これは小説なんてものではありません
AK-17 DⅧ
贈り物
昔、地元の駅前には大きなコンクリート製の蛸滑り台があった。子供の頃に何度か遊ぼうとしたが、子供が多過ぎて結局諦めたという苦い思い出しかない。
そんなタコ滑り台も撤去されてしまった。駅の地下化に伴う再開発だ。知らぬ間に駅から離れた線路のあった場所に樹脂製の小さい蛸滑り台ができていた。
あれから20年、人類は蛸のような宇宙人と遭遇して大騒ぎになり、あれよあれよと戦争が始まり、人類は蛸宇宙人に勝利したが、蛸宇宙人を想起させるといって樹脂製の蛸滑り台も撤去されてしまった。
その公園にはあたらしいうつぼ滑り台ができていた。蛸滑り台の撤去はやりすぎだとして、一部の保護者や漁師や水産加工品メーカー、外食産業までが蛸滑り台擁護運動をしていたが、地味なネットニュースで終わった印象だ。
うつぼ滑り台は子供たちにはわりと好評だったが、そんなカラフルなうつぼはいねぇ、と言いたくなるほどのアーティスティックな遊具だった。
蛸宇宙人と正式な和平交渉が進み、友好の証として世界中に蛸滑り台が寄贈された。その一台が私たちの町にも届き、うつぼ滑り台の隣に蛸滑り台が設置された。それはなんとも言えないシュールさを醸しだしていた。
とりあえず蛸宇宙人の蛸滑り台はコンクリートとも樹脂ともつかない奇妙な未知の素材できていた。耐久性に優れた素材らしい。水に濡れると独特の輝きを放った。雨の日の輝きはアートなうつぼ滑り台以上の存在感を放ち、人類は蛸宇宙人の文化水準にある種の畏敬を持つまでになった。
そして蛸宇宙人という呼称も、いつの間にか蛸人、そして彼らの自称に近い発音でエーランと呼ばれるようになっていった。
「たこがえいとはこれいかに」
落語家がテレビ番組で発したダジャレは子供達にはウケていた。もちろん、それは日本だけの話だ。
たこ焼きを「えいらん焼き」などと売り出した店まであり、実際にエーランの駐地球大使が食べに来て大きな話題になった。そして、エーラン大使はSNSでたこ焼きに外観が似たエーランの食べ物を紹介した。少なくとも見た目はただのたこ焼きだったが、似たものがあるというだけで日本人のエーランへの親近感は増した。
エーランの星に招待された地球側の代表団は地球時間で3年後に帰ってきた。もちろん、エーランの宇宙船に同乗してだ。人類にはまだ月でさえ近そうで遠い星だった。
そんな人類が蛸宇宙人に何故勝てたのかは、メディアでよく議論されていたが、エーラン側の言葉を借りれば、「人類はここまでの科学力を持ちながら、なぜ人類同士で争そうのかがわからない」ということだった。要約すれば、エーランは自由に星を出られない人類を侮ったということらしい。
エーランと地球人の友好は長く続いた。それはエーランが地球人の粗暴さを承知した上で、寛容に対応してくれたからだろう。地球の知識人達は恥ずかしさとエーランの友好に対する感謝を度々表明していた。
戦争から10年も経つと、エーランの宇宙船技術を供与された地球人も遠い宇宙に出られるようになっていた。そして、生存に適した星、知的生命のいる星の少なさを知ったのである。
私は宇宙に出ることなく、人生を終えようとしているが、子供の頃の蛸滑り台が宇宙を旅してきた贈り物に変わったことを誇らしく思っている。
これは小説なんてものではありません AK-17 DⅧ @AK17-D8
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