(旧)オーバークロック
井上巧
プロローグ
「ルリ、森は危険な動物がいっぱいいますから、十分に気をつけて下さいね」
「わかってるよエイリス!」
「……わかってないですよ。絶対」
「いーや、わかってる!」
「……そうですか」
切り開かれた森の中にある小さな村。はずれには小さな湖が見え、新緑に包まれた雄大な自然が広がっている。
その村の民家が並ぶ地区の中央、ほかより少し大きな木造2階建ての家から、どたどたと騒がしい音が響く。
特に出窓がある2階の右はじの角部屋が、いっそうと騒がしい。
「私1人で獲物を捕らえてやるんだ!夜ご飯にしてやる!」
「全く、何を言っても聞きませんね。逆に夜ご飯にはならないでくださいね」
「なんてこと言うのさ!」
ベッドとクローゼット、そして雑多に重ねられた教科書と魔導書が乗っかった勉強机。真四角の小さな部屋。そのベッドの横の大きな姿見の前に、1人の少女とその侍女がいた。
茶髪の斜めに流れた前髪、赤茶色のくりんとした大きな目が特徴の少女。年齢は14歳。背は小柄なかわいらしい女の子。
小さい華奢な体には白いワンピース、そこにマントのようになびく茶色のローブがおおわれている。
そして、ワンピースを抑える腰のベルトには、鞘に納められた刃渡り20センチほどの直刀ナイフが携えられている。
この少女は、ルリ=アイルーンという。
「ほら、これ、可愛くない?冒険者だよ!血みどろの冒険の予感!」
「……かわ、いい?」
「じゃんじゃん魔物を借りまくるハンターだよ!」
「私のナイフ術を変に使わないでくださいよ」
「じゃあ何に使うの?」
「護身です」
やれやれと答える侍女。
彼女の名前はエイリス。ルリが赤ん坊の頃からの侍女である。
整った顔立ちからのぞかせる、金色の瞳をのぞかせるきりっとした目つきから真面目そうな印象を与える。
ひときわ目を引くポニーテールのブロンドのサラサラの髪。外へ一緒に出掛けると風でなびくたびいい香りがする。
そして彼女が着ているのは、黒を基調としたメイド服。
「……ルリ?どうしました?私の顔に何かついてます?」
「ん、え?あーいや何でもない!」
きれいだなーと。ルリもこんなきれいな顔で大人になりたいものだと改めて思った。
今、ルリはお出かけの準備をしている。と言っても、今日はただのお出かけではない。
今日は友人と二人で、初めて狩りに出かけるのだ。
村の風習で、狩りの年齢は14歳以上となっている。昨日誕生日を迎えたルリはさっそく狩りに出かけることにした。
ルリは冒険が大好きで、自由であることがモットー。朝起きてからテンション高くずっとうきうきしている。
将来の夢は、旅人。母親が元旅人だったと知ってからと言うもの、ルリは母を追いかけるように旅人に憧れている。
ルリにとって、初めての森への狩りは冒険、いわば小さな旅なのだ。
しかし、森には数多の危険がある。突然、強力な魔物に襲われては、逃げる隙すらないだろう。だから、今日のエイリスの身だしなみチェックはいつも以上に厳しい。普段から真面目なエイリスがいつにもなく真面目。
ルリも侍女の気持ちは重々わかっているつもりだ。危険がないように万が一でも準備を怠らない姿勢は、真面目なエイリスのルリを想う気持ちだというのもわかっている。
しかし、当のルリはお構いなしにそわそわ、うずうずと落ち着きがない。早く出かけたい気持ちに正直な少女なのである。
すると、エイリスはルリの腰ベルトを両手で持つと、思いっきり締め付けるようにグイと引っ張った。
「ふげえっ!」
「おっとー失礼しましたー。わざとです。揺れないでくださいねー」
棒読みでつぶやくエイリス。
「おい!」
ルリの突っ込みに、エイリスはニヤっと返事をすると、その端正な顔を再びベルトへと向けた。
ルリは涙目で睨んだ。エイリスの「真面目」という説明は改めようと思った。
――――――――
準備を終えて、エイリスと共に家を出る。
村の南の森の入口へと、ルリはスキップしながら向かっていった。
その後ろを、エイリスが早歩きでついてくる。
「あんまりユフィ君に迷惑かけてはいけませんよ」
「大丈夫大丈夫!」
「……全く、ユフィ君も大変です」
5分ほど歩いて、森の入口に到着した。
ルリはまだかな、まだかな!と友人のユフィがやってくるのを待っていた。
「そうでした。ルリ、これを」
突然、エイリスはおもむろに、ポケットから青い巾着袋をルリ手渡した。
「え、何?!」
つややかな質感の、やや光沢のある青い袋。
ルリはウキウキでそれを受け取ると、巾着の口を勢い良く開く。
入っていたのは、巾着と同じ青色をした小さな箱。高級そうな見た目にルリは驚いたが、それもすぐにわくわくに変わり、勢いよく箱を開けた。
縦にパカリと開いた箱の中には、割れ目の付いた白いクッションに挟まれた、指輪が入っていた。
宝石が付いているような、豪華な指輪という風ではない。しかし、リング全体が、深く美しい湖のような美しい青色で、それは指輪全体が宝石とも言えるほどの高級感が漂っていた。
「……これ、もらってもいいの?」
ルリはあまりに高級そうな指輪に驚いて尋ねた。到底、14歳の少女が貰っていい代物には見えない。
「はい。というよりも、これは指輪だったのですね。私も初めて知りました」
「ええ!渡したエイリスが何か知らないなんて!」
「開けないでねと言われていましたからね」
「誰に?」
「ルリのお母様ですよ」
「……!」
ルリは目を見開いて驚いた。
ルリの母親は、ルリが4歳の時に亡くなった。ある日、不治の病にかかってしまったらしく、それからすぐに亡くなったのだ。
エイリスは元々私の母の侍女だった。しかし母が亡くなってからというもの、彼女がルリを母親代わりに育てた。
「これは、お母さまが亡くなる数日前にあずかりました。あなたが14歳になって、村の狩りに出かけるときくらいに渡してほしいと」
「……そっかぁ」
ルリはまじまじと箱に収まった指輪を眺めていた。その指輪がだんだんと、おぼろげな母親との記憶を想起させる。
それはつかの間の逢瀬。しんみりとした心、青から染み渡る温かさ。
この指輪こそが母親の形見。
「ルリ、一度それを渡してください」
「……え?」
ルリは戸惑いつつも、手に持つ青い箱をエイリスに手渡した。
エイリスは受け取ると、箱に収まった指輪を取り出す。箱から解放された指輪は、太陽の光に照らされ一層光沢を増して輝く。
すこし、エイリスが驚いたような表情を見せたが、すぐに気を取り直しいつもの笑顔で対面する。。
ルリと目線を合わせると、エイリスは右手に指輪を持ったまま、細い左手でルリの小さな右手を引いた。
「手を開いて」
力を抜いて広がった手。その中指に、エイリスは指輪をはめる。
ルリはそれをじっと眺めていた。
指の付け根までしっかりと指輪が入る。エイリスが手を離すと、ルリは左手を表裏に返しながら、まじまじと眺めていた。
不思議な感覚がする。この指輪からは人の気配を感じる。温かいような、長い時を感じる。
それは、きっと母の想いなのだろう。
「……きれい」
「ええ。とても似合っていますよ、ルリ」
「ありがとう、エイリス」
エイリスは柔和な笑みを浮かべた。きっと、この指輪を母が渡しても同じ表情をしていたのだろうか。
いいや、そんなことは考えない。母はいないのだから。
「私には、お母さんはいないけど、エイリスがいる。これからもよろしくね」
ルリもまた、こちらは元気な笑顔を浮かべた。
エイリスはどこかはっとしたような顔をしたが、またいつもの柔和な笑みに戻っていた。
「ええ。よろしくお願いしますね」
————―――――――――――――
森の入口でしばらく待っていると、村のほうから1人、誰かが駆け足でやってきた。
「ごめんなさい!お待たせしました!」
「ユフィ!おはよう!」
「おはようございます。ユフィ君」
ルリたちの前で勢いよく止まって、息を整えている少年。
彼がルリの友達で、今日の冒険のお供であるユーフィル=シュライン。村でルリと唯一の同い年で、幼馴染。
年はルリと同じ。背はルリより少し高いくらいだ。短く整えられた青い髪が、太陽の光に照らされてつややかに輝いている。どこか中性的な整った顔つき。
彼は青い薄手の上着に、茶色の長ズボンをはいている。そして腰には革のウエストポーチ。
背中には、革でできた鞘に収められている、騎士剣が携えられている。
一見すると、見習の少年騎士と言った風貌だろうか。
「ユフィ君、大丈夫ですか?」
「すみませんエイリスさん。木の実を取って来いって頼まれたのと、あと、ちょっとだけ家の手伝いしてまして……。いえ、言い訳です、すみません……」
切れ切れとした息を整えながら答えるユフィ。
「いえいえ、本当にお偉いです。ご苦労様」
アハハ……と笑みを返すユフィ。
一方のルリは、エイリスにぎろりと目線を向けられた気がしたが、気のせいと思うことにした。
「……ほら、ユフィ!行くよ!」
ごまかすようにルリは言う。
「そうだね。ルリはちゃんとナイフ持ってきた?」
「持ってるよ!ユフィも魔導書持ってる?」
「うん。メモったやつだけど、詠唱呪文はしっかり持ってるよ!ってか、何その指輪!綺麗!」
「えへへ、ありがとう。今エイリスから貰ったの」
「いいね!似合ってる!」
ルリとユフィは話しながらお互いの持ち物を確認した。両者とも忘れ物はないようだ。
「よし、じゃあ、行こうか」
「遅くなる前に帰ってきてくださいね。日が沈んだら、夜行性の魔獣が出てきて危ないですから」
「大丈夫!なんかあっても、エイリスのナイフ術があるからね!」
「ルリの抜群の運動神経は認めますが、危ないものは危ないですから」
心配そうに言うエイリス。それを見たユフィが答える。
「……何かあっても、僕が守って見せます!」
「……ええ。頼りにしてますよ、騎士さん。ルリをよろしくお願いいたします」
「はい!」
村の南側に広がる、広大な森の入り口。若葉と快晴が若人を出迎えてくれる。
「じゃあ、行ってくるね!」
「行ってきます」
「……ええ。行ってらっしゃい」
柔和な笑顔で手を振るエイリスに私たちは手を振り返すと、ルリは後ろに目もくれず全速力で森の中へとかけて行った。
おいて行かれる騎士。
「……ルリー!ちょっと、待ってよ!」
初めての狩り。初めての冒険!はやる気持ちのままに、彼らは新しい足音を奏でていく。
2人の大冒険。2人の、人生の大きな門出。
しかしこの日、彼らは人生を大きく変える、奇妙な出会いを果たすのだった。
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