§018 結末
ウィズから聞いたドラゴンの情報をまとめるとこんな感じだった。
ドラゴンは古来よりこの世界には存在しているが、エディンビアラ王国での出現例は稀。
王国の歴史上、ドラゴンによる災害は一回しか起きていない。
ドラゴンには複数の種類があり、現在飛来しているのは『ワイバーン』。
ワイバーンは、前足を持たず後ろ足と翼を持つ姿が特徴的で、性格は凶暴。特に人間や家畜を襲うことが多く、火を吐くことができるらしい。
「特にワイバーンが危険とされるのは、空を高速度で飛ぶことができる翼を持つからです。言わずもがな、人間は空を飛ぶ相手への対応は苦慮します。そのため、ドラゴンの出現が多い地域には、飛行魔法又はそれに準ずる能力を持つ竜騎士団をいうものが配備されているのですが、エディンビアラにはそのような制度はなく……もし出現したら大型の弓などを用いて地上に引きずり落とした後、総攻撃をかけるしか……」
私はウィズに矢継ぎ早に質問を投げかける。
『サマルトリアでワイバーンを使役する文化はある?』
「聞いたことがありません」
『ワイバーンを使役できるような魔法は存在する?』
「聞いたことがありません」
ということは、あのワイバーンはサマルトリアが連れてきたものではないのか……。
野良のワイバーンが出現するにしては、タイミングが良すぎるような気もするけど……。
なぜ出現が稀であるエディンビアラにワイバーンが出現したのかなどの疑問は尽きないが、私はワイバーンを撃退するのに有益な情報がないかを必死に取捨選択をする。
『ワイバーンに弱点はないの?』
「弱点と言えるかわかりませんが、空気抵抗の関係から翼を撃ち抜けばコントロールを失って落下するとは言われていますね」
……翼を撃ち抜く。
……地上に引きずり落とした後に総攻撃
『それだ!』
私は大声で叫ぶと、ウィズの方に視線を向ける。
「何か思いついたのですか?」
『ウィズの氷魔法は造形ができるんだよね? じゃあこの前、マリングラードの図書館で見た武器を再現できたりしない?』
「……バリスタのことでしょうか?」
ウィズは図書館で見た武器に思いを馳せるように天を仰ぎ見て、すぐに私を見つめ返す。
「バリスタならワイバーンの翼を撃ち抜くことは可能かもしれません。バリスタは引き弓と同じ原理ですので、火薬などを必要とせず、矢を遠くに飛ばすことができますので、形を模倣するというだけであれば、私の氷魔法で造形は可能です。ただ……」
『……ただ?』
「バリスタを操るには熟練した手腕が必要です。しかし、ここにはバリスタを使ったことがある者など……」
『ウィズがいるじゃん』
「へ? 私ですか? いやいや私は使ったことがありません。無理ですよ。そもそも私にバリスタを使いこなせる知識など……」
『バリスタの知識はないかもだけど、ウィズには得意なものがあるじゃん。ほら、ここを兵棋演習の盤上だと思えばいいんだよ』
「兵棋演習の盤上……ですか?」
『考えてみて。ウィズが今立っているのは、ウィズが慣れ親しんだ兵棋演習の盤上。山の上から眼下のワイバーンを撃ち落とすには何が必要?』
兵棋演習という言葉を聞いて意識が切り替わったのか、ウィズは思案するように、手を顎に当てる。
「……そうですね。ワイバーンの動きはランダムになりますが、考慮すべき要素は、距離、標高、風向、風量、空気抵抗。これらを計算できれば、理論上は、ワイバーンに矢を当てることは可能でしょう。あとは、ワイバーンの翼を撃ち抜くための力が必要ですので……バリスタを引く力はもちろんですが、高所からの攻撃による重力加速度を利用したら……」
『できそう?』
私はそう問うが、今のウィズを見ていたら聞くまでもなかったと思った。
ウィズの瞳からは既に光沢が消えており、いつぞやの兵棋演習の時に見せて、冷たい瞳へと変わっていたからだ。
私の質問には答えずに何かを計算しているのかぶつぶつと呟くウィズ。
私はそんなウィズを信じて、彼女が計算し終わるのをひたすら待った。
そして、数刻の時間が流れた後……。
「クルミ、答えが出ました。私がタイミングを見てバリスタを撃てば、99%の確率でワイバーンの翼に矢を当てることができます。ただ、これは翼に矢が当たる確率です。翼を撃ち抜けるかは、弓を引く力にどうしても依存してしまいますので、そこは運次第になります」
『ここに弓を引ける人間はウィズしかいないんだから精一杯やるしかないよ。ちなみに翼を撃ち抜ける確率は?』
「……20%ほどです」
正直、低すぎるとも思った。
10回やって2回しか成功しない確率。
もし私が軍師で、こんな確率の作戦を提案されたら、確実に一蹴している。
確かにウィズは頭は切れるが、体力面で言えば非力としか言いようがない。
新雪のようにきめ細やかで、今にも折れそうなほどにしなやかな真っ白な腕。
公爵令嬢として育ってきたのだから、非力を責めるのはお門違いだ。
それに先ほども言ったが、この場に弓を引ける人間はウィズしかいない。
それならば……。
『それがウィズが導き出した最適解であるなら、私はウィズを信じるよ』
そうして、私が今できる精一杯の笑みを湛えた。
その言葉を聞いて安心したように頷いたウィズは、すぐさま、集中モードへと入る。
瞳は色を失い、表情は虚ろに消えていく。
「――
紡がれる魔法名。
同時に氷の結晶がウィズの前に集まり始める。
氷の造形魔法を見るのは初めてだ。
それは「美しい」としか言い様がないほどに綺麗で、蒼天の如き水色の髪を持つウィズにピッタリの魔法だと思った。
ほどなくして、小さな氷の結晶は、大きさ10メートルほどもあるバリスタへと姿を変える。
完成したバリスタは土台の付いたボウガンのような構造をしており、真ん中には氷の矢が据えられており、その後方には弓を引くための操縦席のようなものがある。
その操縦席で弓を思いっきり引っ張って、氷矢をワイバーン目がけて射出するのだ。
バリスタの造形が完了したウィズがスッと瞳を開ける。
「照準を合わせるためにクルミの単眼境をバリスタに組み込んでいます。ただ、射出の反動で単眼境は壊れてしまうでしょう。そのため、私がワイバーンを正確に狙うことができるのは、一発のみとなります」
そう口にすると覚悟を決めた面持ちのウィズが、バリスタの操縦席に身を寄せる。
射出を司る弓に手をかけ、ピープサイトとしての機能を有する単眼境にその透き通る青い瞳を近付ける。
雰囲気を見る限り、ウィズは集中モードに入っている。
あのウィズなら万が一にもバリスタの操作を誤ることはないだろう。
懸念は威力だが……それはもう神に祈るほかない。
私は祈りを捧げるが如く胸の前で手を組み、氷矢の行く末を目に焼き付けようとした瞬間――ウィズが単眼境から目を離してこちらを見た。
その目は、兵棋演習の時の感情が抜け落ちたような冷たい瞳ではなく、まるで何かに縋るような熱っぽさを帯びた瞳だった。
『どうしたの?』
私は溜まらず問いかける。
すると、ウィズは今にも泣き出しそうな声で言った。
「……手の震えが止まらないのです」
『え?』
見るとウィズの手はブルブルと震えており、とても兵棋演習を行っている時の冷たく合理的なウィズの精神状態とは思えないものとなっていた。
「兵棋演習と同じように考えれば出来ると思っていました。全ての感情を消して、合理性を追求すれば、自分なら出来ると思っていました。でも……私がこの一発を外したら一万もの人の命が消える。そう考えたら……いつものように集中力を維持することが出来ませんでした」
『……ウィズ』
「……でも、せっかくここまでこぎ着けたのです。クルミと協力して勝利まであと一歩のところまできているのです。私は全てを諦めたくありません。だから、クルミ……私に少しだけ力を貸してくださいませんか?」
『……え、』
ウィズから放たれた悲痛な叫びとも取れる声。
その声に私は自分の透ける手を見つめる。
同時に自身の無力さに再び唇を噛みしめる。
私は幽霊だから、ウィズに力を貸すことすらできない。
一緒に弓を引っ張ってあげることも、身体を支えてあげることもできない。
私ができることは、無意味なのはわかっているけど、精一杯、励ますことくらいしか……。
すると、ウィズが言った。
「――私の手を支えてくれませんか?」
その言葉に私は目を見開く。
『だって、私の手は……』
「いいのです。たとえ触れなくても、触れられなくても、心はつながっていると信じています。だから、弓を持つ私の手が……どうか震えないように……クルミの手を添えてください」
合理的なウィズの言葉とは思えなかった。
けれど、その言葉はとても人間味が溢れていて、とても温かくて、閉ざされそうになっていた私の心を溶かすのには十分なものだった。
私は大きく頷くと、ウィズの下に駆け寄る。
『私がウィズを支える! だから、ウィズは絶対にワイバーンを撃ち落としてよね!』
「はい!」
そうして、私とウィズは重なり合うようにバリスタの操縦席に座る。
ウィズが下で、私が上。
ウィズが弓の部分を握り、私がウィズの頭に顎を乗せるような体勢で、ウィズの手に重ねるように手を添える。
もちろん私の手では、ウィズには触れられない。
でも、気持ちだけは伝えたくて、ウィズが弓を引くのに合わせて、私も手を引く。
ウィズが弓を引いた状態で歯を食いしばってるのを見て、私も精一杯の力で弓を引く。
そして、待つ。ウィズと心が一つになる瞬間を。
そして、時は来る。
「今です!」
ウィズの声とともに、ウィズは弓から手を離し、私も同時に手を離した。
ドンッという射出音とともに、弓なりに飛んでいく氷矢。
その氷矢は、これ以上ないというほどに正確に軌道を描き――ワイバーンの片翼を射貫いた。
こうして、波乱含みのサマルトリア戦は幕を閉じる。
地上から巻き起こるエディンビアラ軍の勝ち鬨を聞きながら、私とウィズは勝利の抱擁を交わし合った。
***
――クルミとウィズが海洋艦隊撃退の報をアーデル王子に伝えようと山を下りている時。
先ほど彼女達が立っていたレイムヤブルム山の中腹に、一人の人影があった。
その少女は、黄金色を纏った白金の髪を風に靡かせ、眼下を見下ろす。
「へぇ。あれがウィズリーゼ・エーレンベルクか。噂には聞いていたけど、さすがは最年少で国家軍師の称号を得ただけはあるね。氷魔法は相当な練度だったし、特筆すべきは神の所業と如き計算能力。この位置からワイバーンを射貫くのは私でも難しい。シンシアじゃ相手にならないわけだ」
その少女は懐から単眼境を取り出すと、地面に落ちているウィズ達の単眼境の欠片を踏み抜いた。
「海からの奇襲を看破し、使える手駒も少ないのに、その知謀で見事乗り切ってみせた。それは素晴らしいことだと思う。でもね……私が気になっているのはそんな低次元のレベルの話じゃないんだ」
少女はそう言うと、目を細めてウィズの隣に視線を向ける。
その視線はひどく冷え切っており、見る者すべてを凍てつかせるような青色をしていた。
「……どういうわけか彼女を見ていると胸が高鳴るんだ」
そう言って少女は冷笑を浮かべると、指笛を鳴らす。
すると、一頭のワイバーンがゆっくりと彼女の横に飛来した。
少女はワイバーンに取り付けられた鞍にまたがると、手綱を握る。
「いずれ相まみえることになるだろう。それまで死ぬなよ。ウィズリーゼ、そして、名も無き金髪の少女」
そう言うと少女はドラゴンに鞭を入れた。
彼女が飛び立った先。
それは遙かなる大国・ウォールナッツ帝国の方角だった。
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