§015 サマルトリアの神童

 サマルトリアで軍師を務めている私、シンシア・バレンティアナは、現在、マリングラードの南方5海里のところまで来ていました。


 私はサマルトリアで最年少軍師となり、この数年の間で幾度かの戦争を経験してきました。

 人は私のことを神童ともてはやし、私もその期待に応えるように武勲を上げてきました。


 そんな私が今回立てた作戦は「兵糧攻め」でした。

 マリングラードへ通ずる道は一本。それであるならば最も合理的な戦法は兵糧攻めであり、エディンビアラを率いている将軍はまだ年若く、経験も乏しいとのことでしたので、長期戦に持ち込めばエディンビアラの自滅を誘えるとの自信が私にはありました。


 しかし――あの方は言いました。


 それではエディンビアラには勝てないよ……と。

 将軍はバカかもしれないが、エディンビアラには有能な国家軍師がいる。全てを看破された上で、大敗するよ……と。


 私はが嫌いでした。

 突然私の前に現れて、さも自分の方が上であるかのように振る舞う。


 だから私は言ってやったのです。

 そこまで言うのなら、マリングラードの戦場を模した『兵棋演習』で私の作戦を破ってみろと。


 自信はありました。

 私は神童であり、サマルトリアを統率する軍師。

 マリングラード戦に向けて、実戦を模した兵棋演習は幾度となく行ってきました。


 私は生意気な小娘に一泡吹かせてやろう。

 そんな危害で臨んだ兵棋演習でしたが――私は歴史的な大敗を喫したのでした。


 完敗でした。

 神童と呼ばれた私が、何度も何度も繰り返したマリングラード戦で、手も足も出なかったのです。


 そんな失意に沈む私にこう言ったのです。


 ――私が君に策を授けるよ。私の指示どおりに行動すれば我々は決して負けない。


 その冷たく笑う瞳を私は一生忘れることはないでしょう。


「でも、まさかエディンビアラ軍も海から攻められるとは思ってもみないでしょうね」


 私は背後からの問いかけに瞑目していた目をスッと開けます。

 半身振り返ると、そこには私の補佐官であるエミリーが立っていました。


 私は遠くに臨むマリングラードの海岸線を見つめながら、エミリーに答えます。


「ええ。この世界では、船が軍事利用された例はありません。船を製造するのには莫大な資金が必要になりますし、我が大陸は陸続きでそもそも海に出るという習慣自体がそう強くありません。そのため、誰も船を戦争で利用しようなんて思わなかったんですよ」


「そんな敵の虚を付く作戦を考案できるシンシア様をわたくしは尊敬いたします」


 彼女は私がこの作戦を考案していると思っているのです。

 私みたいなが、現代の戦争常識をひっくり返すような作戦を思い付けるわけがないのに……。


 私の無駄に大きくなったプライドが邪魔をしようとしますが、彼女には本当のことを伝えておこうと思いました。


「エミリー、実はこれは私の作戦ではないのですよ」


「え?」


「これはウォールナッツ帝国の丞相様が提案してくださった作戦。私はそれを忠実に実行したまでなのです」


 エミリーはその名前が相当意外だったのか、私の言葉を復唱します。


「ウォールナッツ帝国の丞相様。噂には聞いていましたが、まさかシンシア様を上回る才覚の持ち主なのですか?」


 その言葉に私は顔を顰めるしかありませんでした。


「私を上回るとか、そんな次元じゃないのです。あの方はもはや人間ではありません」


「人間ではない?」


「はい。あの方と話していると痛感させられるんです。全ては手のひらの上なのだと。だから今回の作戦ももしかしたら……」


 私はそこまで考えて首を横に振ります。


 いや、さすがにそれは考えすぎでしょう。

 事前の情報によれば、マリングラードでエディンビアラが海洋戦争に備えているという話はありませんでした。

 マリングラードに控えているエディンビアラ軍は全てが陸軍。


 そうであれば、たとえ一万の軍であろうと、出兵を制限される地形に、陸から三千、海から二千の挟撃。

 エディンビアラ軍が只では済まないことは明白です。


 ただでさえ我々は兵力が少ないのですから、その点は軍略で上回るほかないのです。


 この戦争の肝となるのはこの海側からの奇襲にあります。

 ゆえにサマルトリア王は私を海洋艦隊の総指揮官に据え、二千の兵を預けてくださることによって、国の命運を懸けてくださったのです。


 この勝負、絶対に勝利してみせます。

 それだけが、今、私を私たらしめることができる、小さなプライドなのですから。


 私は海岸線に視線を這わせます。

 マリングラードから3海里の地点まで到達したようです。

 いよいよ開戦の時。


 私は海洋艦隊の総指揮官として、激励を飛ばします。


「聞きなさい! 勇猛なるサマルトリアの戦士達よ!」


 私は普段は出さないほどに大声を張り、お腹の底から叫びます。


「敵は我々が海から攻めてくることに震驚していることでしょう! しかし手を緩める必要はありません! これは決して卑劣な手などではない! 知謀を懲らせぬ者が戦争で勝てる道理はないのです!」


 私は傍らの剣を引き抜くと、大きく天に掲げ、兵の魂に火を焼べるべく咆哮します。


「見せてやりましょう! そして歴史に刻むのです! 我がサマルトリアに勝るものがないことを!」


「「「ウォーーーーーーッッッッッッッッ!!!!」」」


 海洋を揺るがすほどの勝ち鬨が艦隊を包み込んだ瞬間――とてつもない突風が艦隊を突き抜けました。


 私はバランスを崩し、被っていた帽子は海へと飛ばされます。

 帽子の中に閉まっていたロングポニーテールの銀髪がばさばさとはためき、羽織っていた指揮官用の装いも勢いよく舞い上がります。


「……風?」


 私は侵攻方向であるマリングラードに視線を向けました。

 と同時に、私は思わず目を見開いていました。


 先ほどまで姿を隠していたのか、船が十隻ほどこちらに向かってきていたのです。


「くっ、エディンビアラに気取られていましたか! 皆の者! 敵襲です! 早く迎撃の準備を!」


 しかし、艦隊の兵士達の返事は鈍く、一向に迎撃の準備が整いません。


「どうしたのです! 迎撃準備と言っているでしょう!」


 私は焦りから強い言葉を発します。

 それを受けてすぐさまエミリーが現状の報告を行います。


「先ほどから吹き付けている強風により舵が思うようにきかないとのこと! 船体を維持するのがやっとで進むどころか押し戻されている状況です!」


「なんですって!」


 どうしてこのタイミングでこんな強風が。

 今の季節は夏。本来であれば、海から陸に流れる海風により追い風になるはずだったのに。


「今すぐ帆を畳んでください! ガレオン船の帆は空気抵抗が大きいのです! この風をもろに受け続けていたら外洋まで押し戻されてしまいます!」


 エミリーにそう指示を出すと、私は再度、吹き止まぬ風に目を凝らします。

 すると、敵船はもう目前のところまで迫りつつありました。

 この強風を利用して、ものすごいスピードで船を走らせていたのです。


 敵船は、小型船舶「キャラバン」。

 キャラバンは我が艦隊が採用しているガレオン船よりも小型の船舶であり、強度こそガレオン船の方が上ですが、機動力という点ではキャラバンの方が圧倒的に上です。


 もし回り込まれでもしたら……。


 そんな私の懸念をあざ笑うかのように――キャラバンからが放たれました。


「え、火矢……」


 風に乗ってどんどん速度を上げる無数の火矢は、我が艦隊に無情にも着弾します。


 まるで海洋戦になることを想定したような装備。

 敵の目的はこの艦隊を沈めること……。


 しかし、考えている暇などありません。

 そうこうしている間にも大量の火矢が降り続いているのです。


「火攻めです! すぐに火を消し止めてください! 水魔法が使える者は全て甲板へ出てください! このままでは船が沈みます!」


 私は必死に叫びますが、兵士の中に魔法が使える者などほとんどおらず……。

 追い風に乗せて次々に放たれる火矢に我々は抵抗する術はなく……風に煽られて火は瞬く間に燃え広がっていきます。


「あ、あぁ……」


 私はそんな絶望を帯びた声を上げて、甲板に膝を付きます。

 目の前に広がる光景、それはさながら地獄を彷彿させるような煉獄でした。


「わ、私が……王から預かった……艦隊が……負ける……」


 そんな霞む視界の中、頭を過ったのは――忘れもしないウォールナッツ帝国の丞相の顔でした。


 彼女の言葉――私の指示どおりに行動すれば決して負けない。


 あれは……私達、サマルトリアではなく、お前達、ウォールナッツ帝国のことだったのですか。


 私が唇を噛み閉めると、血の味が口の中を満たします。


「……こうなることをわかっていて私達を差し向けたのですね」


 私は渇いた笑い声を上げ、懐に帯刀していた脇差しを取り出します。


 ああ、結局、私はあの女に踊らされていただけだったのですね……。

 それなのに、こんなにも多くの兵士を大勢巻き込んで……。


 でも、私はサマルトリア軍師・海洋艦隊総指揮官シンシア・バレンティアナです。

 この責任は私の命を持って償わなければなりません。


「来世では……必ず復讐してやりますからね。覚悟してなさい、ドミノ」


 その瞬間、グサリという鈍い音とともに、甲板は血に浸りました。

 こうして数刻もしないうちに、サマルトリアの巨大ガレオン艦隊は海の藻屑となったのでした。




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