしまう。それは事実だ。

 それが覆されたことなど、ボクの知る限り、人の歴史の中では一度もない。


 ……ただの、一度も、ない。


「あっ」


 おでこを窓ガラスに押し付けすぎて、帽子が取れそうになった。ボクは窓から慌てて身を離すと帽子を被り直した。この帽子はボクの身体の一部だ。決して、ボクから離してはいけないのだ。


「瑠架(るか)?」

「!?」


 突然、名前を呼ばれ、ボクは思わず振り返った。

 おじいちゃんがボクの後ろにいた。いつの間にボクの部屋に入ったのだろう? まるで、気がつかなかった。

 おじいちゃんはこの神社の神主さんで、今のところ、ボクにとって唯一の「家族」だ。   

 父親は生死不明、母親は行方不明のボクをここにおいてくれている。


「な、なぁに? おじいちゃん?」


 帽子を深めに被りなおしながらボクは努めて明るく笑った。ボクの仕草を見て一瞬おじいちゃんの眉がひそめられるが、すぐにいつもの穏やかな笑顔に戻る。


「裏山で薬草を採ってきて欲しいのだが、頼めるか?」

「こんな昼間から!?」

「うむ」


 おじいちゃんは何でもないことのように頷いた。ボクが人に会うのが嫌いで、昼間は出歩かないのを知ってるのに。


「実はな、是非、今日の夕方までにと頼まれた薬があったのだが、すっかり忘れておってな。すまんが、頼まれてくれんか?」


 その言い方はずるい。おじいちゃんに何から何までお世話になっているボクが、そんな頼みを断れるわけないじゃないか。

 ボクをここに住まわせているというだけで、おじいちゃんのことを悪く言う村人もいるのに、これ以上、おじいちゃんの評判を落としたりしたら。


「夜目が利き、勘が鋭いお前でも、明るい内の方が探し易かろう?」


 おじいちゃんはいつもと変わらない口調でだめを押しに来る。


 ボクが明るい間は外出しないことをおじいちゃんが気にかけていて、何とかしたいと思っているのも知っている。だから、これは、ボクをお日様の出ている時間に外へと送り出す方便なのかもしれない。でも、いくらおじいちゃんの表情を見ても、薬の話が本当なのか嘘なのか、まるで、分からない。大抵の人なら、その表情を見るだけですぐに言葉の真偽を見分けることができるボクなのに。


「……分かった」


 ボクは仕方なく、そう頷いた。


「おお、そうか。頼まれてくれるか」


 おじいちゃんは顔をほころばせると、採ってきて欲しい薬草のリストの書かれた紙をボクに渡す。


「出来れば、夕方までに頼む。弁当は用意しておいた。それと、冬眠明けのクマには充分に注意するのだぞ?」

「うん。でも、もし遭遇しても、ボクならだいじょぶだけどね」

「瑠架」


 おじいちゃんは急に厳しい顔になった。


「お前の『力』は軽々しく扱うべきものではない。『力』を扱う者の『心』がそれに相応しくないなら、『力』の行使は常に破滅への道なのだと、お前なら知っているはずだ」

「あ、うん。……ごめんなさい」


 おじいちゃんの指摘にボクはうなだれた。そのことについて、ボクは知りすぎるほどに知っているはずだったのに、また、忘れるところだった。……それは、ボクがここにいる理由でもあるのに。


「人はな、瑠架。自分について常に問い直し続けなくてはいけないのだ。そして、お前はそれを知っている。だから、謝ることなど何もないぞ」


 おじいちゃんはしゃがんでボクの目線に自分の目線を合わせると、ボクの肩に手を当てて微笑んでくれた。


「うん。……ありがとう。おじいちゃん」


 ようやく笑顔を浮かべることができたボクは自分の頬に当てられたおじいちゃんの手にそっと触れて、お礼を言った。ボクはいつもこの手に守られている。このがっしりしていて暖かい大きな手に。だから、笑顔になれる。


「いい子だ、瑠架」


 おじいちゃんはボクの頬に当てている手とは反対の手をボクの頭へと手を伸ばし、……見つめるボクの視線で思い出したのか、ボクの肩をポンと叩いた。


「では頼んだぞ、瑠架」


 軽くボクの肩を叩いて微笑むと立ち上がり、おじいちゃんは部屋を出ていった。


「……ごめんね、おじいちゃん」


 おじいちゃんを見送りながらボクは帽子に右手を当てて、小さく呟いた。


 ほんとは頭を撫でたかったんだろうけど、ボクが嫌がるから、肩を叩くことにしたんだね。気を使わせてばっかりで本当にごめんね、おじいちゃん……。


「……行こう」


 落ち込んでいても仕方がないので、引き受けた仕事を片付けることにする。ボクは身支度――帽子と同じく、母さんからもらった服だ。ほんとは、この村で着るには違和感があるんだけど、他にちょうどいい服もないので仕方なしに着ている――を整えると裏山へと向かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る