春にさよなら

鈴ノ木 鈴ノ子

spring wedding

 イギリスの首都ロンドン郊外にある教会でWedding Bellの音が鳴り響いた。

 教会の重厚な扉が開いて新郎新婦が姿を見せると、屋外に出てきた参列者から盛大な歓声が上がっていく、幸せ溢れる笑顔をした2人がキスを交わすと、歓声は最高潮に達していく。そして白いウェディングドレスを身に纏い、溢れんばかりの笑顔をした白人の新婦が両手に抱えていたブーケを群衆に向かって投げると、女性達の華やかな歓声が更に巻き起こる。

 それを教会を見下ろす高台から優しく見守る2人の人影があった。

 

「ハル様、そろそろお戻りになられては如何でしょう?」


 ディズレーリ家のハウス・スチュワートで長年にわたって女主人に仕えてきた女性執事のリーベラが、目の前の車椅子に乗った主人である老齢の女性へと遠慮がちに声をかけた。


「そうね…。幸せそうでなによりだったわ。でも、結婚式も騒がしくなったものね。あの子達の感覚は私達とは違うのだからしかたないけれど…。」


「互いに歳を重ねたからかと…」


 リーベラの答えに老婆は深く頷いた。


「そうよね。まあ、でも、孫娘の晴れの姿を見られたのは嬉しかったわ」


 目に浮かべた涙をハンカチーフで隠した女主人のハルは歓喜に震えた声であった。


「明日ご報告のために越しになられます。アフタヌーンティーを共にして、ゆっくりとお話ができるよう、準備を整えております」


 歓喜に震えているハルを邪魔せぬように、それでいて安心させるようにリーベラが言った。


「そうだったわね。ありがとう」


 それに深く頷いてリーベラの目を見たハルは、その目元に薄らと涙が湛えらていることに気がついた。手に持っていたハンカチーフを使うように差し出すと遠慮がちに借りて涙をそっと拭う。

 

「私にとりましても、成長を見守りましたナツ様の晴れの姿、見せて下さいましたことに感謝しております」


 互いに泣き顔に笑みを浮かべてながら2人は笑いあった。年齢は一回りほど違う2人だが長い年月の苦楽を共にするように過ごしてきたからこそ、同じ境地へとたどり着いていた。あのお転婆娘がと思い感慨に浸りながら迎えを待ち、やがて現れた黒塗りのジャガーへと2人は乗り込んだ。運転手に屋敷へ帰る合図である小窓を3回叩くと、車はゆっくりと高台を後にしていった。


「あら、桜の花だわ」


 屋敷に近い交差点で青信号を待つ間に停車した車窓か外を眺めていたハルがそう言って懐かしそうに目を細めた。

 淡いピンクの花がビル街の真ん中に作られた小さな庭園で満開を迎えている。その根本には2つの国旗が風に揺られて旗めいていた。


「我が国と日本のですね」


 Union Jackと日の丸だった。

 日英友好のため桜を植樹するSAKURA cherry tree project と書かれた大きな案内ボードが隣に添えられていて、在イギリス日本大使と外務・英連邦・開発省のハルもよく知っている高官の署名が連名つづられている。


「祖国だけれど、外国の気もするんだよ」


 懐かしい声がハルの脳裏に甦った。

 彼が今の日本を見たなら、あの風に旗めく日の丸はどちらの旗に映るのだろうか・・・。

 そんなことを思考しては、動き出した車の中で過ぎてゆく景色をぼんやりと眺めたハルだった。


 翌日、約束の時間より少し早めに新婚夫妻は姿を見せた。孫娘のナツ・ディズレーリは少し不安そうにしてソワソワと落ち着きがない。それを必死に隠そうとしながら2人揃って広いラウンジへ案内された。

 この部屋は普段は入ることが許されない家長の応接室で質素ながら豪勢な作りであった。部屋の窓際に置かれた古いマホガニーのしっかりと使い込まれたソファに腰掛けている主人のハル、その脇に立ち控えたリーベラがバトラーに付き添われた2人を出迎えた。


「いらっしゃい、ナツ、春樹さん」


「お招きいただきまして、ありがとうございます」


 2人の息の揃った返事に、ああ、手元から去ってしまったのだとハルもリーベラも改めて自覚させられる。


「お婆様、無事に式を終えて夫婦になりました」


 2人は頭を下げて結婚式と結婚手続きが何事もなく終えたことを報告した。もちろん、招待状も直接伺って結婚式への出席をお願いしたが、古き良きイギリスの伝統を重んじるところのあるハルは、若い者の邪魔となっては申し訳ないから友人達とやれば良いと固辞した。そして結婚に反対ではないことも改めて伝えて、式の後に時間を充分に取って、ゆっくりと話すことのできる機会を作るようにと伝えていた。


「春樹さん、ナツ、おめでとう」


「ありがとう、お婆様」


 祝いの言葉を改めて聞いて感極まったナツの目に涙が溢れ始める。ハンカチを春樹が取り出しそっとナツに手渡したのを見て、どことなく懐かしい彼の姿が思い浮かんだ。


「春樹さん、可愛いじゃじゃ馬をよろしくね」


「はい」


 すらりとした高身長の日本人の春樹が照れながらも、鳶色の目でしっかりと決意を示すようにハルを見据えて答える。ナツも満足そうに春樹を見た。その短いながら深い返事に満足したハルはアフタヌーンティーを始めることにしてリーベラへとゆっくり頷いたのだった。

 用意されたティーや菓子や軽食をとりながらに2人の出会いから結婚までの惚気話を聞きながら、時に面白く、時にハル自身の考えからはゾッとする行為にいささか呆れ果てながら、孫娘夫婦との話に花が咲いていく。しかし、ふと、夫である春樹の視線がハルのソファ脇にあるショートテーブルの上の古い写真立てに注がれていることに気がついた。


「春樹さん、なにか気になることでも?」


 ハルの声に驚いたように顔を上げた春樹は、その言葉に驚きながらちらりとナツを見た。2人の視線が何かを語りゆく様を見ていると、やがて意を結したように春樹は頷き口を開いた。


「すみません。少しスマートフォンを使ってもよろしいでしょうか?見て頂きたいものがあるのです」


「いいわよ。構わないわ」


 家の主人に許可を求めたのちに、スーツのポケットよりスマートフォンを取り出した春樹は、少し操作を行ってからリーベラへとスマートフォンを差し出した。

 不可思議な表情を浮かべながら受け取ったリーベラは、落ち着いた顔に主人しか見分けがつかないであろう驚愕を浮かべてその写真を一瞥する。


「ハル様、お見せしてもよろしいでしょうか?」


「構わないわ、見せて」


 確認の言葉が気になったものの、手を伸ばして受け取ろうとするハルにリーベラは躊躇いがちにスマートフォンを手渡した。


「いったいなにが…」


 画面を見たハルは凝視したまま動かなくなった。


 そこに飾られた写真と同じ、5歳くらいの女の子と東洋人の男の子が、桜の木の下で笑いあっている写真が写っていた。

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