好感

むきむきあかちゃん

好感

 ある青年が、街の通りを歩いていると、背後から

「ほれ、そこのお兄さん」

 と、声をかけられた。

 青年が振り向くと、そこには白髪にモジャモジャの髭を生やし、薄汚れた白衣を着て黒縁の眼鏡の、如何にも彼が幼いころ絵本に見た「博士」の風貌の男が立っていた。不思議な懐かしさを感じさせた。

 そのうえ男は、十年前に亡くなった青年の祖父を思い出す顔つきをしており、青年はなおさら好感を覚えた。

「なんでしょうか」

 青年は自らにも、無意識のうちに笑顔で男に応えていた。

「君、ずいぶんと浮かない顔をしているな。面白い発明をしたのだが、うちの研究室にきてみないか」

 そう言って男はボサボサの頭をぽりぽり書いて無邪気に青年に笑いかけた。

「研究室はどこにあるんでしょうか」

「なに、そう遠くはない。ここから徒歩七分ってとこじゃな」

 男は青年の目を伺いながら続けた。

「大学にあるような豪勢なものでもないぞ、小さな家の粗末な一室じゃ」

 青年は男のその言葉——と、その様子を見て、思わずすぐに明るく言った。

「では、行ってみましょうかね」

 男は、嬉しそうに頷いた。

 男が街の建物を見るたびに「ここはなにも変わっとらんの」「昔は○○が建っていたんだぞ」と騒ぐので、体感では徒歩五分もしないうちに男の家に着いた。

 実際男の家は質素なもので、中は不潔ではないがゴチャッとした印象を受けた。

「ここがわしの研究室じゃ。なかなか面白いものがあるじゃろ」

 その部屋の壁は、優しい色の木材でできており、これまた木でできた三、四の卓には沢山の妙な機械のようなものが大小さまざま置いてある。

「わしは、ここでいつも発明をしているのだ。これなんかは、スイッチを入れただけで三毛猫のオスを呼べる」

 男がその小さな機械のスイッチを入れると、三十秒もしないうちに、何処からともなく現れた三毛猫が外の庭に降り立ち、窓をミャアと叩いた。

「すごいですね」青年は素直に目を輝かせた。

「どう思う、これらの発明品をみて」

 男は楽しげに尋ねた。

「いやまさか、この無味乾燥とし、世間に直接役立つ発明しか賞賛されなくなった現代社会にあなたのような愉快でゆとりある発想をもつ発明家がいたとは」

 青年はそう興奮したようすで話した。

「いったい、あなたは何者なんです」

 すると男は、耳の後ろに手を当て、何やら指をカチャカチャ動かしながら答えた。

「博士だよ」

 その途端、男の姿はパッと変わってしまった。

 黒く乱れた短髪。縁のない眼鏡。その奥に覗く光のない眼と、薄らと刻まれたほうれい線が寂しげだ。

黒いポロシャツで包まれた身体は不健康に痩せこけている。

 ふと青年が辺りを見渡すと、部屋さえもまるっきり変わっていた。

コンクリート製の壁に、黒く殺伐とした卓。

「これが本当の私だ」男——博士が言った。

「まあ、ある意味では、今までの姿もこれからの私もまったく違わんがね」

 青年はこの幸のなさそうな貧相な男があの「博士」とは、到底信じられなかった。

「これはどういうことですか」青年は尋ねた。

 男は「これだよ」と、さっき耳から外したらしい機械を摘んだ。

「それは、着けると姿を変えられるのですか?」

「いや。物質的に、私が姿を変えるのではない」

 博士は仰け反りながら指を組んだ。

「変わるのは私ではなく、きみ。私に関するきみの脳内イメージを変えるのだ」

「脳内?」

「そうだ」博士は首肯した。

「人はしばしば好感が持てるなどと言って人を評価するが、せいぜいそんなの個人的嗜好にすぎない」 

 博士は自らの発明品の数々を、角張った指でそっと撫でた。

「私も幼い頃から、人々のマジョリティで全体主義な個人的嗜好に散々晒されてきた。いつもひとりで気持ち悪い、卑屈そうな目が好ましくない、変な機械ばかり作っていて嫌だ」

 顔を引き攣らせ、悲しげな表情を作り、発明品から指を離す。

「だが、仕方がないと思っていた。彼らは、他者に感化されただけのつまらない自分の嗜好を社会のスタンダードだと思っているのだから。しかも、実に万人に愛されるなど不可能なことだ———みんなに愛されているというだけで嫌う者もいるのだから、と」

 博士は同意を求めるように、ちらっと青年を一瞥した。青年は正直に頷いた。

事実、友達はそう少なくない彼でも、博士と同じように思っていたからだ。

「しかし、考えてみてくれ。もし相手の脳内での、自分のイメージを好きに変えられるならどうだろう?———相手の好みに合わせて、相手が求めている相手に」

 そう言って博士は、再び耳に機械を取り付けた。

 博士の風貌は、また先ほどの絵本のような「博士」に早変わりし、研究室も木に溢れた優しげなものになった。

「実際、君は見ず知らずのわしについてきたじゃろ?普段なら、見ず知らずのおじさんにヒョコヒョコ着いていくかね?——君にいまどんな風にわしが見えているかは分からんが、君がわしに着いてきたのは、わしが君の好みの、君が必要としている人物の姿をしていたから。ただそれだけじゃよ」

 それだけ言って、博士はまた耳の機械を取った。

 視界が元に戻る。

「この機械は、相手の脳のある波をキャッチし、相手の望む人間像を把握する。そしてその通りの姿に相手を錯覚させる。錯覚させるのは人間像だけではない。その通りに風景も多少変わる———だが、こうもいろいろ変わると相手と言ってることがどう頑張っても噛み合わなくなっていくからね。そこら辺を調整するために、周りや装着者自身の脳内イメージにも、やや調整が加わる」

 そして博士は、その機械を青年に差し出した。

「いま、この装置を試してくれる人を探してるんだが、どうだろうか青年。君も誰もに好かれる経験をしてみたくないかい」

 青年には、気になる女性がいた。だが噂や友人の話を聞く限り、自分はその女性の好みではないようだった。

 それを知ってからずっと落ち込んでいた。この博士を名乗る男もそこを狙ったことは自明であった。

「そうですね———」

 青年はなんとしてでもその女性を手に入れたかった。一目惚れだった。

「お借りしてもよろしいでしょうか」


 博士は装置を小さな肌色のシリコンで包み、彼に似合わない花柄の古い紙箱に入れて青年に手渡した。

「肌色だから、耳に馴染むだろう。これならおそらく誰にもばれないだろうから、ずっと着けていてくれ。その間は、耳を傷つけないように。さすがに耳鼻科の医者にはばれるだろう」

 そう呟きながら、白い紙に「使用上の注意」を走り書き、紙箱に添えた。

「耳鼻科に行く羽目になったときと、使い心地が良くなくて返品したいときはまずリセットボタンを押してくれ。半永久的に壊れることはないだろうから、そこは気にしなくていい」

 青年は次の日、その装置を着けて大学に行った。

 まず、ふだん一番つるんでいる仲のいい友人のところへ行ってみることにした。

「やあ」席で本を読んでいたその友人に、声をかけた。 

 声をかけてきたことに気づいた友人は、一目青年をみたのち、パッと顔を輝かせた。

「おう。元気にしてたか?最近かなり落ち込んで見えたから心配してたんだ」

「ああ——まあ、大丈夫だよ」

「それは良かった」友人は笑みを浮かべた。

「いや、お前はいい奴すぎるからな。そこは弱点だと思うぞ。隠してても良いことないし、何かあったらいつでも言ってくれよな」

「————」

 明らかに青年の印象は良くなっていた。

 友人と青年は気が合ったが、友人の捉える彼の人間像は、もともとおそらくあまり「良く」はなかったはずであった。

 友人は、事あるごとに青年に

「お前はチャラチャラしてるんだよ。そこは好きじゃねえな」と睨んで言ったかと思えば、

 青年が人間関係の上手くいっていないことを悩んでいると

「お前、陰鬱な感じがして『コミュ障』なんだよ。もっと頑張れ」と、軽く言ってのけた。

 だが今の彼は—————

「どうした?顔色悪いぞ」友人は心配した。

「いや、大丈夫。びっくりしたんだよ、君がそんなに褒めてくれるなんて」

 そう言うと友人は驚いた。

「なに慎んじゃってんの。なあ大丈夫かよ、本当に様子変だぞ?——ああ、分かったぞ恋愛か。片思いで、一目惚れでもしちゃったんだな」友人はニヤつきながらそう言った。

「まあ、お前ならきっと悪い結果にはならないさ。認めたくないが、大丈夫だろうよ」

 青年の背中をポンと叩いて、上機嫌に去っていった。


 他の同学年の学生たちも、青年を今までもずっとそうであったかのように慕った。告白してくる女性も少しだがいた。

 青年を「おとなしく真面目で、友人は少ないが関係が濃厚」と評する者もいれば、「だれにでも優しく、気さくで話しかけやすい男」と言う者もいた。

 だが、青年が好かれたかったのは一目惚れした女性である。

 あるとき、偶然にも彼女と同じ講義を受ける日があった。

 絶対に声をかけようと意気込んで席に座ると、まさかの彼女の方から隣に座ってきたのだった。

「ねえ、一度会ったことあるよね」彼女は笑みをたたえてそう言った。

「どこかですれ違ったでしょう?学食だったかな」

 青年は不器用そうに頷いた。

「あれからあたし、ずっと君のこと忘れられなくて。いえ、別に変な意味じゃなくて、ふしぎと印象に残ったというか、オーラがあったというか」

「僕も覚えているよ。奇遇だね」

「ほんとうに?———あのね、今日午後からひま?あたしひまなんだけど、どこかでお茶とかしない?」

「え、いやでも」

「忙しい?なら明日でも。今晩でも構わないからさ」

 彼女はいきなり大胆だった。

 

 それから一ヶ月ほどして、青年は彼女と付き合った。

 ふたりであらゆる所へ行った。

 ある日、彼女はベッドのなかで呟いた。

「あたし、あなたほどあたしにピッタリな人に出会ったことがないわ」

 彼女は青年の手を握った。

「ほんとうに、あたしが思う理想の通りのひと。一ミリのズレもなく」

 そう言う彼女は、俗に言う完璧主義の女だった。

 彼女は青年と付き合って二週間ほどで、その性格を良くない方向へ拗らせた。彼女の周りがすべてが思う通りにいかないと、異常な不安に苛まれるほどになったのだ。

「待って。ティッシュボックスは、テレビの前真ん中に置いたかしら」

 彼女のようすを不安に思った青年は、彼女を精神科に連れ出した。

「いくつかの重篤な精神の病にかかっておりますね」医者の診断はそういうことだった。

 よって彼女は入院することになった。

 何ヶ月も連絡すら取れないこととなってしまった青年は、悲しみに暮れながらも必死にその期間を耐えた。

 ある夜、彼女の病気が寛解し、退院することが電話で告げられた。青年は大喜びで病院へと向かった。

 病院に着くと、医者が言った。

「彼女は異常な様々な妄想と、幻覚幻聴に悩まされていたようです。それが彼女の性格を歪ませていたのかと」

 医者は彼女の背中を軽く押した。

「ですが、ほぼ完治しました。最近は笑顔で周りの患者さんとの会話を楽しんでおられますし」

 それを聞いて、青年は彼女の手を握った。

「本当によかった、君が元気になってくれたようで。またいつもの生活が送れる」

「ええ、その通りだわ。でも———」

 彼女は青年の顔をまじまじと見つめた。

「あなたは、どちら様かしら」

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