リグレット
アルマを帰してから数日。またしても王室に噂が流れた。半ば強引に婿として選ばれたはずのプライズ様が失踪したというものだった。プライズ様、名前だけは知っている。若くして名実ともに認められる修道士の名前だ。それがアルマであることに、私は遅れて気付いた。
王室でもたまに口の端に上るようなプライズ様が、まさかアルマだったなんて。彼女の身を案じながらも、あの場で彼女の正体に気づけなかった自分の鈍感さに嫌気が差す。
アルマは部屋を立ち去る時に、「またお会いできるよう、手を尽くします」と言ってくれた。婿探しだと言われて立候補したくらいだし、私のことは好いてくれているのだと思う。それに、噂で聞くプライズ様は誰にでも平等に優しい方だ。ここに囚われている私を不憫に思って何かしてあげたいと思ったって、不自然ではなかった。
とはいえ、私の引きこもり生活は続く。無情にも。先ほどメイドに手渡された父からの手紙には、こうあった。
――貿易を制するものが全てを制する。私はそう確信している
とのこと。本当に驚くほど変わり身の早い父だけど、アルマの失敗に懲りず、私の婿探しを続行するつもりのようだ。その熱心さは認めるけど、せめて男の人を選んだ方がいいと思う。
最近の私には心境の変化というものがあって、それはこの部屋を訪ねてくれたセント、デビアン、アルマによって齎されたものだと自覚している。やっぱり、外に出たい。国のことは、大事だ。父のことも、仕方のない人だけど、彼なりに頑張っているのだと思っている。だからできる限り協力したいと思う気持ちに嘘は無いけど、できるなら私も、彼女達のように、自分の人生を歩んでみたい。
きっと普通の人であれば、もっと早くに目覚める自我のようなものだ。王女という立場である私は、自分の中に燻っていた自立心や願望に、気付かないふりをしてきたと思う。何故ならば、私の願望は叶わないから。私にそんなワガママを言う権利なんて無い。生まれながらにして運命が決まっていると自分に言い聞かせて生きてきたんだなって、今なら分かる。
外の世界にただ憧れるだけでは駄目だ。自分の責務を全うして、そして本当の自由を手に入れる。きっと王女にだって、それができるはずだ。
「失礼します」
ノックと共に、低い声が響く。人が来るという話は聞かされていなかったけど、招き入れないという選択肢は無かった。ここから私の人生が始まる。そんな強い覚悟を持って、声の主を部屋に招いた。
「どうぞ」
ドアが開く。椅子に座ったまま見上げると、そこには長身の男性が立っていた。ついに、来たんだ。男の人が。
「座って」
「ありがとうございます」
静かにドアを閉めると、彼は私の正面に座った。これまで、セント、デビアン、アルマが座ってきた椅子だ。四人目の客人となる彼は、リグレットと名乗った。浅黒い肌と、白髪が印象的だ。涼しげな目元からは、確かな自信が見て取れた。ちょっとチャラそうだけど、確かに美形だ。おそらくは彼が、父の言う貿易に精通した人物なのだろう。
「貿易商をしております。特技は、多言語を話せることと」
「やっと男性が……」
彼が話している最中だと言うのに、私は本当の本当に男性がやってきたことに、逆に驚いていた。話の腰を折られたというのに、彼は笑う。
「ははは。だろ? やっぱ俺、男に見えるよな?」
「……待って、もしかして」
どういう意味? 男の人は「俺、男に見えるよな?」なんて、なかなか言わないと思うけど。頭の中を、サーと何かが駆け巡っていく。あ、違うこれ。血の気が引いているんだ。
「おう。あたしもホントはこんなことしたくなかったんだけどぉ、でもお金くれるって言うしぃ」
「すんごいギャル」
ガラッと声色を変えて、というか多分戻して、リグレットはキャハハと笑った。ねぇ、私、さっき決意したの。責務を全うして、本当の自由を手に入れるぞーって。女の人ばっかり来てたら一生全うできないから。困るから。
「あ、特技の話まだ途中だったよね? あたし、イケボ得意なんだ~!」
「あぁそう……」
まぁ確かにすごいかっこいい声だった。本当に男の人だと思ったし。容姿も相まって、私は完全にリグレットに騙された。まぁ、美形の人って、異性装似合うよね。分かるよ、うん。
「ここに来るためにわざわざ長かった髪切ったんだぁ。マジもったいないよねぇ」
「そうなんだ……」
これまでここにやってきた人物達を思うと、彼らがリグレットに騙されるのは当然とも思える。私だって男の人だって思ったし。もうその辺のことについて問うのは辞めよう。自慢の髪を切ってまでやってきたという、リグレットの動機について言及することにした。
「ところで、お金って……パパ、ついに世継ぎに懸賞金まで……?」
「さぁ。それはまだ言えねぇな」
「急に戻るのやめて、疲れる」
いきなり得意のイケボで対応されると、反応に困るからやめて欲しい。あと、質問には答えてほしかった。お金ってどういうことなの。誰が出すの、それ。
私の疑問を置き去りにして、リグレットは「わー! ベッドふかふかじゃん!」と言って、私のベッドにダイブした。無邪気にもほどがある。そして、彼女は「とりあえず眠いから寝るねー」と言って、本当に瞳を閉じてしまった。
「自由すぎる……」
そうか、こういう種類の自由もあるんだな、なんて妙に感心してしまった。まともな人選は、王室にはできないらしい。私は役割をストライキするような気持ちで、リグレットの隣に横になった。
「あれ、フェドラちゃんも寝る感じ?」
「うん」
「おやすー」
なんで初対面の人と一緒に寝てるんだろう、私。しかもギャルと。いい。だめ。考えたら負け。私はリグレットに倣うように、今できる限りの自由を謳歌してみることにした。
体を揺すられる。ゆっさゆっさと、かなり乱暴に。酔うわ、やめて。
「ねぇ、起きてって」
「え……?」
男の人の声に驚いて目を開けると、そこにはリグレットが居た。イケボで起こすのやめろ。ちょっとときめいたでしょうが。
その声やめろ、という私の視線を無視するように、リグレットは言う。
「商人兼盗賊なんだ、オレ」
「一番兼ねちゃダメなヤツ」
それもう絶対盗品売ってるじゃん。呆れながら体を起こすと、私が寝ぼけている訳ではなくて、本当に辺りは暗かった。先に起きたなら、リグレットが灯りを点けてくれても良かったのに。もう、と零しながらランタンに手を伸ばそうとすると、ガシッと手首を掴まれた。何?
「フェドラちゃんを盗んで、売るつもりだったんだけど、大丈夫そ?」
「大丈夫な人いるぅ?」
突然告げられた真の目的に絶句したけど、依頼人の名前を聞いて、私は大人しく従うことにした。私に、自由について考えさせてくれた三人。彼女達がどうやって知り合って、リグレットに依頼をしたのかは分からないけど、そんなのは後で聞けばいい話だ。ここから抜け出せれば、時間はたっぷりとあるんだから。
リグレットから脱出用の服を受け取る。確かにドレスじゃ動きにくいし、目立ってしまう。着替えを終えると、たったそれだけで感動した。
「ズボン、初めて履いたかも……」
「マジ!? そんなことある!?」
「お城ではいつもドレスだったもの」
「マジかー……お姫様すげぇー……」
リグレットは心底驚いているようだったけど、私はズボンという新たな自由を満喫するのに忙しい。ちょっと窮屈だけど、気にせず脚を上げられるってすごい。
「他にも、何か持っていきたいものがあるなら、早めにまとめて欲しいなー」
「無いよ」
「いいの?」
「えぇ。これまでのフェドラは、ここに置いていくから」
私がそう言うと、リグレットは暗闇の中で微笑んだ気がした。黙ってればイケメンなのにな、この人。そうしてドアから部屋を出ようとすると、どこ行くのー? と笑われてしまった。どこって、外だけど……。
「そっちじゃなくて、こっち」
「……正気?」
「まぁ見てて」
リグレットは窓の方へと、私の手を引いた。まさか、ここから? とはいえ、かなりの高さがあるはず。窓から外に出ようなんて考えたことも無かった。
「ここの窓からなら、外に出ても見えない。でしょ?」
彼女の言うことに誤りは無い。奇術師達が施した術によって、外から私を観測することは不可能だと説明を受けているのだから。リグレットは松明に火を灯して、窓から投げ捨てた。何かの合図だろうか。行動を起こす前に、何をするつもりか教えてもらいたいのだけど。
「どうやって出るつもり?」
方法を訊いたというのに、リグレットは私を抱きかかえて、そのまま飛び降りた。ショックで気を失いそうになったけど、暗闇の中で響く彼女の笑い声がやけに爽快で、私の意識を引き戻してくれた。
次に体に感じたのは柔らかい衝撃。バヨンと体が跳ねて、体が浮いたと思ったら、今度は地面に叩きつけられた。
「べっ!」
「あはは! 変な声ー!」
リグレットは、やっぱり笑っていた。いたたと零しながら体を起こすと、月明かりに照らされた懐かしい面々が顔を並べていた。
「え!?」
「言ったはず、どうにかすると」
はじめに声を発したのはデビアンだった。横ではセントが朗らかに笑っている。アルマは、窓から飛び降りた私を労うように頭を撫でてくれた。私を受け止めてくれたのは、マットだったようだ。魔法で出来ているのか、アルマが手を振ると、それは忽然と消えてしまった。
「迎えに来ましたよ」
「アルマ……」
三人とも、黒いマントを身に着けている。たったそれだけで、私を秘密裏に連れ出そうとしていることが見て取れた。三人とも、本当に再会の約束を果たそうと動いてくれたんだ。それがすごく嬉しかった。
今なら、まだ砦の中に戻ることだってできる。だけど、私にその選択肢は、存在しないも同然のものだった。
「ごめんねぇ、勝手にこんなことして。でも、世継ぎを無理やり作ろうとするなんて、やっぱりおかしいと思って」
穏やかな口調でセントは言う。それに同調したのはリグレットだった。
「そゆこと。いくらあたしだって、お金のためだけに動くわけじゃないからねー」
「盗賊がなんか言ってる」
「義賊なんだってばー」
リグレットはデビアンにそう訴えると、もぉーと言って歩き出した。敷地からの脱出経路は彼女が確保しているのか、三人ともその後をついていく。
人目につかないまま、私達はあっさりと城の目の届くところから抜け出すことができた。案外呆気なかったね、と言ってみると、セントが「あんまり悪く言いたくないけど、兵士さん達はもうちょっと訓練した方がいいんじゃないかなぁ」なんてのんびりした口調で言い出して怖くなったので、聞かなかったことにした。
真夜中の城下町を歩くのは初めてだ。フードを被って、顔が見えないようにして。連れ出されているというのに、私は全く恐怖を感じていなかった。行楽に向かうように、目的地について尋ねる。
「これから、どこ行くの?」
「フェドラ様の行きたいところでしたら、どこへでも」
アルマがそう言って微笑む。セントと話をして、海を見たいと言ったことを思い出した。デビアンが教えてくれた、砂の大地のことも。ここじゃないどこか、全てを見たいと言ったら、彼女達は笑うだろうか。
「魔王倒したらなんとなく超パワーで子供くらい作れそうじゃない?」
「馬鹿だな。それなら神か魔術の類いに頼った方がいい」
「最果ての地、ガンダーピアという幻の都には、信仰で全てを可能にする空間があると聞きます」
三人は思い思いに、これからの目的地について話す。どこでもいいし、全部に行ってみたいと思った。私と一緒に話を聞いていたリグレットはのんびりとした口調で零した。
「そんなに子供欲しいなら買うか盗るかしたらー?」
「他の三人の言い分もだいぶおかしいけど人身売買はアウトでしょ」
楽しげに声を上げたのはセントだ。大きな声を上げたら目立ってしまうのに、彼女は子供のようにはしゃいでいた。
「じゃあ全部やろうよ! おもしろそう!」
「どうせ各地を巡る予定だったし、有りかな」
「素敵ですね」
「アンタらの話を総合すると、調べ物と魔族退治しながら最果ての地まで逃げるってことになるけど大丈夫そ?」
リグレットが三人の話をまとめると、今度はアルマが笑顔のまま応えた。
「えぇ。でも人身売買はだめです。信仰に反します。殺しますよ」
「脅し文句が唐突過ぎて怖いよ」
怖すぎる。プライズ様の「殺しますよ」、すごくレアだと思うんだけど。さらっと述べられた呪詛に怯えていると、デビアンが小さく呟いた。
「でも、数日の内にはバレるんだろうな。姫さらったの」
「それについては問題ないです。断言できます」
アルマははっきりとした口調で断言した。もしや裏から手を回してくれているのだろうか、そんな風に思ったけど、もっと単純な話だった。
「逆に聞きますけど、誰が止められるんですか? 国を挙げて探した最強の戦士と学者と聖女と商売人が居るんですよ? あとついでに姫」
「ついでやめて。メインに据えて」
「私達に勝てるパーティーがいるならお目にかかってみたいものですね」
私の訴えはスルーされてしまったけど、言われてみればそうだ。私のパートナーを探すという名目で、とんでもないメンツが揃ってしまったのだ。父には悪いけど、これも自業自得ということで。
国の行く先については、私に考えがある。アルマかリグレットに相談して、このアイディアを後で父に伝わるようにしてもらおうと思う。私は無事だし、しばらく国に帰るつもりがないということも。せっかくだから、旅先まで国のいい噂が聞こえてきたら帰ってくるかも、と付け加えてもらおうか。
そうして私はこれからの冒険に心を踊らせ、夜風を胸いっぱいに吸い込んだ。
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